真言密教の中心には、お一人の仏さまがいらっしゃいます。— ほかのどの仏さまとも、お姿の異なる御方。菩提樹ぼだいじゅのもとで悟りをお開きになったわけではございません。お説法をなさったわけでもございません。お生まれになり、お亡くなりになったわけでもございません。— なぜなら大日如来さまは、はじめから、ずっとそこにいらっしゃるのでございます。— そして、これからもずっと。宇宙の仏さま、すべての光の源、あらゆるものの根の御方でいらっしゃいます。

御名 — 三つの漢字かんじに、すべてが宿る大日如来

大日如来
(だい)— 大いなる。(にち)— 太陽。如来(にょらい)— 「そのように来られた方」、完全に目覚めた仏さまへのお呼び名でございます。— 文字どおりには、「大いなる太陽の仏さまにして、そのように来られた方」。サンスクリットの御名はマハーヴァイローチャナ — 「大いなるあまねく照らす方」、すべてを照らす光のお姿でいらっしゃいます。

ここでの太陽は、たとえではございません。— ひとつの原理げんりでございます。物の太陽が、選ぶことなくすべてを照らしてまいるように、大日如来さまも、分けへだてなく、すべてのものをとおしてまいられます。仏さまにも、石ころにも。人にも、虫けらにも。— その光は無条件むじょうけんのもの。だからこそ、大日如来さまは真言の宇宙観うちゅうかんの中心にいらっしゃるのでございます。

真言密教の寺院にある黄金の大日如来の祭壇 · 真言の伝統の中心にいらっしゃるお像
真言の寺院の黄金の大日如来の祭壇 · 伝統の中心

歴史れきしのお一人としての仏さまではなく — 宇宙の原理げんり法身

釈迦牟尼しゃかむに — 歴史のお一人としての仏さま — は、およそ二千五百年前、きたインドにご生誕になりました。お生まれになり、悟りをお開きになり、お亡くなりになった御方。— 応身(おうじん、ニルマーナカーヤ)、すなわち仏さまの本性ほんしょうが歴史のなかにお現れになったお姿でいらっしゃいます。

大日如来さまは、それとは違うお方でいらっしゃいます。— 法身(ほっしん、法身) — 真理そのもののお身体、絶対の実相じっそうそのものでいらっしゃいます。はじめもなく、終わりもなく。歴史のうちにお現れになるのではなく、— 歴史そのものが、大日如来さまの上にあらわれてまいるのでございます。すべての仏さま、すべての菩薩さま、すべての明王みょうおう諸尊しょそんさまは、大日如来さまのおあらわれでいらっしゃいます。すべてが、そこから流れ出でてまいります源でいらっしゃるのでございます。

真言の根本

真言の伝統において、宇宙そのものが大日如来さまのお身体でいらっしゃいます。あらゆる音は、その御声。あらゆる形は、その御姿。あらゆる念は、そのお心。— その外には何ひとつ存在いたしません。— だからこそ、すでに目覚めていないものなど、ひとつもございません。実践とは、ただこの真理に、そっと気づいてまいることなのかもしれません。

智拳印 · 大日如来の知恵の拳の印 · 九字切りの「列」の印と同じお姿
智拳印ちけんいん · 大日如来さまの知恵の拳の印

御印 — 智拳印ちけんいん智拳印

大日如来さまは、ほとんどの場合、ひとつの定まった印を結んでいらっしゃいます。— 智拳印(ちけんいん、智拳印) — 知恵の拳の印でございます。左の人差ひとさゆびがまっすぐに立ち、右の御手がそれを包み込まれるかたち。— この御印は、知恵と方便、空と色、仏さまの本性と現象界との融合ゆうごうを、静かに表してまいります。

この御印を瞑想のうちに結んでまいる方は、大日如来さまへ直に通ずる道をひらかれます。御手が、ひとつのうつわとなってまいります。— ただのしるしではございません。— 結ぶこと、それじたいが、つながりの行為こういでございます。身、口、意 — その三つを、同時にひらいてまいる御印でございます。

両界りょうかいの曼荼羅両界

真言密教には、二つの大きな曼荼羅がございます。— その二つを合わせて、すべての実相が描き出されてまいります。両方の中心に、大日如来さまがいらっしゃいます。

胎蔵界たいぞうかい曼荼羅

胎蔵界曼荼羅

母胎ぼたいの世界の曼荼羅」 — 理(ことわり)の世界。仏さまの本性が、その核から、蓮の花がそっと開いてまいるように展開してゆくお姿でございます。大日如来さまが最も内側の中心にお座りになり、四方の仏さまと、数えきれぬほどの菩薩さま、諸尊しょそんさまに囲まれていらっしゃいます。

