もう、外なる敵はいらっしゃいません。— 戦場せんじょうもございません。— 抜ぬくべき剣けんもございません。— それでも、お感かんじになるのではございませんでしょうか — 明らかさへのお憧あこがれ、お強さへのお憧れ、すべてをお運はこびくださるお姿勢しせいへのお憧れを。— 武士、というお言葉が、何かをお動うごかしてまいります。— 戦いがしたいから、ではございません。— こうお感じになるからでございます — そこに、ただの安楽あんらくよりも多くのものをお求もとめになる道がある、と。

霊的な武士は、暴力ぼうりょくとお関わりがございません。— 攻撃こうげきとも。— 戦いをご美化びかになることとも。— たったひとつのお問といとお関わりでございます — ご自身のうちにあるものに、お向き合いになるご覚悟がおありでしょうか、と。— お惧れ。— お疑い。— お怠け。— 終わりなき気きの散らされ。— これらが、まことの相手あいてでいらっしゃいます。— そして、外なるどの敵よりも手強てごわくいらっしゃいます。

内なる相手 — どの剣よりも手強き敵

お惧れには、草くさのなかの蛇へびはいりません。— ひとつの念ねんで足たります。— 「うまくいかないかもしれない」とお思いになる、たった一つの瞬間で — もう、お動きにならなくおなりです。— ご自分へのお疑いには、負まけはいりません。— 「お前にはふさわしくない。お前は足たりない。お前など何者なのか」と囁ささやく声こえで足たります。

日本の武士の伝統は、これらの内なる相手をよくご存ぞんじでいらっしゃいました。— 剣のお術には、四つの毒どくがございます — 驚 驚(きょう)、お驚おどろき。懼 懼(く)、お惧れ。疑 疑(ぎ)、お疑い。惑 惑(わく)、お迷まよい。— 剣のお師方が、このうち一つでもお抱いだきでいらっしゃると、戦う前にお負まけになります。— ご術わざがお劣おとりでいらっしゃるからではございません。— お心が、明らかでないからでございます。

今のあなたさまは、剣をお持ちではいらっしゃいません。— けれども、四つの毒は、同じものでございます。— ご判断はんだんのお前まえでお迷まよわれる — それは 疑、お疑いでございます。— ご携帯けいたいを巡めぐって、お動うごきにならない — それは 惑、お迷いでございます。— むずかしいお会話かいわをお避さけになる — それは 懼、お惧れでございます。— 内なる相手は、お変わりにならないのでございます。— ただ、戦場のお姿が変わってまいったのでございます。

武士のお質 — お強さ、明らかさ、ご決意力

戦いがないとき、武士をお形作かたちづくるものとは、何でいらっしゃいましょうか。— 三つでございます。— 内なるお強さ — まわりが揺らいでも、ご自身が安定あんていなさるお力。— 明らかさ — 気の散らされの霧きりを透とおして、まことのことをお見極めになるお力。— そしてご決意 — ひとつのお決めをなさり、それが不ふ都合つごうになっても、お担にないになるお力でございます。

これらのお質は、生まれつきではございません。— お育そだちになります。— お修めを通じて。— 反復を通じて。— 体がお疲つかれになっても、心がお休みをお求めになっても、毎朝お立たち上がり、お進みになることを通じて。— 剣のお師方が、ひと週末しゅうまつでお鍛きたえになるのではございません。— 霊的武士もまた、同じでございます。— ご自身をお形かたちづくられるのは、ひとつのお体験たいけんではございません — お道そのものでございます。

ここに、お核心かくしんのお違ちがいがございます — お心のあるお強さは、ただの攻撃とはお異なりでございます。— 攻撃は、お見みえになることなく突つき進すすみます。— 何もお築きずきにならず、お壊こわしになります。— 武士のお強さは、静かでございます。— お観みつめになります。— ふさわしき瞬間をお待まちになります。— そしてお動うごきになるとき、怒いかりではなく — 精度せいどをもってでございます。— 日本の伝統では、これを 不動心 不動心(ふどうしん) — 揺るがぬ心 — とお呼びいたします。— 固いのではなく。— 冷たいのでもなく。— 深く根を下ろされ、何事にもお動じにならない、静かなお質でございます。

