
ひとつのお業 — そして、ひとつの誤解
今日、「霊気」とお聴きになる方が、まずお連想になるのは、おくつろぎ。— 暖かなお手のかたち。— ヨガとお鈴のお音のあいだのウェルネスのお応用でいらっしゃるかもしれません。
それは誤りではございません。— けれども、それは、海を水遊びのプールにお例えになるのと、ほとんど同じことかもしれません。— 表面はそのままでございます。— けれどもその下には、まったくひとつの世が広がっております。
臼井甕男先生は、皆さまをおくつろぎになるために霊気をお整えになったのではございません。— 全人 — お身、お心、お魂、— そしてその奥を超えるお力 — に触れるお業を、お整えになったのでございます。
御墓誌に記されているもの
東京に、ひとつの石が立っております。— 1927年(昭和2年)、臼井先生がお亡くなりになって一年、— ご後継の岡田正之先生によって、お建ちになりました。— その石には、— 臼井先生がお願いになっていらしたこと、— 先生がどなたであったか、— お業がいかにお生まれになったかが、刻まれております。
私は、この一文を日本語の原文にてお読みになり、お訳しになりました。— そこに記されておりますことは、— 西洋の本だけから霊気をお知りになる多くの方々を、まこと驚かせるものでございます。
「霊性のお業は、ただお悩みやお習いをお支えするだけにとどまるものではございません。— 大切なお所は、— 天賦の霊能 — 生まれながらにお授かりの霊性のお力 — を土台として、行ずる方を、霊性のお心をお磨き、お身をお健やかにお保ち、お豊かなお暮らしをお受け取られるよう、お導きすることにございます。」
臼井先生御墓誌、東京 — マーク・ホサック博士訳おくつろぎではございません。— ただ手を添えるお業を目的とするものでもございません。— むしろ、霊能のご展開を土台として、霊性のお心をお育みになる、ということでございます。
これは、西洋にて霊気となったものとは、— まこと大きな違いでございます。
臼井先生は、真にどなたでいらしたのでしょうか
臼井甕男先生は、1865年(慶応元年)8月15日、岐阜県の谷合村にお生まれになりました。— 戒名は行伴でいらっしゃいました。— 御墓誌は、先生を、生まれながらの才能、大いなるご好奇心、そして歴史の記録をお読みになることへの情熱をお持ちの御方として、記しております。
医学のご専門書、仏教の経典、東アジアの聖なる典籍 — 仏教、道教、神道 — に親しまれた御方でいらっしゃいました。— 御墓誌は明確に申しております。— 「魂のお状態のお知識から、超能力をお持ちの仙人方の道のお修法、お呪いの解きや霊力のお業、お占い、人相のお見立てまで、— お知りでないものは、何ひとつなかった」と。
これは、ウェルネスのお業をお探しになっていた御方の姿ではございません。— 命の奥に潜むお力を貫こうとなされた、ひとりの研究者の御姿でございます。
臼井先生は、偶然ひとつの技術をお発見になった癒やしの方ではございません。— 日本の霊性の伝統の奥を深くお修めになった研究者でいらっしゃいました。— そして、そのお業は、長年にわたる密教のご実践、瞑想、— そして修験道、神道のうちにある仏教とシャーマニズム的な道教の奥義とのお取り組みのなかから、お生まれになったものでございます。
鞍馬での三週間
鞍馬の山は、京都の北方に位置しております。— 日本語には単数と複数の区別がございません。— ですから、多くは「鞍馬山」とお訳しになります。— けれども、実際にはひとつの山系でございます。— いくつもの峰が、サドルのような稜線でつながっております。— 鞍馬のお名前は、馬のサドル(鞍)の意味。— ふたつの峰のあいだに、ゆるやかにくだる稜線が、— まさに馬のサドルのように連なっております。
鞍馬の山には、何百年にもわたり、— 霊性のお力をお得るための苦修のお場所が無数にございます。— これは、臼井先生のご当時にもよく知られたことでございました。— おそらく、— このような営みにとって、その地のお力がとくに恵まれている、と言い伝えられていたゆえに、その地をお選びになったのでございましょう。
