おすわりになります。お目めをお閉とじになります。そしてそこから始はじまります。静しずけさではなく ― そのほかのすべてが、でございます。「意味いみがございません。」と申もうされる内うちなるお声こえ。膝ひざのかゆみ。開ひらいたままのお便たよりのお思おもいだし。何なにか間違まちがえていらっしゃるかもしれない、というぼんやりとしたお感かんじ。

これがお馴染なじみでいらっしゃいましたら、失敗しっぱいなさっているのではございません。ご実践じっせんのまさになかにいらっしゃいます。瞑想とは、抵抗ていこうのないお場ばのことではございません ― 抵抗との静しずかなお会あいでございます。25年ねんを超こえるご実践とお伴のなかで、マーク・ホサックは九つの抵抗を見みいだされました。瞑想のなかでくり返かえし立たちあがる九つでございます。間違いとしてではございません。異常いじょうのしるしとしてではございません。お道のひとつひとつに属ぞくする自然しぜんのお働はたらきとして、でございます。

ピョウのお印 ・ 気のお導き、抵抗をお切り抜けるお働き
抵抗 ・ お切り抜けのお印

抵抗が失敗しっぱいでない理由りゆう 障

多おおくの瞑想のお説ときのなかで、実じつのところとは遠とおいお姿すがたが描えがかれます ― はじめての呼吸からすぐに静しずけさ、清すみわたるお心こころ、内うちなるお安やすらぎ、というお姿でございます。このお姿をお信しんじになって反対はんたいのことをご体験たいけんになる方かたは、ご自身じしんを不ふ器用きようとお感かんじになります。これがもっとも大おおきなお誤あやまりでございます。

日本のお伝えには障 ― 障、障さわりのお働はたらき ― という御おん言葉ことばがございます。仏教のご実践のなかで、障りは敵てきとしてではなく、お道みちしるべとして仰あおがれてまいりました。お一つお一つの抵抗が、ご自身のお心の何なにかを静しずかにお示しめしになります。お問といは、どうおなくしになるか、ではございません ― どう向きあわれるか、でございます。

マーク・ホサックはこのお働きを、こうお申もうし上あげます ― 抵抗は湖みずうみのうえの波なみのようなものでございます。すぐに湖が静かになるとお求もとめにはなれません。けれども、波が来きてはお去さるのを御おん覧らんになることはおできになります ― 波にお呑のみこまれずに。これが姿勢しせいでございます。観みる。受うけいれる。進すすむ。

九つの抵抗 ― ご一覧いちらん 九障

このお地図ちずはマークの長年ながねんの瞑想のご実践と、幾いく千せんもの修行者しゅぎょうしゃとのお伴から育そだってまいりました。人ひとがおすわりになって内うちへとお眼まなこを向むけになるとき、実じつのところに立たちあがるお姿すがたを描えがいております。

禅のお印 ・ 完成のお姿
禅 ・ 九番目のお印 ・ 抵抗の完成かんせい

姿勢 ― 観る、受けいれる、進む 観

九つの抵抗をひとつのお術すべでお解とくことはできません。それが大切たいせつでもございません。大切なのは、向きあわれる姿し勢せいでございます。三つのお言葉ことばでおまとめになれます ― 観みる、受うけいれる、進すすむ。

観るとは、いまお起おこりになっていることをお感じになる、ということでございます。お分わけへだてなく。お変かえになる試こころみなく。お足あしにピリピリをお感じでございますか。お感じになる。お声がお止やめになるよう申もうしますか。お感じになる。つまらなくいらっしゃいますか。お感じになる。

受けいれるとは、いらっしゃるものをいらっしゃるままに、ということでございます。弱よわさのしるしではございません。誤あやまりでもございません。お一つお一つの抵抗が、ご体験たいけんのお一部 ― ですからお道のお一部でございます。

進むとは、おすわりつづけになる、ということでございます。お呼吸へ、お真言へ、ご実践へとお戻もどりになります。お力ちからづくでではなく、抵抗をお認みとめになったときと同おなじやさしさで。108呼吸の瞑想のような呼吸の術すべは、錨いかりとしてお支ささえになります。

「抵抗はおさまたげではございません。ご実践そのものでございます。戦たたかわずに向きあわれた方かたは、すでに瞑想のお意味いみを御おんご理解りかいでいらっしゃいます。」 マーク・ホサック博士はかせ

真言のお伝えのなかには、これにあたるお言葉がございます ― 観 ― 観、ご観想かんそうでございます。頭あたまの分析ぶんせきのご観想ではなく、すべてを包つつみこむ開ひらかれた広ひろいご観想でございます。まさにこのご観想のお性せいこそが、抵抗にお戦いをお止やめになったときに瞑想のなかに立たちあがります。

抵抗をお道しるべとして 道

定てい期き的てきにご実践になる方かたは、不思議ふしぎなことにお気きづきになります ― 抵抗はおなくなりにはなりません。けれども、変かわってまいります。初はじめに越こえがたい壁かべのように感かんじられたものが、いつしかお馴染なじみのお連つれあいになってまいります。内なるお声はまだお話しになります ― けれども自動的じどうてきには従したがわれません。つまらなさはまだ来きます ― けれどもその奥おくに何なにがいらっしゃるかをご存ぞんじでいらっしゃいます。

これは説せつではございません。マーク・ホサックが20年ねんを超こえるご実践のなかでなさった体験たいけんでございます ― 日本のお寺、四国八十八ヶ所のお巡礼じゅんれい、幾いく千せんもの静しずかなご実践のお時間のなかで。そして、真言霊気のお仲間なかまのなかで修行者しゅぎょうしゃがくり返かえしお分わかちくださるご体験でもございます。

リンのお印
リン

九つの抵抗のお一つお一つが、お招まねきでございます。お止やめになるお招きではございません ― より奥おくへと御おん覧らんになるお招きでございます。お不ふ快かいのお奥おくに息いきづくものへ。お心がついに聴きくだけ静しずかになったときに顕あらわれるものへ。

大切なお話

瞑想の九つの抵抗は失敗しっぱいのしるしではございません。 内うちへのお道のうえの自然しぜんのお場ばでございます。お気きづきになる方かたは明あきらかさをもって向きあえます ― お戦いではなく、観ること、受けいれること、進むご意志いしをもって。これがマーク・ホサックが真言霊気のご実践のなかで静しずかにお伝えになる根ねもとの姿勢でございます。

個別こべつのご体験たいけんでございます。 結果けっかには個人差こじんさがございます。霊気と霊性れいせいの実践じっせんは、医療いりょうや心理療法しんりりょうほうの代かわりとなるものではございません。
奥の瞑想へ

ご自身のお入口いりぐちをお見みつけになる

真言霊気は瞑想とお真言、お印、悉曇を静しずかに結むすびます ― 千二百年お渡わたされてまいりましたご実践でございます。どのお道がご自身に合あうのか、ご一緒いっしょにお見つけになりましょう。

真言霊気への心こころの道みち 月輪観の瞑想