金剛界こんごうかい曼荼羅

金剛界曼荼羅

「ダイヤモンドの世界の曼荼羅」 — 知恵の世界。さとりの心の構造こうぞうを、ダイヤモンドのようにきよらかで、こわれることなく描き出してまいります。大日如来さまは九つの区画くかくにお現れになり、それぞれが同じ真理の異なる視点してんでございます。

二つを合わせて、両部(りょうぶ、両部) — 「両の領域りょういき」と申されます。— ちょうどう息とく息のように、陰と陽のように、ひとつの実相の二つのお姿でいらっしゃいます。空海さまは、806年、唐よりこの両方の曼荼羅を日本に持ち帰られました。— 千二百年余りにわたり、今もなお真言の実践の核心かくしんとして息づいております。

高野山の大日如来像 · 真言の伝統の宇宙の仏さま
大日如来 · 高野山のお像

真言 — 阿毘羅吽欠あびらうんけん真言

どの仏さまにも、それぞれの真言がございます。— その仏さまのお力を運ぶ、響きのうつわでございます。大日如来さま(金剛界のお姿)の真言は、— オン アビラウンケン バザラ ダトバン。悉曇の種子しゅじ阿(ア)・毘(ビ)・羅(ラ)・吽(ウン)・欠(ケン) — は、五つの元素げんそを表してまいります。— 地、水、火、風、空。— 宇宙のすべてを成り立たせる、五つの根本の要素ようそでございます。

行ずる方がこの真言を唱えてまいるとき、響くのは音だけではございません。— 実相そのものの構造こうぞうが、静かに響いてまいるのでございます。— これは決して誇張こちょうではございません。真言の伝統において、音とは、ただの振動しんどうではございません。— 創造の根源こんげんのかたちでございます。サンスクリットのマントラとは「心を護るもの」、そして日本語の真言(しんごん、真言) — 真の言葉 — は、まさにマントラの日本でのお訳でいらっしゃいます。

大日如来さまが、霊気にとってなぜ大切でいらっしゃるか靈氣

霊気とは、霊気(れいき、霊気) — 霊性のいのちのエネルギーでございます。— けれども、このエネルギーは、どこから流れてまいるのでしょうか。真言の伝統には、ひとつの明らかなお答えがございます。— 大日如来さまよりでございます。すべてのエネルギー、すべてのかたち、すべてのお力の源でいらっしゃいます。霊気を行ずる方が御手を当てられるとき、流れているのは「ご自身の」エネルギーではございません。— 宇宙の仏さまのお力が、その方を通って静かに流れ出でていらっしゃるのでございます。

霊気のマスター・シンボル — 大光明(だいこうみょう、大光明) — 「大いなる光明こうみょう」 — は、大日如来さまと同じ光の御名をになっております。光明(こうみょう)とは、悟りの光、宇宙の仏さまの光でいらっしゃいます。この象徴をおびになる方は、— ご自身が気づかれずとも — 大日如来さまと、そっと結ばれていらっしゃるのでございます。

「大日如来さまは、遠くで崇拝すうはいされる神ではございません。— あなたさまがすでにそのなかに在(いま)していらっしゃる、その実相そのものでいらっしゃいます。— 実践とは、その方を見つけてまいることではございません。— ただ、見過ごしていたものを、もう見過ごさないこと、なのかもしれません。」 マーク・ホサック博士

真言霊気のうちで、このつながりは、静かに気づきへと運ばれてまいります。— 大日如来さまの悉曇文字の瞑想を通じて。その真言を唱えてまいることを通じて。その御印を結んでまいることを通じて。— そして、御手より流れてまいるお力が、ご自身のお力ではなく、— 宇宙のすみずみをあまねく照らす、その同じお力でいらっしゃるという気づきを通じて。

源を体感してまいる

真言霊気を、ご一緒に。

大日如来さまとのつながりは、真言の実践の核心かくしんでございます。— このお力を、日々の暮らしのうちに、どうお感じになってまいられるか、静かにお運びくださいませ。

真言とは 霊気の象徴