五戒(ごかい)— 臼井先生の御訓 · マーク・ホサックの書
五戒 · マーク・ホサックの書

五つのお言葉ことば。— 朝に、夕に。— 手を胸むねの前に合あわせ、お心を内へとお向けになります。— アファメーションのように、ご自身に言いい聞きかせるのではございません。— 観想として — その言葉ことばがご自身のうちに何を呼よび覚さますか、— ただ静かに、判断はんだんを差さし挟はさまずに、見みつめてゆくお業でございます。

臼井先生の御訓 — 五戒 五戒 — は、霊気の世のうちで、最もよく引ひかれる、— けれども最も理解りかいされてはおらぬお言葉ことばのひとつでございます。— ことの素朴さの奥おくには、深い意味いみのお層そうがございます。— 日本語の原文を、漢字ひとつひとつ拝して、はじめて見えてくるものでございます。

ここでは、まさにそれを行ってまいります。

二ふたつの典拠てんきょ、ひとつのお業二源

臼井先生の五戒には、ふたつの典拠てんきょがございます。— ひとつは、よく知られている臼井先生のお写真にお書きになっている御書しょ。— もうひとつは、東京・西方寺の御墓誌の碑文の一節でございます。

いずれにも五戒は記されておりますが、— その長さ、お言葉、深さに違いがございます。— 御書のほうは、ご簡潔かんけつです。— ふたつのお題、短いお序じょ、五つの御訓、瞑想のお導みちびき、そして臼井先生のお名。— 御墓誌のほうは、五戒を、より豊ゆたかなお背景はいけいに置かれており、新あらたな次元じげんが見えてまいります。

御墓誌は、歴史の鍵かぎとなるお言葉ことばを用いており、— 一見ではわからぬ多くの意味いみのお層そうがございます。— 日本の文化、歴史、霊性に親しむ方は、これらのお言葉から、習熟しゅうじゅくのない目めには隠かくれている情報じょうほうのお層を、読よみお取とられます。

御書のお題だい秘法

御書の最初の二行が、お題だいでございます。— 五戒のお方法ほうほうとお働はたらきを、明らかにいたしております。

招福
招福の秘法 — 招福しょうふくの秘法ひほう
幸しあわせをお招まねきする秘ひのお業。漢字「秘」 秘は、ひそやかに隠かくされたものを指さします。— 日々のお修おさめによって、はじめてその奥おくのお意味いみがお開ひらけになります。
靈薬
万病の靈薬 — 万病まんびょうの霊薬れいやく
無数むすうのお悩なやみのための霊性の薬くすり。— 万 万は一万いちまん — 無数むすうを象徴しょうちょうするお言葉ことば。— 病 病は、お身、お心、お魂たましいのお悩なやみすべて。— 靈 靈は霊気れいきと同おなじ漢字で、形かたちのなきものすべて、霊性すべてを指します。— 薬 薬は薬草やくそう。— けれどもここでは、霊性のお働はたらきとしての象徴の薬草やくそうとして、お心に向けてお働はたらきするものとして、お受うけ取りいただけたらと存じます。

