おすわりになります。お目をお閉じになります。そしてそこから始まります。静けさではなく ― そのほかのすべてが、でございます。「意味がございません。」と申される内なるお声。膝のかゆみ。開いたままのお便りのお思いだし。何か間違えていらっしゃるかもしれない、というぼんやりとしたお感じ。
これがお馴染みでいらっしゃいましたら、失敗なさっているのではございません。ご実践のまさになかにいらっしゃいます。瞑想とは、抵抗のないお場のことではございません ― 抵抗との静かなお会いでございます。25年を超えるご実践とお伴のなかで、マーク・ホサックは九つの抵抗を見いだされました。瞑想のなかでくり返し立ちあがる九つでございます。間違いとしてではございません。異常のしるしとしてではございません。お道のひとつひとつに属する自然のお働きとして、でございます。

抵抗が失敗でない理由 障
多くの瞑想のお説きのなかで、実のところとは遠いお姿が描かれます ― はじめての呼吸からすぐに静けさ、清みわたるお心、内なるお安らぎ、というお姿でございます。このお姿をお信じになって反対のことをご体験になる方は、ご自身を不器用とお感じになります。これがもっとも大きなお誤りでございます。
日本のお伝えには障 ― 障、障りのお働き ― という御言葉がございます。仏教のご実践のなかで、障りは敵としてではなく、お道しるべとして仰がれてまいりました。お一つお一つの抵抗が、ご自身のお心の何かを静かにお示しになります。お問いは、どうおなくしになるか、ではございません ― どう向きあわれるか、でございます。
マーク・ホサックはこのお働きを、こうお申し上げます ― 抵抗は湖のうえの波のようなものでございます。すぐに湖が静かになるとお求めにはなれません。けれども、波が来てはお去るのを御覧になることはおできになります ― 波にお呑みこまれずに。これが姿勢でございます。観る。受けいれる。進む。
九つの抵抗 ― ご一覧 九障
このお地図はマークの長年の瞑想のご実践と、幾千もの修行者とのお伴から育ってまいりました。人がおすわりになって内へとお眼を向けになるとき、実のところに立ちあがるお姿を描いております。
- 抵抗 1 お時間のお感じの変わり 五分が三十分のようにお感じになります。お時間が伸びてまいります。お心は外のお刺激のないお場に慣れていらっしゃらないからでございます。当たり前でございます ― そしてご実践のなかで静かに変わってまいります。
- 抵抗 2 内なるお声 「お止めになって。」「お時間の無駄でございます。」「もっと意味のあることをなさってください。」これらのお声はご自身ではございません。習いのお働きでございます。はじめてお耳を傾けになるからお現れになります。お話させてさしあげになり ― おすわりつづけになります。
- 抵抗 3 お時間のお確かめ 常に時計を御覧になりたくなるお気持ち。「あとどれくらい。もうお終わりかしら。」このお働きは、お心が主導権をお離したくないことを示します。ご実践はそれを静かにお離すことでございます。
- 抵抗 4 お身体のお感じ ピリピリ、かゆみ、圧迫感、軽いお痛み。お身体が急にお注意を受けになるからお応えになります。これらのお感じは動きが始まったしるしのこともございます ― 異常のしるしではございません。正しいおすわりの姿のお話もお支えになれます。
- 抵抗 5 お思いとお感情 お記憶が立ちあがります。お心配が浮かびます。お悲しみ、お怒り、お歓び ― すべてが同時に、あるいは速く移ろわれます。混乱ではございません。清めでございます。お心が場を得るとき、お心は静かに整えてまいります。
- 抵抗 6 内なる抵抗 ― 御身に値しないというお感じ これにあずかる資格がないというお感じ。このご実践には足りない、霊性が足りない、規律が足りない、というお感じ。この抵抗はしばしばもっとも奥深く ― そして、お会いになる大切さも一番でございます。
- 抵抗 7 外のおさまたげ お電話。お玄関のお呼びがね。外のお音。外のおさまたげはもっともたやすい言いわけ ― そしてもっともたやすく見抜けるものでございます。抵抗はお音そのものではなく、お音への反応のなかにございます。
- 抵抗 8 つまらなさとせっかちさ 何もお起こりになりません。お幻もお光もご体験もございません。ただ静けさと、お時間を無駄になさっているお感じだけ。つまらなさはお門のお守でございます。耐えられた方はその奥のお場へとお進みになります。
- 抵抗 9 お自疑(ご自身への疑い) 正しくなさっているかしら。このお仕方はそもそもご自身に合っているかしら。別のものをお試しになるべきかしら。お自疑は賢いお考えのなりをすることがございます ― けれども本当のところは、変わりへのお心の最後のお守りでございます。

姿勢 ― 観る、受けいれる、進む 観
九つの抵抗をひとつのお術でお解くことはできません。それが大切でもございません。大切なのは、向きあわれる姿勢でございます。三つのお言葉でおまとめになれます ― 観る、受けいれる、進む。
観るとは、いまお起こりになっていることをお感じになる、ということでございます。お分けへだてなく。お変えになる試みなく。お足にピリピリをお感じでございますか。お感じになる。お声がお止めになるよう申しますか。お感じになる。つまらなくいらっしゃいますか。お感じになる。
受けいれるとは、いらっしゃるものをいらっしゃるままに、ということでございます。弱さのしるしではございません。誤りでもございません。お一つお一つの抵抗が、ご体験のお一部 ― ですからお道のお一部でございます。
進むとは、おすわりつづけになる、ということでございます。お呼吸へ、お真言へ、ご実践へとお戻りになります。お力づくでではなく、抵抗をお認めになったときと同じやさしさで。108呼吸の瞑想のような呼吸の術は、錨としてお支えになります。
真言のお伝えのなかには、これにあたるお言葉がございます ― 観 ― 観、ご観想でございます。頭の分析のご観想ではなく、すべてを包みこむ開かれた広いご観想でございます。まさにこのご観想のお性こそが、抵抗にお戦いをお止めになったときに瞑想のなかに立ちあがります。
抵抗をお道しるべとして 道
定期的にご実践になる方は、不思議なことにお気づきになります ― 抵抗はおなくなりにはなりません。けれども、変わってまいります。初めに越えがたい壁のように感じられたものが、いつしかお馴染みのお連れあいになってまいります。内なるお声はまだお話しになります ― けれども自動的には従われません。つまらなさはまだ来ます ― けれどもその奥に何がいらっしゃるかをご存じでいらっしゃいます。
これは説ではございません。マーク・ホサックが20年を超えるご実践のなかでなさった体験でございます ― 日本のお寺、四国八十八ヶ所のお巡礼、幾千もの静かなご実践のお時間のなかで。そして、真言霊気のお仲間のなかで修行者がくり返しお分かちくださるご体験でもございます。

九つの抵抗のお一つお一つが、お招きでございます。お止めになるお招きではございません ― より奥へと御覧になるお招きでございます。お不快のお奥に息づくものへ。お心がついに聴くだけ静かになったときに顕れるものへ。
瞑想の九つの抵抗は失敗のしるしではございません。 内へのお道のうえの自然のお場でございます。お気づきになる方は明らかさをもって向きあえます ― お戦いではなく、観ること、受けいれること、進むご意志をもって。これがマーク・ホサックが真言霊気のご実践のなかで静かにお伝えになる根もとの姿勢でございます。