「まことの武士は、他の方々と戦うのではございません。— ご自身のお怠け、お惧れ、ご安楽あんらくと戦うのでございます。— 毎朝、新たに。— そしてまさにそれが、武士をお強くいたします — お弱よわさの不在ふざいではなく、お弱さとの毎日のお関かかわりが、でございます。」 マーク・ホサック博士

五戒 — 武士の毎日の規範五戒

臼井甕男うすいみかお先生は、五つのお言葉ことばをお遺のこしになりました — 五戒 五戒(ごかい)。— 西洋では、よくお優しいご助言じょげんのように扱あつかわれてまいります。— 怒らないで。— 心配しないで。— 感謝して。— ご自身を磨いて。— 人に親切に。— ご無害むがいに聞きこえます。— けれども、まことには、別のものでございます — 毎日の武士のお規範でございます。

「今日きょうだけは怒らず」 — これは、お気楽きらくな暮らしのお助言じょげんではございません。— 一つのお挑いどみでございます。— 一日だけ、お試ためしくださいませ。— たった一日。— 渋滞じゅうたいへのお怒りなく。— おいでにならぬ知しらせへのお怒りなく。— ご自身へのお怒りなく。— お気づきになるはずでございます — ご自身の心をかくお導みちびきになるには、剣のお師の集中のお力をお要しいただく、と。— まさにそれが、臼井先生のお意いでいらっしゃいました。

「今日だけは心配せず」 — お心配は、まだいらっしゃらない未来みらいに心が跳とんでまいることでございます。— 武士は、それをお許ゆるしいただけません。— お心配のうちに住すむ方は、どこにもお住みにならないのでございます。— ただ一つのお働はたらきが可能な瞬間 — 今いま — をお逃のがしになります。— 五戒のこのお言葉は、無心 無心(むしん) — 空のお心、現在げんざいのうちに完全にお休やすまりになるお心 — のお修めでございます。

「業ぎょうを励はげめ」 — お原典げんてんには 業を励め とございます。— 業とは、ご職業のお意味ではございません。— 霊的なお修めのお意味でございます。— ご生涯しょうがいのお働はたらき、というお意味でございます。— 毎日、お修めくださいませ。— お気のお向きのときに、ではなく。— ご事情がお揃いのときに、でもなく。— 毎日、でございます。— これが、もっとも純粋なかたちの武士のお規律きりつでございます。

真言霊気 — 武士のお道修行

真言霊気のうちで、武士の次元じげんはお添そえのものではございません。— ご土台どだいでございます。— 毎日のお修め — 瞑想めいそう、エネルギーのお働き、真言、印 — は、武道のお修めと同じ御原理ごげんりにお従したがってまいります — 修行 修行(しゅぎょう)、毎日のお修めでございます。— 誰かにお命めいじられた義務ぎむとして、ではございません。— ご自身がお進みになる道として — お進みになるうちに、お変えくださることをご体験たいけんになったから、でございます。

この実践のお源でいらっしゃる真言の伝統は、密教みっきょう、修験道、神道しんとう、シャーマン的道教どうきょうに深く根ねを下ろしていらっしゃいます。— 修験道の山やまの行者ぎょうじゃ — 山伏 山伏(やまぶし) — は、お心の武士でいらっしゃいました。— 山にて断食だんじきになり、滝たきのもとで瞑想なさり、火のうえをお歩あるきになりました。— ご自身をお示しになるためではございません。— ご自身のお心の境界きょうかいをご体験たいけんになり、それを越こえてまいるためでございました。

真言霊気は、このお遺産いさんをお担にないいたします。— 灌頂かんじょう、お力のお移し、不動明王 不動明王(ふどうみょうおう) — 武士の守護尊そん — を伴う深きお修めは、お優しいくつろぎの体験たいけんではございません。— ご入門にゅうもんのお儀ぎでございます。— お越こえになる敷居しきいでございます。— そして、どの敷居にもひとつのお求もとめがございます — 古きものをお放しになり、未知みちのものへとおいでになるご勇気ゆうきでございます。

お核のところ

霊的な武士は、戦う方ではございません。— お歩あるみになる方でございます。— 毎日、道をお進みつづけになると、お決きめになる方でございます — お惧れを通じて、お疑いを通じて、お安楽あんらくを通じて。— 真言霊気は、まさにこのお道でございます。— ご講説こうせつとしてではなく。— 水が石いしをお形かたちづくりますように、ご自身をお形づくる、毎日のお修めとして。