五戒 — 漢字ひとつひとつ五戒

一
今日丈けは 怒るな
Kyō dake wa okoru na
今日きょう丈だけは — 怒るな。
今日きょう丈だけは — 「ただこの今のお日ひのために」。— ご注意ちゅういを「今いま、ここ」へとお連つれになるお呼よびかけでございます。— 後あとへ送おくることなく、逸それることなく。— このお心のあり方は、禅のお修おさめにも親しまれておりますが、その根ねは、臼井先生がご縁の深かった天台宗のお伝統でんとうにもしっかりと息いきづいております。— なは感嘆かんたんの語でございます。— 「お差さし控ひかえくださりますよう」というお促うながし。— 西洋では「これは否定ひていではない」とご批判もございますが、まさにそのとおりでございます。
二
心配すな
Shinpai su na
心配しんぱいすな。
心配しんぱいは、文字どおり「心こころが負マイナスのもので満みたされている」お姿でございます。— ご心配のとき、心は過去かこか未来みらいのうちにございます。— エネルギーは、ご注意とともに流れます。— ですから、今いまのこの瞬間しゅんかんに、お力が残のこらなくなってしまうのでございます。— ご心配が疲つかれをもたらす所以ゆえんが、ここにございます。
三
感謝して
Kansha shite
感謝して。
すべてのものごと、すべてのご体験たいけんに、能動的のうどうてきに感謝のお気持きもちをお示しめしになる、というお呼よびかけ。— 受うけ身みのお姿勢しせいではなく、意識的いしきてきなお業でございます。— ここで感謝は、エネルギーのお業となります。— ご注意を、「ある」ことのほうへとお向けになり、「欠かけている」ことから離はなします。
四
業をはげめ
Gō wo hageme
業ぎょう(カルマ)に専心せんしんなさい。
この御訓は、最も多く誤あやまって訳やくされているお言葉ことばでございます。— 漢字「業」、お読よみ「ごう」、— これは仏教の専門用語せんもんようご「業カルマ」でございます。— 多くの西洋の方々は、「ぎょう」(産業さんぎょう、商売しょうばい)と誤あやまってお読よみになり、「勤勉きんべんに働はたらけよ」とお訳しになりました。— けれども、この文脈ぶんみゃくでは、どの辞典じてんもこのお読よみを支持しじいたしません。— 五戒は霊性のお言葉ことばでございます。— 商売のお呼よびかけが、ここに置かれる由よしがございましょうか。
五
人に親切に
Hito ni shinsetsu ni
人に親切に。
人とは、ただ人間にんげんだけを指さすお言葉ことばではございません。— あらゆる生いけるもの、— 動物どうぶつ、植物しょくぶつ、そしてご自身も含ふくまれます。— 親切は、ご自身からはじまります。— ご自身に厳きびしくお当あたりになる方には、— 他のお方への親切のお力が残のこらないものでございます。

瞑想のお導みちびき合掌

五戒に続つづき、御書には、こまやかな瞑想のお導みちびきが記されております。— よく見過みすごされてしまうのですが、— まさにこのお導みちびきが、お業の鍵かぎでございます。

合掌
朝夕あさゆう合掌して — Asayū gasshō shite
朝な夕な、お手を胸の前にて合掌になさってくださいませ。— 朝夕あさゆうは「お一日のすべて、お夜のすべて」を意味することもございます。— ですから、いつでもお修おさめいただけます。— 合掌がっしょうはムドラー — 瞑想のお手のかたちで、日本ではどなたさまもご存じの姿でございます。
心念
心に念じ — Kokoro ni nenji
ご注意を、霊性の心(おこころ)に向けてくださいませ。— 心こころはお身の心臓ではございません。— 胸のあたりに位置いちする、霊性の心でございます。— 念ねんじは、「今」と「霊性の心」のふたつの字じから成ります。— 「今いま、霊性の心へとおいでくださいませ」、と。— 仏教における観想かんそうの瞑想へのお呼よびかけでございます。
口唱
口に唱えよ — Kuchi ni tonaeyo
お口にて唱となえてくださいませ — 声こえに出して、はっきりと。— これは、密教の三密さんみつ — 身、口、意 — のお導みちびきでございます。— 身は合掌、口は声に出してお唱え、意は心の中の観想。— この三みつつすべてが、同時にひとつのお業として動きます。
奥おくに潜ひそむ構造

瞑想のお導みちびきは、三密さんみつ — 真言宗(真言密教)における身・口・意のお業わざを、— まさに正確せいかくにお映うつしになっております。— 身は合掌、口は声に出してお唱え、意は心の中の観想。— 臼井先生は、密教のお業のすべての核かくを、わずかな言葉ことばのうちにお込こめになりました。

御墓誌が添そえるもの碑文

御墓誌の碑文は、五戒に、ひとつの大切な次元じげんを添そえております。— 臼井先生のお業は「お悩みやお習いのお支えのみに限かぎられるべきものではない」と明あきらかにし、— むしろ、天賦てんぷの霊能を土台どだいとして、霊性の心をお磨みがき、お身を健やかにお保たもち、お豊かなお暮らしをお受うけ取られる — そのご本意ほんいを掲かかげております。

「これは、まさに霊力れいりょくのお展開てんかいにおける大変重要なお導みちびきでございます。— これは、古いにしえの聖賢せいけん方のお歩みになった、ひとつのお道みちでございます。」 臼井先生御墓誌の碑文 — マーク・ホサック博士訳

御墓誌は、五戒を 修養 修養 — 深い、絶え間なきお修おさめによってのみお到いたるお業 — として記しております。— 観想の瞑想と、山々への巡礼が、そこに含まれてまいります。— このお見方では、五戒は道徳どうとくのお勧すすめではございません。— 心を転てんじてゆく、ひとつの具体ぐたいのお道具どうぐでございます。

