日本には、お空気くうきのおあじがちがうがございます。のためでも、あめのためでもございません ― 何百年もそこでしずかにつづけられてまいりましたご実践じっせんのためでございます。薬師寺はそうしたのひとつでございます。おはいりになるかたは、お言葉ことばにしにくいなにかをしずかにおかんじになります ― からっぽではないたされたおしずけさでございます。うちからのあたたかさとおかんじになるかたもいらっしゃいます。やっとおかえりになれた、というおかんじになるかたもいらっしゃいます。

薬師如来 薬師如来いやしの如来にょらい ― は、日本でもっともあおがれてまいりましたほとけのお一方ひとかたでいらっしゃいます。お名前なまえ文字もじどおり「(薬師)と「このようにきたられたかた(如来にょらい)意味いみします。薬師如来のご本性ほんしょうとお歴史れきしおんりのかたには、日本のおてらのおつたえのなかでの中心ちゅうしんのお役目やくめがすでにごぞんじでいらっしゃいます。この記事きじではべつのおはなししずかにもうげます ― 薬師如来とおむすびになる瞑想めいそうのご実践じっせんと、そのなかでご体験たいけんになることがあるかもしれないなにかについて、でございます。

薬師如来のお堂 ・ 日本のお寺の建築
薬師如来のおどう ・ おいやしのお

瑠璃光 ― 薬師如来のお身体しんたい 瑠璃光

経典きょうてんのなかで、薬師如来はお身体しんたい瑠璃るりいにしえからとうとく、おまもりのおいしとしてあおがれてまいりましたふかあおのおいし ― からられるとかれております。おじょう浄瑠璃世界じょうるりせかい 浄瑠璃 ― はみわたる瑠璃光のおでございます。左手ひだりて薬壺やっこをおちでいらっしゃいます ― お姿すがたによっては、うちからかがや瑠璃るりのおたまをおちのものもございます。

これはご実践じっせんにとってどのようなお意味いみになうのでございますか。薬師如来との瞑想めいそうのなかで、このおひかり象徴しょうちょうとしてのみご理解りかいになるものではございません。じつのご体験たいけんとしてしずかにおつたえされてまいりました ― ご身体しんたいを、細胞さいぼうのひとつひとつにみわたるおひかりとして。修行者しゅぎょうしゃのおこえのなかで、瞑想めいそうのあいだにふかあおしずかにおかんじになるとおつたえになるかたがいらっしゃいます ― かわいた大地だいちみずみていくように、ひろがっていくおひかりを。あたたかさをおかんじになるかたもいらっしゃいます。おむねのひろがりをおかんじになるかたもいらっしゃいます。なにがおこりになるかは個別こべつのことでございます。おすわりになるごとにわることもございます。

薬師
― おくすり御師おんし、おみちびきのかた。薬師如来は「」 ― すべてのいのちのおやすらぎに御身おんみささげられたほとけでいらっしゃいます。お正式せいしきのお名前なまえ薬師瑠璃光如来やくしるりこうにょらい 薬師瑠璃光如来 ― 「瑠璃光ののお姿すがた」でございます。

薬師如来はほとけのおくらいいたられるまえに、十二の大誓願だいせいがんをおてになりました。それぞれのおちかいはすべてのいのちあるものへのお約束やくそくでございます ― ご身体しんたいちからづけ、おこころをおしずかにし、しょくとおころもをおあたえになり、くらがりからおみちびきになる、というおちかいでございます。抽象的ちゅうしょうてき理想りそうではございません。具体的ぐたいてきなお約束やくそくでございます ― そして日本のおてらのおつたえのなかで、これらのおちかいは儀礼ぎれいのなかに千年をえてしずかにいきづけられてまいりました。

鞍馬山くらまさんと霊気とのおむす鞍馬

霊気のみなもとしずかにおたずねになるかたは、京都のきた鞍馬山くらまさんかならずお出会であいになります。三井寺臼井甕男はそこで1922年におこもりになり、断食だんじき瞑想めいそうをなさいました。おおくのかたがごぞんじでないことがございます ― 鞍馬山くらまさんには薬師如来のおどうがございます。薬師如来へのおあおぎは何百年もづいてまいりました。

これは偶然ぐうぜんではございません。霊気と薬師如来とのおむすびは、表面ひょうめんかんじられるよりもずっとおくいきづいております。真言密教、修験道、神道、かんなぎ道教どうきょうのおつたえのなかで ― 真言霊気の源流げんりゅうでもいらっしゃるおつたえのなかで ― 薬師如来は身体しんたいとおこころのおやすらぎにかかわる中心ちゅうしんのお御方かたでいらっしゃいます。悉曇おん文字もじバイばいでございます ― おおととしてもうちなるお姿すがたとしても、瞑想めいそうのなかでしずかにご体験たいけんになれるおんでございます。

不動明王 ・ 真言のご実践
不動明王 ・ 真言のご実践じっせん

マークが薬師如来のおはなしをなさるとき、じかのおいからしかちあがれないおんよろこびがしずかにおかおあらわれます。マークは、奈良、京都、四国八十八ヶ所の薬師寺をおたずねになりました ― お客様きゃくさまとしてではなく、修行者しゅぎょうしゃとして。おぞうのおまえしずかにおすわりになり、お真言しんごんしずかにおとなえになり、そののおしずかにおけになりました。そしてハイデルベルク大学だいがくのご研究けんきゅうのなかで、悉曇 ― 薬師如来のおおん「バイ」もふくめて ― が日本のお儀礼ぎれいのおはたらきのなかでどのようにもちいられているのかをしずかにご研究けんきゅうになりました。

