多くの方は、霊気というお言葉ことばから、お手とお力を思い浮うかべられます。— 間違ってはございません。— けれども、ひとつ欠かけてございます。— もっとも奥おく深い転てんじは、正ただしい技法を用もちいるからではなく、— お二人の方が、お互いをまことに感じ取ることをご自身に許ゆるされるところに、起こってまいります。— これは神秘ではございません。— お身体のしくみでもございます。— その中心にある分子(ぶんし)には、お名前がございます。— オキシトシン(oxytocin)。

霊気の場で、これを語かたる方はあまりおいででございません。— けれども、真言の伝統では、五感が開かれた状態でお二人の方が出逢うとき、深い何かがそっと立ちのぼる、ということが、長きにわたり知られてまいりました。— 近年の脳のうのお研究けんきゅうが、古いにしえの伝統がもとから知っていたことを、計れる形で示しめしてまいるようになりました。

二十五年余りの実践のなかで、繰り返し目まのあたりにしてまいりました。— 行ずる方とお受けの方のあいだの感かんじあう共とものお気配が深まりますとき、ご体験の質しつもまた深まってまいります。— 感じ取りが細こまやかになり、共感きょうかんがそっと深まり、— ほかの方のお気持ちを感じ取るお力が、正確せいかくになってまいります。— これは偶然ではございません。— その奥には、ひとつのホルモン、ひとつの脳のうの領域りょういき、— そして官能(かんのう)を霊性の道の中心に据すえる原理がございます。

マーク・ホサックとアイリーン・ヴィースマン · ご一緒のお姿
マークとアイリーン · ご共ともの実践の深み

オキシトシン — 近ちかさの妙薬みょうやく触

オキシトシンは、結むすびのホルモンと呼ばれてまいりました。— 下垂体かすいたい — お脳の底そこのお腺(せん) — から立ちのぼり、感じ合うやり取りのなかで放たれます。— 抱きしめあうとき。お手をつなぐとき。お口づけのとき。— 信頼と近さを伴ともなうあらゆる触ふれ合いのなかで。

オキシトシンがお身体に働はたらくお姿すがたは、まるで願いの一覧のようでございます。— ストレスの調ちょうホルモンであるコルチゾールを抑おさえます。— お脳の不安ふあんの中心(扁桃体へんとうたい)を静しずめます。— 人と人の結むすびを促うながします。— 信頼を高めます。— 心の温もりや前向きな思いを育てます。— そして、ご顔の表情を読み取るお力を、より細やかにいたします。

これはご空想くうそうではございません。— 脳のうのお研究の結果でございます。— そして、何百という霊気のセッションで目まにしてまいったことを説とき明あかしてまいります。— お二人の感じあう共のお気配が深まるほど、霊気の柔やわらかなお働きが深まってまいります。— 感じ取りだけではなく、— ほかの方のお気持ちを感じ取るお力もまた、深く育ってまいります。

「何百という霊気のセッションのなかで、見てまいりました。— 行ずる方とお受けの方のあいだの感じあう共のお気配が深まりますと、霊気の柔らかなお働きもまた深まってまいる、ということを。— 感じ取りだけではなく、— ほかの方のお気持ちを感じ取るお力もまた、強くなってまいるのでございます。」 マーク・ホサック博士 — 霊気と五感を超えた感受性

奥おくのところでは、オキシトシンは、古き錬金れんきんの伝統が「妙薬みょうやく」と呼んでまいったものに当あたります。— ご自身を転てんじる物質。— 外から取とり入れるものではなく、お身体ご自身がお生うみになるもの。— ひとつの素朴で、もっとも力強いお営みによって呼び起こされます。— ほかのお命との、触ふれ合いでございます。

島とう皮質ひしつ — 共感と感受が結むすばれるところ脳

お脳のなかに、お小さな領域りょういきがございます。— 島皮質とうひしつ(とうひしつ)。— その大きさはお硬貨ほど。— けれども、そのお働はたらきは、ほかにあまり並ぶもののないものでございます。— 共感と感受が、別ものではなく、— 姉妹しまいであることを、お脳の形かたちとして示しめしてまいります。

島皮質は、味あじと香かおりの好このみのお働き、まことに必要とされていることのお気付きづき、感情の受うけとめ、内なるお時のおはたらきを司つかさどります。— そして、決定的な点でございますが、— 共感、感受、ふと立ちのぼるご直感ちょっかん、ご自身の必要とほかの方々の必要を見分けるお力にも、深く関わってまいります。

もう一度、お読みくださいませ。— 共感と感受は、お脳の同じ領域に住んでいらっしゃるのでございます。— たまたまお近ちかくにあるのではなく、— お働きとして、深く織おり込まれていらっしゃいます。— ほかの方をお感じになるお力 — その痛いたみを、ご自身がお苦しみにならずに感じ取るお力 — は、感かんじ取りのお力と、お脳のお働きとして同じ場所に結ばれてございます。