また、御墓誌には、お師匠さまのご役目やくめについても、興味深い記述がございます。— 「卑近ひきん」 卑近のお言葉ことばを用もちいて、深い仏教のお知恵ちえを、どなたさまにも親したしめるかたちにお整ととのえする、と記されております。— まさにそれを、臼井先生は五戒においてなされました。— 密教のお核かくを、五つの素朴なお言葉ことばに凝こらされたのでございます。

五戒 — エネルギーのお業として氣

五戒のうちには、ひとつの秘ひめごとが潜ひそんでおります。— 表面的ひょうめんてきに眺ながめていては、見えてはまいりません。— ひとつひとつの御訓は、ご自身のエネルギーをお集あつめになり、お保たもちになるお方かたを、そっと指さし示しめしております。

お怒りになったあとで、すぐにお疲つかれになるご経験けいけんはございませんでしょうか。— ご心配のあとで、お力が抜ぬけるようなお感かんじはございませんでしょうか。— それは偶然ではございません。— お怒り、ご心配のとき、エネルギーがお漏もれになるからでございます。— ご自身、または他のお方にお優しくなき折、何かをお隠かくしになる折、ご自身を大きくお見みせになる折にも、同おなじことが起こります。— エネルギーは、それらの状態のうちに流れ去り、— 真にお養やしないになるべきもののために、お力が残らなくなってしまうのでございます。

五戒は、この原理げんりを逆ぎゃくになさいます。— お怒りなく — エネルギーが残のこります。ご心配なく — エネルギーが今ここに留とどまります。感謝 — ご注意を「ある」ことに向けます。業の専心 — エネルギーを霊性のご展開てんかいへと向けます。親切 — エネルギーをお外そとへと開ひらくものの、枯からせはなさいません。

そのお原理げんり

エネルギーは、ご注意のあとを追おって流れます。— ご心配のとき、お心はどこにいらっしゃいますでしょうか。— 過去か未来でいらっしゃいます。— そして、エネルギーもそこに行ってしまいます。— 今のこの瞬間ではなく。— 五戒は、エネルギーを「今、ここ」へとお繋つなぎ留とめる、五つのお導みちびきでございます。

ですから、五戒は、まだお元気なうちにお修めになるのが、よろしゅうございます。— すでにお疲れになってからでは、もう一度バランスにお戻りになるのに、より大きなお力が必要ひつようになってしまいます。— エネルギーが豊ゆたかなうちに、その余あまりからお汲くみになることが、まずもってよろしゅうございます。

多くの方々が誤あやまってお取りになるところ誤解

五戒は、アファメーションではございません。— ご自身に「すべてはうまくいく」と言いい聞きかせるためのものではございません。— 観想として、— その言葉ことばをお見つめになり、判断なきままに味あじわってまいります。— 「今日丈けは — 怒るな」と聴きかれたとき、ご自身のうちに何が起こりますでしょうか。— ご抵抗ていこうがございますか。— ご安心あんしんがございますか。— ひと息いきの静しずけさがございますか。— まさにそれが、観想でございます。

五戒は、お説教せっきょうでもございません。— 臼井先生は、お行儀ぎょうぎのよい人々をお育そだてになりたかったのではございません。— 心を清きよめ、エネルギーをお集めになり、すべての方々に備そなわる霊能れいのうをお目覚めになる、ひとつのお業をお伝つたえになりたかったのでございます。— 倫理りんりのお働はたらきは、おのずからついてまいります。— 全人をお包つつむお業の、ひとつのお添そえのお働きとして。

また、五戒は一度限いちどかぎりのお業でもございません。— 今日丈けは — 「ただ今日のために」 — それは、毎日新あらたに、ということ。— お義務ぎむのお修おさめとしてではなく、生いきたお出会であいとして。— お言葉ことばはお変わりになりません。— けれども、ご自身がお変わりになります。— そして、お言葉ことばのうちに見えてくるものが、お繰くり返かえすごとに深まってまいります。

日々のお修おさめとして

御訓を、ご一緒に。

五戒は、真言霊気の日々のご実践の土台どだいでございます。— 朝な夕な、観想として、心の中で。— ご自身に親しんでまいる、ひとつのお業として。

真言霊気とは 臼井甕男とは