瞑想めいそうのご実践じっせん ― お真言しんごん、おいん、ご観想かんそう 三密

薬師如来との瞑想めいそうは、三密 ― 三密 三密 ― のおはたらきにそってしずかにすすみます ― ご身体しんたい(おいん)、おくち(お真言しんごん)、おこころ(ご観想かんそう)でございます。みっつのおはたらきが同時どうじしずかにちあがります。ご身体しんたい特定とくていのおのおかたちむすばれます。おくちがお真言しんごんとなえられます。おこころが薬師如来の瑠璃光をご観想かんそうになります。

薬師如来のお真言しんごんはよくられております ― オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ でございます。日本のおてらでもっともおおとなえられているお真言しんごんのおひとつでございます。おおとそのものにとくべつなおはたらきがそなわっております ― おしずけさへとおみちびきになり、中心ちゅうしんへとおもどしになり、これまでうごいていたうちなるなにかがしずかにいていくとおかんじになる修行者しゅぎょうしゃがいらっしゃいます。

大切たいせつなおはなし

薬師如来との瞑想めいそう完全かんぜんなご実践じっせん特定とくていのおいん、ご観想かんそうのお仕方しかたただしいお真言しんごんのおとなえをふくむご実践じっせん ― は伝授でんじゅのなかでしずかにおつたえされます。ここでおもうげているのは、わくでございます ― ご実践じっせんそのものではございません。おつたえはかたからかたへ、いきづくおつたえのなかでしずかにつたえられてまいります ― 真言のみちのなかで1200年をえてそうしてまいりましたとおりに。

薬師如来の悉曇のおおとバイ ― は、瞑想めいそうのなかで中心ちゅうしんのお役目やくめになわれます。真言のおつたえのなかで、悉曇は文字もじのみとしてご理解りかいされてきたものではございません。おおとのお身体しんたいとして、おのおうつわとして、おもんとしてご理解りかいされてまいりました。瞑想めいそうのなかで悉曇のバイをご観想かんそうになるとき ― おつたえがそうもうげてまいりましたとおりに ― 薬師如来のおちからがご体験たいけんになれるおしずかにひらかれます。たとえではございません。真言のおつたえの古い儀軌ぎきのなかにしるされたご実践じっせんのおことでございます。

真言霊気のなかでこのご実践じっせんは、中心ちゅうしんのおはたらきとしずかにむすばれてまいります。瑠璃光は抽象的ちゅうしょうてきなお姿すがたとしてのみご観想かんそうになるのではございません ― ご身体しんたい特定とくていへとしずかにおみちびきになります。伝授でんじゅをおけになったかたは、薬師如来とのおむすびをご自身じしんのなかにおちでいらっしゃいます。瞑想めいそうはそのおむすびをしずかにふかめてまいります。おすわりになるごとに、ご体験たいけんになることがわり、ふかまっていくこともございます。

神護寺の薬師堂
神護寺じんごじ薬師堂やくしどう
「薬師如来のおぞうのおまえしずかにおすわりになり、お真言しんごんしずかにおとなえになるとき、計画けいかくのできないなにかがしずかにちあがります。おひかりそとからではなく、うちからしずかにかがやきはじめられるかのようでございます。いつもではございません。けれどちあがるとき、わすれることのできないご体験たいけんになります。」 マーク・ホサック博士はかせ

これはじょうにとってどのようなお意味いみになうのでございますか。薬師如来との瞑想めいそうは、いちなさっておませになるご実践じっせんではございません。おみちでございます。日本のおてらでは、お真言しんごん毎日まいにちとなえられております ― あさゆうに、儀礼ぎれいこよみのなかでしっかりと。真言霊気のなかで、このご実践じっせん毎日まいにち瞑想めいそうのなかへとしずかにむすばれていきます。定期ていきてきなご実践じっせんのあとになにかがしずかにわってまいります、と修行者しゅぎょうしゃがおつたえくださることがございます ― よりふかいおしずけさ、みわたるお身体しんたいのおかんじ、瞑想めいそうのあとものこられるおむすびのかんじ。

日本の薬師寺やくしじ名高なだかき奈良の薬師寺やくしじ、四国八十八ヶ所のおてら鞍馬山くらまさんの薬師如来のおどう ― は今日こんにちもなお、おしずかにおもとめになるかたがおたずねになるでいらっしゃいます。ご自身じしんのためのおいまおもかんじておられるもののためのおちあがろうとしているもののためのお。これらのおてらしずかにおもいださせてくださいます ― 薬師如来とのご実践じっせんはおはなしではございません。何百年もいきづいてまいりましたなにかでございます ― そしておけになるご覚悟かくごのおありになるかたには、どなたにもひらかれております。

個別こべつのご体験たいけんでございます。 結果けっかには個人差こじんさがございます。霊気と霊性れいせい実践じっせんは、医療いりょう心理療法しんりりょうほうわりとなるものではございません。
薬師如来へのおみち

実践じっせんれる

薬師如来との瞑想めいそう伝授でんじゅのなかでしずかにおつたえされます ― 真言霊気のおみちの一でございます。どのお入口いりぐちがご自身じしんうのか、ご一緒いっしょにおつけてまいりましょう。

真言霊気へのこころみち 薬師如来について