霊気の実践にとって、これは根本こんぽんの意味を持もちます。— ご自身の感受を抑おさえられる方は、同時に、共感のお感じ取りも抑えてしまいます。— 五感を開かれる方は、共感への道もまた、ともに開かれてまいります。— これは哲学的なご解釈ではなく、— お脳の形かたちのお話でございます。

マークとアイリーン · 抱擁(ほうよう)
マークとアイリーン · 抱擁

これに加えて、鏡かがみニューロン(共鳴きょうめいのお神経)がございます。— ご自身が動うごくときと、ほかの方が動かれるのを見み守るときとで、同じように働くお神経でございます。— ほかの方が痛んでいらっしゃるのを見られるとき、— ご自身の痛みのときと同じお神経が、静かに働きます。— 共感のお脳の土台でございます。— そして、感受性の鋭さと、病腺(びょうせん)の感じ取りが、お考えのご空想ではなく、— お身体のしくみのひとつであることを、示しめしてまいります。

島皮質、鏡ニューロン、お力の中心とのお結びは、特筆に値いたします。— 第二の輪わ(感受)、第四の輪(共感、慈悲)、第五の輪(表あらわし)、第六の輪(直感)を、ひとつの軸として結ぶ気配を、そっと示してまいります。— 理屈としてではなく、お脳の計れる働きとして。

下垂体と第六の輪わ腺

下垂体 — お脳の底のお腺 — は、エンドウ豆ほどの大きさでございます。— けれども、ホルモンのお司令塔しれいとうでございます。— そして、霊性の伝統が長きにわたり第六の輪を位置いちづけてまいったところに、まさに据すえられてございます。— おひたいの中ほどの奥おく、間脳(かんのう)の底そこでございます。

下垂体は、ご性質せいしつに深く関わるホルモンを放ってまいります。— ストレスを和らげ、感受を育てるオキシトシンも、その一つでございます。— 霊性の対応たいおうでは、下垂体は月つき(静しずめと受けやすさ)と木星もくせい(前向きさと広がり)に結むすばれてまいります。— この対応は古きものでございますが、— お腺のお働きについて近年の内分泌ないぶんぴつのお知しらせと、よく重かさなるものでございます。

実践への結びは、こうでございます。— 真言霊気のお固有こゆうの実践のなかで、下垂体の感受のお働きが、第六の輪を通じてそっと呼びかけされてまいります。— 共感、感じ取り、鏡ニューロンのお働きが、深まってまいります。— 悉曇しったんの梵字ぼんじヒリーク(Hrīḥ)、そして千手観音せんじゅかんのん — 慈悲の菩薩 — が、この実践と深く結ばれてまいります。

この実践のお具体ぐたいのお歩あゆみは、ライブのお場のなかで、— お言葉ではなく、まなざしのある出逢いを通じて、伝えられてまいります。— ただ、その心は決定的でございます。— 下垂体からホルモンを通じて共感の感じ取りに至る、お身体のお軸じくと霊性のお軸とが、実践によって呼よび覚まされうる、ということでございます。

霊気の場で、繊細なご気配が立ちのぼるとき愛

この問は、声高にお尋たずねされることはあまりございません。— けれども、霊気を行ずる多くの方が、心のうちでご思案なさっていらっしゃるかもしれません。— おご答えは、素朴でございます。— 立ちのぼることはございます。— そして、何が起こっているかをお分わかりになっていれば、難むずかしいことではございません。

霊気のセッションの間あいだに、行ずる方もお受けの方も、お互いに対する繊細なご共感きょうかんのご気配けはいを、ふとお感じになることがございます。— その気配には、感受とお思おもいを育てるホルモンの放ちが伴います。— これは生のしくみでございます。— 人としての自然でございます。— 過ちではございません。

マークとアイリーン · 緑と紫のお姿
マークとアイリーン · お互いを映うつし合うお姿すがた

お受けの方は、ご自身が受うけとめられた、お分かりいただけたとお感じになるとき、こうしたご気配をお持ちになることがございます。— 行ずる方は、お受けの方への敬うやまいの気配や、お互いの場の引ひき合いから、こうしたご気配をお持ちになることがございます。— そして、共感を通じて、片方からもう片方へ「移うつる」こともございます。

大切なお話は、こうでございます。— このようなご気配は、しばしば二次の感情とホルモンの混じり合いでございます。— 親しみ、引き合い、感じあいが、ともに働はたらいてまいります。— 行ずる方がそれをお分かりになり、— つねにお受けの方の安やすらかさを優先になさりつつ、— まなざしのあるお歩あゆみを続つづけられるなら、— なんら恥はじるべきものではございません。

「お互いに親しみを感じあわれるほど、霊気の繊細なご体験は、より深く結むすばれてまいります。— これは禁きんじられたお話ではございません。— 人と人の出逢いの自然そのものでございます。」 マーク・ホサック博士 — 霊気と五感を超えた感受性

決定的なことは、ご気配が立ちのぼるか否かではございません。— 立ちのぼるものは、いつも立ちのぼってまいります。— 決定的なことは、まなざしのあるお歩あゆみでございます。— 真言霊気では、五感は麻痺まひさせられるのではなく、磨みがかれてまいります。— 磨きとは、ご自身の感情と、ほかからお移りした感情を、見分けるお力でもございます。— 島皮質のお働きの一つでございます。

