地場(じば)とは、お力ある実践の土台でございます。お力が上へ — 心へ、まなざしへ、広やかなところへ — 流れてまいるためには、まずは根が要ります。— お身体のなかの、錨。支えてまいる場所。西洋の霊気の場では、お力の中心(チャクラ)、光、宇宙との結びがしばしば語られてまいります。— それは誤りではございません。けれども、それは半分のお話。— 地に足が付いていない方は、浮いてまいります。— そして、浮いていらっしゃる方には、お力が宿りにくいのかもしれません。
日本の伝統においては、これは当たり前のことでございます。— どの武の道も、立ち方から始まります。お茶の湯は座り方から。書はお腹の息から。— 大地が先でございます。真言の伝統において、地 地(ち)は、五輪 五輪 の最初の大元素でございます。悉曇のア(A)は、まだ生じざるもの、支えるもの、始めのところを表します。地場は、実践への付け足しではございません。— 地場こそ、始まりでございます。

なぜ地場は、すべての始まりとなるのでしょうか地 · 地
一本の木を、思い浮かべてみてくださいませ。お梢は天に伸び、葉は光を受けてまいります。— けれども、その木を支えているもの、それは誰の目にも見えません。根でございます。深く下りてまいるほど、高く育つことができてまいります。— これは譬えではございません。自然の理でございます。— そして、お身体のお気の器にも、まったく同じことが当てはまるのでございます。
お力の道へとお出会いになる方の多くは、たくさんお感じになります。— 時に、たくさんすぎるほどに。感受性の強さ、刺激のあふれ、お身体のなかにそっといらっしゃらないようなご感覚。— つい上の方へ、霊性の方へ、こまやかな方へ、重たさから遠ざかる方へと向かいたくなります。— けれども、逆に、お悩みが大きくなることもございます。地場のない方は、お力を留めることが難しいのかもしれません。— お力が、お身体を水のように抜けてまいります。
ですから、真言霊気のすべてのお働きは、地場から始まってまいります。— 義務の稽古としてではなく、準備のためでもなく、— その上に、すべてが静かに休らう土台として。— お身体は器となります。お足は根となります。— その器が整って立ち、はじめて、霊気のお力が消えてしまうことなく、流れてゆけるのでございます。
地 地(ち) — 大地。— 五輪の最初の元素。— 固さ、骨、肉、支えてまいるすべて。お身体の区域は、膝から足裏まで。— 付き添いの悉曇はア(A)。— もっとも遍き音。始めの響き、まだ生じざるものの響きでございます。
四段階の地場の実践四段
真言霊気では、地場の実践を四つの段階として、ご一緒に歩んでまいります。— それぞれの段階に、お身体のひとつの区域、ひとつの手の置き方、そしてひとつの気の流れの質がございます。— 四つの段階は、お力の流れを、お身体の中心から下へ — 大地との直の触れ合いまで — そっと運んでまいります。
第一段階 · 丹田 — いのちのお力の中心。 丹田 丹田(たんでん)は、お臍より指三つ分ほど下にあり、すべての始点でございます。— ここに気が集まってまいります。日本で腹 腹(はら)と呼ばれてまいる、お身体の重心のお場でございます。— 両のお手は下のお腹の上に。— お息は深く、胸ではなく、お腹のなかへと沈んでまいります。— 浄心呼吸法 のお働きにおいて、気は丹田のなかにそっと濃く溜まってまいります。— ちょうどお水が湖に集まってから、下へ流れてゆくように。
第二段階 · 膝 — お結び目。 お膝は、上半身と下半身を繋いでまいる蝶番でございます。— 武の道においても、お膝の姿が、安定と動きを決めてまいります。少し曲げられたお膝は、地に根づいたお膝。— 地場の実践では、両のお手をお膝の上に 添えてまいります。— ご自身のお膝に、あるいはお相手のお膝に。— 丹田で集められた気が、ここから下へと流れてまいります。— 多くの方が、ここで初めて、気がお脚を通って動くお姿を感じられます。— あたたかさとして、ぴりぴりとして、ときに静かな脈として。