お心のあるお強さ — 攻撃とのお違い心

霊的な武士を、ほかのあらゆるお強さの解かいから分わかつお言葉がございます — お強い方だけが、まことに柔やわらかでありえます、と。— お強さなきお柔やわらかさは、お弱さでございます。— お柔らかさなきお強さは、残虐ざんぎゃくでございます。— 一方が他方なくしては、不完全でございます。

武道のうちでは、これは 柔 柔(じゅう) — お譲ゆずり、お柔らかさ — というお言葉のうちに現れてまいります。— 柔道じゅうどうや柔術じゅうじゅつのお名なと同じお言葉でございます。— 武道の最高さいこうのお段だんは、最もっともお硬かたき技わざではございません。— 最も柔やわらかきものでございます。— お攻せめをお力ちからでお受うけるのではなく、お譲りで導みちびき変かえになる方は、少すくなきお力で多おおくのお働はたらきをお得えになります。— 柔らかきものは、硬きものに勝かつ — 道教に深く根を下ろされたお原理げんりでございます。

真言霊気のうちにも、同じ御原理が現れてまいります。— もっともお強き行ずる方々は、もっともお大声おおごえの方々ではいらっしゃいません。— もっともお静かな方々でいらっしゃいます。— お一言もおっしゃらずに、お場ばをお変えになるご存在そんざいの方々でございます。— これは、お受身うけみではございません。— 外なる表あらわしを必要となさらないほど、深くお根ねづきになったお力でございます。— 霊的な武士は、お示しになるものを何もお持ちでいらっしゃいません。— ただ、ありのままにいらっしゃるのでございます。

「武士であるために、剣はいらっしゃいません。— もっともお避さけたいものに、毎朝お立たち上がってお向き合いになるご勇気がいらっしゃいます。— それがお道でございます。— そしてそれは、武道家のみでなく — どなたにも、お開きでございます。」 マーク・ホサック博士

武士のお道は、どなたにもお開きでございます

武士のお道をお進みになるために、武道をお携たずさわりになる必要ひつようはございません。— 武士のご子孫しそんでいらっしゃる必要も、ございません。— ことに勇敢でいらっしゃる必要すら、ございません — まだ、でございます。— 勇気は、お道のうちで生まれてまいります。— ご前提ぜんていではなく、ご結果けっかでございます。

武士のお道は、ひとつのお決めから始まってまいります。— 五戒を暦こよみのお言葉として扱あつかわれるのではなく、毎日のお挑みとしてお受うけくださるご決意。— どなたもお見みつめになっていらっしゃらなくても、毎朝お立ち上がり、お修めになるご決意。— お惧れをお避さけるのではなく、お向き合いになるご決意。— そして、お強さとお慈いつくしみを反対はんたいのお姿すがたとご覧になるのではなく、同じ刃やいばの両りょうのお面めんとご覧になるご決意でございます。

ご幼おさなき頃ころにお感かんじになっていたものは、まことのものでございました。— 文字もじのうしろ、儀礼ぎれいのうしろ、古き武士のお物語ものがたりのうしろにあるお力への魅みかれ — それは偶然ぐうぜんではございませんでした。— 一つのお記憶きおくでございました。— ご自身のうちに生きており、お目覚めざめをお待ちしている何かのお記憶でございます。— 真言霊気のうちの武士のお道は、暴力ぼうりょくのお道ではございません。— 明らかさのお道でございます。— そして、ご自身が今いまお立たちのところから、ちょうどお始まりになります。

武士のお道を、内のみでなくお体でもお感かんじになりたいとお望のぞみでいらっしゃいますか。— tengu-akasha-dojo.de にて、霊能の武道のお修めをお訪たずねくださいませ — アーカーシャのお力とお体のお働はたらきが、ともにお集つどうところでございます。

あなたさまの武士のお道

真言霊気は、毎日の武士のお道でございます

毎日のお修め、内なるお強さ、段階だんかいを追おっての深まり。— ご自身をお形づくるお道を、どうぞお確たしかめくださいませ。

心の道 不動明王