感じることを、禁きんじてしまわないために禁

ここから、少しデリケートなお話はなをいたします。— 多くの霊性の伝統 — とくに西洋の霊気の流派 — では、セッションの間あいだ、何もお感じになってはならぬ、と説とかれてまいりました。— 五感を抑おさえるべき。— 「中立ちゅうりつ」であるべき。— 起こることに触ふれられるな、と。

これは、まことに反するものでございます。

五感を抑えることは、益えきになりません。— お受けの方は、はっきりと、あるいはどこかで、お気付きになるからでございます。— ご自身の生命のお息吹いぶきを凍らせる行ずる方は、まさにそれを放はなちます。— 冷たさ。距へだたり。— それは気配を濁にごらせ、ご自身の調ちょうのお力の目覚めを妨さまたげてしまいかねません。

開かれた五感こそが、転じを可能かのうにしてまいるのでございます。— 感受に抗ってではなく、感受を通して、お変わりは起こってまいります。

その奥おくには、こうしたお建たて付けがございます。— 第六の輪のお感じ取り — 直感、ふと立ちのぼるご気付きづき、見えぬものを察するお力 — が、第二の輪の感受 — 感じ、生命のお息吹いぶき、お身体のご感じ取り — と出逢い、— 第四の輪の愛あい — 慈悲 — のなかで、ひとつの軸として結ばれてまいります。— 心のお胸、お腹、おひたいが、ひとつのお軸となります。— 理屈ではございません。— 深い転じが起こる、その建たて付つけでございます。

真言の伝統では、この心は愛染明王 愛染明王(あいぜんみょうおう) — 愛の明王みょうおう — によって体現たいげんされてまいります。— 愛染明王は、情じょうと智慧ちえが反はんするものではなく、同じお力の二つの側面そくめんであることを、お示しになる尊でいらっしゃいます。— ご顔は忿怒ふんぬのお姿 — 情が危あやうきものだからではなく、力強きものであり、まなざしを必要とするからでございます。— お身体は赤 — 火の色、転てんじの色、命の色でございます。

マークとアイリーン · 森のなかで
マークとアイリーン · 生きた愛のお姿

これは、近年の西洋風タントラのお話とは、別の道でございます。— 愛染明王は、千二百年以上の長きにわたる、密教の正式なお伝えのなかにいらっしゃいます。— 日本の真言宗のお寺でも、今もなお、生きた尊として篤あつくお慕したわれていらっしゃいます。— その知しらせは、はっきりとしてございます。— 感受を霊性の実践から追おい払う方は、人生の半分を、ともに追い払ってしまうのだ、と。

お思いと、近さへの恐おそれを、転じて転

ここまでに語られたことから、見抜ぬかれ、転じてまいりうる、いくつかの狭せまき思おもい込みが立ち上がってまいります。— このお思いは、深く根ねづいてございます。— ご自身でお選びになったものではございません。— ご育ち、宗教の刻きざみ、恐れから、譲り受けたものでございます。

「感じてはならぬ」「感受は専門的でない」「制御せいぎょを失うかもしれない」「近さは危うい」「開いたら、傷つく」「霊性の実践は、冷たく距へだたっていなければならぬ」。

これらは、まことではございません。— 刻みでございます。— 刻みは、転じてまいります。— 真言霊気がお差し上げするひとつの道は、— 狭きお思いを見抜き、— 分析ではなく、ご体験を通じて、— 触れ合いを通じて、出逢いを通じて、— 「あるがまま」のものを、まなざしを宿してそっと受うけ取ることを通じて、— 解いてまいる道でございます。

近さへの恐れは、弱よわさではございません。— かつて意味のあった守りの反応はんのうでございます。— ただ、古びてしまうことがございます。— 古びますと、それは檻おりになってしまいます。— 真言霊気のお身体のお働はたらきは、こうした恐れに対して、まなざしと敬いをもってお触ふれすることのできる、ひとつの枠わくでございます。— 壊すためではなく、— 転じてまいるためでございます。

真言霊気は、— 生き生きとお感じになりたい方々のためのお道でございます。— 感じることをお望みの方々。— 感受を霊性の道の妨げではなく、最も力強いお力としてお受け取りの方々。— ただの冷たい技法ではなく、— 生きた、息づき、感じる実践でございます。

心の原則げんそく

感受は、霊性の道の妨げではなく、— 最も力強い道具でございます。オキシトシン、共感、ほかの方をまことに感じ取るお力は、真言の伝統が長きにわたり実践してまいったもののお身体のお土台でございます。— お二人のお命の出逢いとしての、転てんじの場でございます。

道としての官能

霊気と五感を超えた感受性をご体験たいけんくださいませ。

真言霊気は、生き生きとお感じになりたい方々のためのお道でございます。— 感受を弱さではなく、お力として。— 何がお開きになるか、ご自身でお確たしかめくださいませ。

ご自身の道へ 霊気と官能