薬師如来 ・ 瑠璃光のお姿 ・ 薬壺をお持ちのご本尊
薬師如来 ・ 薬壺やっこをお持ちのご本尊ほんぞん

お名前なまえだけが知しられているお御方かた

薬師如来 ― やくしにょらい。癒いやしの如来にょらいでいらっしゃいます。西洋せいようの霊気のなかでお聞ききになった方かたは、お名前なまえはご存ぞんじかもしれません。瑠璃るり色いろのお姿すがた、お手てに薬壺やっこをお持もちのお像ぞうを、お絵えでご覧らんになったことがあるかもしれません。美うつくしいお姿すがたでございます。それで……?

西洋せいようでは、たいていそこで留とどまっておられます。象徴しょうちょうとして。お絵えとして。日本からハワイを経へてお伝つたわりになるあいだに失うしなわれた、文化的ぶんかてきな細こまかなお話はなしとして。多おおくの方かたは、薬師如来とともにご実践じっせんになりません ― ご伝授でんじゅをお受うけになったことがいらっしゃらないからでございます。

まさにここから、ちがいが静しずかに立たちあがるのでございます。

御方おかたのお働はたらき ― 象徴しょうちょうではいらっしゃらない

真言霊気のなかで、象徴しょうちょうは抽象的ちゅうしょうてきな記号きごうではございません。覚おぼえて呪文じゅもんのように用もちいるものでもございません。象徴しょうちょうは鍵かぎでございます。御方おかた ― 仏教と霊性れいせいのお伝つたえのなかで何百年も仰あおがれてまいりました仏尊ぶっそん ― へのお結むすびを静しずかに開ひらいてくださいます。

薬師如来はそうした御方おかたでいらっしゃいます。大日如来だいにちにょらいを通とおって現代げんだいにまで受うけ継つがれてきたお伝つたえの列れつに連つらなられます。そして真言霊気のなかで、このお結むすびは本ほんを通とおしてではなく ― 伝授でんじゅを通とおしてお立たちあがります。

核かくとなるお思おもい

大切たいせつなちがいでございます ― 西洋せいようの霊気では、象徴しょうちょうを描かき、何なにかが起おこることをお願ねがいになります。真言霊気では、御方おかたへの伝授でんじゅをお受うけになり ― お結むすびはそこにすでにございます。象徴しょうちょうは錠前じょうまえを開ひらく鍵かぎのようにお働はたらきになります。伝授でんじゅがなければ、鍵かぎは合あわないのでございます。

鍵かぎと錠前じょうまえのお働はたらき

真言のお伝つたえのなかで、象徴しょうちょうは鍵かぎと錠前じょうまえのように働はたらきになります。伝授でんじゅが、象徴しょうちょうと霊性れいせいのお力ちからとを ― 象徴しょうちょうを通とおって流ながれてくる御方おかたのお気きとを ― 静しずかに結むすびます。

このお結むすびがなければ、どなたでも象徴しょうちょうを描かけます。正ただしく見みえます。けれど、お力ちからは流ながれません。錠前じょうまえに合あわない鍵かぎのようでございます。

もうひとつのお面めんがございます ― 象徴しょうちょうがより正確せいかくにお書かきされるほど、お結むすびはより静しずかに働はたらかれます。正確せいかくでない象徴しょうちょうは、時ときとともにお働はたらきが弱よわまります。迷信めいしんではございません ― 何百年もにわたるご実践じっせんのなかで、正確せいかくさとお真心まごころがともに働はたらかれることの結果けっかでございます。

三密 ― 身と口と意

真言密教のなかには、すべてに染しみわたるお言葉ことばがございます ― 三密 三密でございます。身みと口くちと意いでございます。お話はなしのうえではなく、同時どうじのご実践じっせんとして。

身
身み
しん
御手みてがお印いんを結むすばれます ― ご身体しんたいを御方おかたへと静しずかに向むけられる儀礼ぎれいのしぐさでございます。
口
口くち
く
お口くちがお真言しんごんを静しずかに唱となえられます ― 御方おかたとのお結むすびを立たちあげる聖せいなるお音おとでございます。
意
意い
い
お心こころがご観想かんそうになります ― 象徴しょうちょう、御方おかた、流ながれていくお気きを静しずかにお抱いだきになります。