臼井先生は、三週間、断食と瞑想をなさいました。— 二十日目から二十一日目の夜、— ご頭頂に大いなるお力 — 靈氣、霊気 — をお感じになりました。— 御墓誌は申しております。— 「豁然として霊気療法を得たり」 — お突然と、霊性のお業の道をお授かりになりました、と。
けれども、大切なお所はこちらでございます。— そこにお起こりになったことは、偶然のお発見ではございません。— 長年にわたるお意図のあるご探求の結実でございました。— 臼井先生は、お探しのものをご存じでいらしたのです。— そして鞍馬の山は、八世紀以来、— 多くの方々が悟りのご体験を得られてきたお地でございました。
五戒 — 親切なお勧めではなく
西洋では、五戒は、しばしば、お素敵なお勧めとしてお受け取りになります。— 壁に掲げる五つのお言葉として。— けれども、御墓誌は、五戒をまったくひとつの背景のうちにお位づけております。
- 一 今日丈けは 怒るな。
- 二 心配すな。
- 三 感謝して。
- 四 業をはげめ。
- 五 人に親切に。
そして、御墓誌は、ひとつの決定的なお言葉を添えております。
「これは、まことに、霊力のご展開における大変重要なお導きでございます。— これは、古の聖賢方のお歩みになった、ひとつのお道でございます。」
臼井先生御墓誌 — マーク・ホサック博士訳五戒は、お勧めではございません。— 霊力のお展開のための、お業の方法でございます。— 原文の言葉は、正にそれを表しております。— 心のお力をお展開になり、超感覚のお力をお育みになる。— 五戒は、そのためのお道具でございます。
臼井先生は、ご仲間方に、— 朝な夕な、正座をして、お手を胸の前に合掌になり、五戒を声に出してお唱えになり、— 心を内へとお向けになるよう、お指南になりました。— 身、口、意 — 三密。— 真言密教(密教)のうちにて、何百年にもわたりお修められてきたお業でございます。
西洋に渡るうちに、忘れられたもの
霊気がハワイ経由で西洋にお渡りになったとき、— 手を添えるお業を超えるものほぼすべてが、お忘れになりました。— 五戒は、親切なお勧めとなりました。— 仏菩薩 — 薬師如来、千手観音、毘沙門天 — はお忘れになりました。— 仏教とシャーマニズムの次元はお消えになりました。
残ったのは、お働きはあるものの、— 臼井先生が真にお願いになっていらした姿の一片のみのお業でございました。
御墓誌は、これを明らかに記しております。— 「顧ふに霊法の主とする所は獨り疾病を療するに止まらす」 — この霊性のお業は、ただお悩みやお習いをお支えするだけにとどまるものではございません、と。
臼井先生は、完全な道をお願いになっていらっしゃいました。— 心のお力をお開くお道。— 実践とご伝授がお手と手を取り合うお道。— まさにそれが、真言霊気のうちに今も息づいているのでございます。— 西洋の伝承が終わったところから、お始めになっておりますから。
象徴ではなく、なぜ仏菩薩でしょうか
鞍馬寺では、三尊の仏菩薩が三位一体としてお祀りになっております。— 千手観音、千の御腕のお慈悲の菩薩。— 毘沙門天、光のお守護神。— 魔王尊魔王尊、日本の龍のシャーマニズムの祖。
ともにあり、お愛、お光、お命のお力をお表しになります。
ここから、まこと興味深くなってまいります。— 霊気の象徴 — 直霊(チョクレイ)、性癖(セイヘキ)、本者是正念(ホンシャゼショウネン)、大光明(ダイコウミョウ) — は、これらの仏菩薩のご礼拝と、日本の儀礼のお伝統に源を持っております。— 直霊は、天と地のご礼拝のための儀礼のお導き — その結びと融合、霊性のお力をお呼ぶお業でございます。— 性癖のお象徴は、悉曇文字のキリーク — 千手観音の種字 — に由来いたします。— 本者是正念は、塔を象った姿でございます。— あらゆる命と大日如来の太陽の仏さまとを結ぶ象徴でございます。
真言霊気においては、私どもは象徴のみとお業をお修めになるのではございません。— 仏菩薩そのものとお業をお修めになります。— ご伝授を通じて、瞑想を通じて、— 身、口、意の三密を通じて。— 臼井先生がご体験になられたままに。