怒いかりは、人がご体験たいけんになりうる最も力強いお働はたらきのお一つでございます。— 燃え、固かたまり、砕くだく。— だからこそ、真言の伝統において、特別なお場所ばしょをお持ちでいらっしゃいます。— 抑えるべきものとしてではなく、— 原料(もと)として。— 変へんずべきお力として。— この変容(へんよう)の御方が、— 金剛薩埵 金剛薩埵(こんごうさった) — ダイヤモンドの菩薩さまでいらっしゃいます。— そして、怒り、お罪のお感じ、業の滞とどこおりに対するお働はたらきは、— 西洋でしばしば思われていることの反対はんたいでいらっしゃいます。

多くの霊性の伝統で、怒りはお障さわりとお考えになります。— お手放しになるべきもの、お溶とかしになるべきもの、お乗り越えになるべきもの、と。— 真言の伝統において、怒りはお病ではございません。— まだ磨かれていないダイヤモンドでいらっしゃるのでございます。

金剛薩埵 · 平安時代の青銅像、メトロポリタン美術館蔵
金剛薩埵 · 青銅像 · 平安時代(11世紀) · The Met、Wikimedia Commons(CC0 · パブリックドメイン)

御名 — 金剛薩埵とは、どのようなお意味でしょうか金剛薩埵

金剛薩埵
金剛(こんごう)— ダイヤモンド、ヴァジュラ、不壊なるもの。— 最もかたい素材 — すべてを切きることができるけれど、ご自身は切きられることがない御方。— 薩埵(さった)— 存在、菩薩(サンスクリットのサットヴァより)。— 文字どおり、「ダイヤモンドの存在」、あるいは「ヴァジュラの菩薩」。サンスクリットではヴァジュラサットヴァでいらっしゃいます。

ヴァジュラ(金剛)は、密教の中心となる象徴しょうちょうでございます。— 悟りの不壊なるご性質を表してまいります。— 何ものにも傷つけられない真理。苦しみにも、無知にも、最も激はげしいお気持ちにも。— 金剛薩埵さまは、その原理げんりを生きたお姿として体してくださる御方でいらっしゃいます。— 怒り、不安、癖くせの下に隠れていらっしゃっても、— ダイヤモンドのご性質が、私たちひとりひとりのうちに本来お備そなわりであることのお証あかしでいらっしゃいます。

真言の宇宙観のなかの金剛薩埵さま金剛界

金剛界曼荼羅(金剛界曼荼羅) — ダイヤモンド世界の曼荼羅 — のうちで、金剛薩埵さまは中心のお位置にいらっしゃいます。— 内なる輪のなか、大日如来さまのお傍そばに。— あるお伝えのうちに、金剛薩埵さまは宇宙うちゅうの仏さまの最初のお現あらわれであるとお記しになっております。— 形なき悟りが、ひとつのお姿をお取りになる、その瞬間でございます。

これにより、金剛薩埵さまは、絶対と相対の間、宇宙の真理と人の体験たいけんの間の橋渡はしわたしの御方でいらっしゃいます。— 私たちが今、どのような姿であるかと、— これからどのような姿になりうるかを結むすぶ橋。— その橋は、お避さけによって作られるものではなく、— 変容によって作られるものでございます。

百字明 — 百字の清めのお言葉ことば百字明

金剛薩埵さまにまつわる最もよく知られた実践は、百字明 百字明(ひゃくじみょう) — サンスクリットではシャターアクシャラ・マントラでございます。— 仏教の伝統のなかで最も長ながく、最も力強い真言のお一つ。— 百のサンスクリットの音(おん)が、ある順序じゅんじょのうちに唱えられてまいります。— ひと音ひと音が、ひとつの清め、ひとつの変容、業の結むすびをそっと解とくひと切れでございます。

チベットの伝統では、この真言は「四つの根本の修法しゅほう」(ンゴンドロ)のお一つとされてまいります。— 十万回の繰くり返かえしの後に、行ずる方は深い修法へと進ませていただくことが許されてまいります。— 日本の真言の伝統では、金剛薩埵さまの実践は儀礼の枠わくのうちに伝えられてまいります。— 機械的な繰り返しとしてではなく、伝授の御一部として。

「百字真言は、ご懺悔ざんげの務つとめではございません。— 業のお湯浴あみでございます。— ひと音ひと音が、ひとつの結びを解といてまいります。— お力ずくではなく、お気づきによって。— ダイヤモンドはお切きりになるのではなく、— 透き通るようにお変かえになります。」 マーク・ホサック博士

変容(へんよう)の本来のお意味転

西洋では、仏教の伝統における「変容」のお意味について、よくある勘違かんちがいがございます。— 怒りを愛あいでお置おき換かえになることでも、お腹立ちを平和へいわとお交換こうかんになることでも、お否定的ひていてきなお気持ちをお肯定的こうていてきに変かえられることでも、ございません。— それは、霊性のお衣ころもをまとった抑圧よくあつでございます。

真言の伝統は、変容を別のお形でお解かいになります。— 怒りは、お力でございます。— 怒りとして体験たいけんされる同じお力が、清らかさとしてご体験になられる、— ご自我へのお執着しゅうじゃくがお手放しになるとき。— 怒りは消えてまいりません。お力はそのまま残のこります。— けれども、その性質せいしつがお変かわりになるのでございます。— 盲(めし)いた怒りから、見るお力へ。— 反応からお働はたらきへ。— ご混乱こんらんから、ダイヤモンドへ。