ご実践じっせんのなかで三密を同時どうじにお用もちいになるとき ― 御手みてのお印いん、お口くちのお真言しんごん、お心こころのなかの象徴しょうちょうを ― お気きは一点いってんに静しずかに集あつめられます。三密はお気きを増ふやしません。静しずかにまとめてくださいます。お日ひのお光ひかりを集あつめるお虫眼鏡むしめがねのようでございます。

まさにこのご実践じっせんを、三井寺臼井甕男は鞍馬山くらまさんでご体験たいけんになりました。そして西洋せいようの霊気のなかでは、ほぼ失うしなわれてしまった実践じっせんでもございます。

観音さまの御前で静けさに身を委ねるマーク・ホサック ・ 薬師如来とのお結びのご実践
観音かんのんさまの御前みまえのお静しずけさ ・ 癒いやしのご実践じっせん

真言霊気のなかの薬師如来

真言霊気の第だい一いちのご段階だんかいで、薬師如来のお力ちからへと伝授でんじゅをお受うけになります。象徴的しょうちょうてきなお働はたらきではございません。直じかのお伝つたえでございます ― 9世紀の弘法大師さまの頃ころから真言の伝統でんとうのなかで静しずかに続つづけられてまいりました、瞑想めいそうと身体的しんたいてきな霊性れいせいのご実践じっせんのお結むすびでございます。

薬師如来は大日如来だいにちにょらいのお伝つたえの列れつにお立たちでいらっしゃいます ― すべての霊性れいせいのいのちのお気きがお出いでになる宇宙うちゅうの仏ほとけでいらっしゃいます。十二じゅうにのお大誓願だいせいがんには、すべてのいのちを苦くからお解とき放はなつというお願ねがいがおさめられております。お光ひかりは瑠璃るりと表あらわされてまいりました ― 深ふかい青あお、清すみわたり、染しみわたるお光ひかりでございます。

伝授でんじゅのあとに、このお結むすびをご自身じしんのなかにお持もちになります。御手みてをおあてになるとき、ただ「お気き」が流ながれるのではございません ― 何百年も仰あおがれてまいりました御方おかたのお力ちからが静しずかに流ながれていかれるのでございます。

御手みてをおあてになるとき、あたたかさだけでなく、ご臨在りんざいを静しずかにお感かんじになる ― ご自身じしんを通とおって静しずかにお働はたらきになる何なにかを。願望がんぼうではございません。薬師如来への伝授でんじゅのあとの修行者しゅぎょうしゃが静しずかにお伝つたえくださることでございます。 マーク・ホサック博士はかせ
金色の薬師如来のご本尊と、お香とお祭壇のあるお寺のお堂
薬師如来やくしにょらいのお堂どう ・ 金色こんじきのご本尊ほんぞん

なぜ今いま、薬師如来でいらっしゃいますか

霊気がしばしば癒いやしの休息きゅうそくに還元かんげんされる時代じだいのなかに、薬師如来は本来ほんらいの志こころざしを静しずかに思おもいださせてくださいます ― ご自身じしんそのものの展ひらけでございます。身体しんたいとお心こころのお結むすびでございます。本ほんからではなく、息いきづくお伝つたえからお出いでになる霊性れいせいのお力ちからでございます。

薬師如来は過すぎ去さった時代じだいのお名残なごりではいらっしゃいません。真言霊気が多おおくの方かたがご存ぞんじのものとちがって感かんじられる理由りゆうでいらっしゃいます。技わざのみがお伝つたえされるのではございません ― 伝授でんじゅを通とおって目覚めざめるお力ちからがお伝つたえされるからでございます。

これははじめにすぎません。薬師如来は真言のお伝つたえのなかにいらっしゃる多おおくの御方おかたのお一人ひとりでございます ― 不動明王、千手観音、地蔵菩薩、大日如来、ほかにもいらっしゃいます。それぞれが異ことなるご実践じっせんのひろがりを静しずかに開ひらかれます。それぞれが独自どくじの伝授でんじゅを通とおって静しずかにお近ちかづきになれるのでございます。

個別こべつのご体験たいけんでございます。 結果けっかには個人差こじんさがございます。霊気と霊性れいせいの実践じっせんは、医療いりょうや心理療法しんりりょうほうの代かわりとなるものではございません。
薬師如来とのお会あい

薬師如来のお力ちからに触ふれる

真言霊気の第だい一いちのご段階だんかいで、薬師如来への伝授でんじゅをお受うけになります。三みっつの日ひのあいだに五いつつの伝授でんじゅ ― そしてちがいを静しずかにお感かんじになります。

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