第三段階 · 足首 — 柔らかさと支え。 足首は、固き立ちと動きとを繋いでまいります。— 地のお不揃いに、お傾きに、そっと合わせてまいる場所でございます。真言の伝統では、この区域は、固く強ばらずに地に根を下ろし続けるお力を表します。— 両のお手は踝を包みます。— お膝より下りてまいった気が、ここで濃くなり、足裏の方へと導かれてまいります。— このお手の置き方は、多くの方にとって、長く抱えてこられたものが、ようやく下へと流れ出るような、有難いお感じとして体験されてまいります。
第四段階 · 足裏 — 直の触れ合い。 足裏は、お身体と大地との境目でございます。九字切りにおいても、武の道 — 忍術、武道、八卦掌 — においても、足裏と地との触れ合いは、すべての技の土台でございます。— 地を感じない方は、応じることができません。地場の実践では、お手は足裏の上に添えられます。— 気は足裏を通って下へ、大地のなかへ流れてまいります。同じときに、大地のお力も、上へと受けとられてまいります。— 一つの巡りが、静かに閉じてまいります。
四つの段階、四つの手の置き方、ひとつの流れでございます。— 丹田から、膝、足首、足裏まで。— この地場の実践は、およそ十五分。— 単独の稽古として、また霊気のお働きの始まりとして、お役立ていただけるかもしれません。— 日々お続けになる方は、ほんの数日のうちに、お違いをそっと感じられてまいります。
日々のなかの地場 — お働きを越えた根日常
地場は、霊気のお働きのなかだけにとどまるものではございません。— 心して立たれた、その瞬間から始まってまいります。— 素足で草の上に。石の上に。土の上に。— 日本では、四国の遍路道の上で、これを身に染みて味わってまいりました。— 千二百キロメートルを徒歩で、山と谷を越え、八十八ヶ寺をめぐる旅。— 数週間のあとで、感じ方が変わってまいりました。— 足裏が、ひとつの感の器と化してまいります。地が、語りかけてまいります。— そして、ご自身のお身体が、それに応えてまいるのでございます。
すぐに働く三つの実践がございます。— ひとつ目、心して立つこと。— 肩幅に開き、お膝はわずかに緩めて。重みは両の足裏に等しく分けて。— 考えずに、ただお立ちになる。二分で十分でございます。お違いをそっと感じられてまいります。— 二つ目、素足でお歩きになること。— 一日十分、自然の地面の上で。— タイルの上ではなく。足裏には、お身体のどこよりも多くの感受の末端がございます。— 感じたがっているのでございます。— 三つ目、丹田での呼吸。— お立ちのまま、あるいはお座りのまま。お鼻からそっと吸われ、お息は丹田へと沈みます。お吐きのとき、お腹はやさしく収まってまいります。三分。無理はございません。— けれども、お働きは大きなものでございます。
武の道において、地場は緩みのお術ではございません。— 生き抜くお術でございます。— 忍術や武道においては、立ち方が勝敗を分けてまいります。— 地に根のないお武人は、投げられてまいります。— 地に根のない書家は、お筆が震えてまいります。— 地に根のない御僧は、頭で瞑想なさり、お身体では瞑想なさいません。— 真言霊気の地場の実践は、この系譜に連なっております。— やわらかなお癒しの儀ではなく、— ご自身のお身体のなかへ、そして、ご自身のお力のなかへ、確かに錨を下ろしてまいる力ある営みでございます。

五輪における地の元素 地 は、お身体だけのお話ではございません。— 頼れること、お本質、すべてが動くなかでも留まるもの、を表してまいります。— ますます速く回ってまいる世のなかで、地場はおそらく、もっとも静かにして根の深い霊性の実践でございます。— ただ、立つ。感じる。「いま」ここにいる。— そしてその、立つことから、ご自身の道を、そっと歩んでまいられること。