これがヴァジュラのお象徴しょうちょうするもの。— 生のお力を、不壊なる清らかさへとお変えになること。— 金剛薩埵さまは、この道のりを体してくださる御方でいらっしゃいます。— そして、瞑想のうちに、行ずる方ご自身がこの御方とおなりになるよう、お招きされてまいります。— 想像のうちにではなく、— 直のお体験として。

そのお原理

怒りは、お敵かたきではございません。— まだ磨かれていないダイヤモンドでいらっしゃいます。— 金剛薩埵さまの実践は、お腹立ち、お罪つみのお感じ、お不安ふあんのうちに束たばねられたお力をお取りになり、— それを別のものへとお変えになるのではなく、— その本来の姿すがたへとお戻しになります。— 清らかさへ。— これは譬えではございません。— 瞑想のなかに直に体験されるお身体のご感じでございます。

護摩法悉曇曼荼羅 · ダイヤモンド世界の伝統のヴァジュラの配置
護摩法ごまほう悉曇曼荼羅 · ダイヤモンド世界の伝統のヴァジュラの配置

金剛薩埵さまと霊気靈氣

ダイヤモンドの菩薩さまと、霊気とに、どのようなお繋がりがおありでしょうか。— ご想像よりも、もっと多くのお繋がりがございます。— 霊気のお授けのたびに、行ずる方は、ご快こころよくないお力にお出会いになります。— お滞り、お固かたまり、お身体に蓄たくわえられたお感情かんじょうの古いお荷に。— 多くの方の本能ほんのうは、これらのお力を「お送り出す」、あるいは「お溶とかす」ことをお望のぞみになります。— けれども、それがいつも正しき道とは限りません。

金剛薩埵さまの御視点してんからは、別のお道がございます。— お滞りのお力を、お敵かたきとせず、— 原料(もと)としてお見つめになる。— 固まったお力を、お溶かしになるのではなく、お変えになる。— 怒りをお押おしのけになるのではなく、— 透き通るようにお変えになる、— 後ろにずっと潜ひそんでいた清らかさが透けてまいるまで。

真言霊気のうちに、このお姿勢しせいは具体的にお現あらわれます。— 第二の段階のうちには、難しいお力の変容に直に向き合う技がございます。— お闘いではなく、お避けでもなく、— ご臨在によって。— 伝統が加持 加持(かじ)と申されるもののうちに。— 宇宙のお力と人のお気づきの相互の透過とうかのうちに。— ご自身がお留とどまりに。— 場をお持ちに。— するとお力が、そっと変わり始めてまいります。— お強いになるからではなく、— 清らかさはお力の本来のお姿でいらっしゃるからでございます。— 執着がなくなるとき、自然にお現れになります。

三毒とその変容三毒

仏教において、苦しみの三つの根本のお原因は三毒 三毒(さんどく)とお呼びされてまいります。— 貪(とん、お貪むさり)、瞋(じん、お怒り)、痴(ち、お無知)。— 真言の伝統において、これらの三毒はお闘いの対象ではございません。— 覆おおわれた三つの智慧ちえのお姿としてお解かいになります。

お貪り — ご自我へのお執着がお手放しになるとき — は、分別ふんべつの智慧ちえとしてお現れになります。— 大切なものとそうでないものをお見分けになるお力。— お怒り — 自己中心がお透き通りになるとき — は、大円鏡智だいえんきょうち(鏡のお智慧)としてお現れになります。— 物事を有ありのままにお見つめになるお力。— お無知 — お気づきがおひらきになるとき — は、法界体性智ほうかいたいしょうちとしてお現れになります。— あらゆるお現れの本来のご性質をお知しりになるお力でございます。

金剛薩埵さまは、この変容のお道みちのりにお寄り添いくださる菩薩さまでいらっしゃいます。— そのヴァジュラは、三毒をお切きり取とるのではなく、— その本来のご性質をお見せくださいます。— だからこそ、金剛薩埵さまの実践は、お修正しゅうせいではなく、— お清めとしてお解かいされてまいります。— お汚れをお取り除くのではなく、— その下に本来からお在(いま)していらっしゃる清らかさを、そっと明あかりに照らしてまいるのでございます。

「三毒は、三智でいらっしゃいます。— ただ、お眼を閉じて見ているだけ。— 金剛薩埵さまの実践は、お眼をお開ひらきになります。— ただそれだけ。— けれども、すべてが変わってまいります。」 マーク・ホサック博士

ヴァジュラとお鈴 — 菩薩さまのお道具どうぐ金剛鈴

お像のうちに、金剛薩埵さまは二つのものをお持ちでいらっしゃいます。— 右の御手にヴァジュラ(金剛杵、金剛杵)、— 左の御手にお鈴(金剛鈴、金剛鈴)。— ヴァジュラは不壊の清らかさを表してまいります。— 男性的な、お働はたらきになる、お切りになるお力でございます。— お鈴は、空の智慧を表してまいります。— 女性的な、お受け取りになる、すべてをお包みになるご性質でございます。

二つを合わせて、ひと対ついでいらっしゃいます。— 清らかさと智慧、方便と悟さとり、慈悲と空。— 真言の伝統の儀礼の実践において、ヴァジュラとお鈴は具体的ぐたいてきな御道具としてお使いいたします。— 御僧の方が両御手にお持ちになり、— その結むすびを通じて、悟りの二つの面の完全なる一つを、お呼よびさましくださるのでございます。

変容をご体験くださいませ

ご自身のなかのダイヤモンド

金剛薩埵さまの実践は、真言霊気の深い段階の道のお一部でございます。— 変容のお力が、ご自身にとってどのようにお現あらわれになるか、静かにお運びくださいませ。

心の道 大日如来