多くの方は、霊気というお言葉から、お手とお力を思い浮かべられます。— 間違ってはございません。— けれども、ひとつ欠けてございます。— もっとも奥深い転じは、正しい技法を用いるからではなく、— お二人の方が、お互いをまことに感じ取ることをご自身に許されるところに、起こってまいります。— これは神秘ではございません。— お身体のしくみでもございます。— その中心にある分子(ぶんし)には、お名前がございます。— オキシトシン(oxytocin)。
霊気の場で、これを語る方はあまりおいででございません。— けれども、真言の伝統では、五感が開かれた状態でお二人の方が出逢うとき、深い何かがそっと立ちのぼる、ということが、長きにわたり知られてまいりました。— 近年の脳のお研究が、古の伝統がもとから知っていたことを、計れる形で示してまいるようになりました。
二十五年余りの実践のなかで、繰り返し目のあたりにしてまいりました。— 行ずる方とお受けの方のあいだの感じあう共のお気配が深まりますとき、ご体験の質もまた深まってまいります。— 感じ取りが細やかになり、共感がそっと深まり、— ほかの方のお気持ちを感じ取るお力が、正確になってまいります。— これは偶然ではございません。— その奥には、ひとつのホルモン、ひとつの脳の領域、— そして官能(かんのう)を霊性の道の中心に据える原理がございます。

オキシトシン — 近さの妙薬触
オキシトシンは、結びのホルモンと呼ばれてまいりました。— 下垂体 — お脳の底のお腺(せん) — から立ちのぼり、感じ合うやり取りのなかで放たれます。— 抱きしめあうとき。お手をつなぐとき。お口づけのとき。— 信頼と近さを伴うあらゆる触れ合いのなかで。
オキシトシンがお身体に働くお姿は、まるで願いの一覧のようでございます。— ストレスの調ホルモンであるコルチゾールを抑えます。— お脳の不安の中心(扁桃体)を静めます。— 人と人の結びを促します。— 信頼を高めます。— 心の温もりや前向きな思いを育てます。— そして、ご顔の表情を読み取るお力を、より細やかにいたします。
これはご空想ではございません。— 脳のお研究の結果でございます。— そして、何百という霊気のセッションで目にしてまいったことを説き明かしてまいります。— お二人の感じあう共のお気配が深まるほど、霊気の柔らかなお働きが深まってまいります。— 感じ取りだけではなく、— ほかの方のお気持ちを感じ取るお力もまた、深く育ってまいります。
奥のところでは、オキシトシンは、古き錬金の伝統が「妙薬」と呼んでまいったものに当たります。— ご自身を転じる物質。— 外から取り入れるものではなく、お身体ご自身がお生みになるもの。— ひとつの素朴で、もっとも力強いお営みによって呼び起こされます。— ほかのお命との、触れ合いでございます。
島皮質 — 共感と感受が結ばれるところ脳
お脳のなかに、お小さな領域がございます。— 島皮質(とうひしつ)。— その大きさはお硬貨ほど。— けれども、そのお働きは、ほかにあまり並ぶもののないものでございます。— 共感と感受が、別ものではなく、— 姉妹であることを、お脳の形として示してまいります。
島皮質は、味と香の好みのお働き、まことに必要とされていることのお気付き、感情の受けとめ、内なるお時のおはたらきを司ります。— そして、決定的な点でございますが、— 共感、感受、ふと立ちのぼるご直感、ご自身の必要とほかの方々の必要を見分けるお力にも、深く関わってまいります。
もう一度、お読みくださいませ。— 共感と感受は、お脳の同じ領域に住んでいらっしゃるのでございます。— たまたまお近くにあるのではなく、— お働きとして、深く織り込まれていらっしゃいます。— ほかの方をお感じになるお力 — その痛みを、ご自身がお苦しみにならずに感じ取るお力 — は、感じ取りのお力と、お脳のお働きとして同じ場所に結ばれてございます。
霊気の実践にとって、これは根本の意味を持ちます。— ご自身の感受を抑えられる方は、同時に、共感のお感じ取りも抑えてしまいます。— 五感を開かれる方は、共感への道もまた、ともに開かれてまいります。— これは哲学的なご解釈ではなく、— お脳の形のお話でございます。

これに加えて、鏡ニューロン(共鳴のお神経)がございます。— ご自身が動くときと、ほかの方が動かれるのを見守るときとで、同じように働くお神経でございます。— ほかの方が痛んでいらっしゃるのを見られるとき、— ご自身の痛みのときと同じお神経が、静かに働きます。— 共感のお脳の土台でございます。— そして、感受性の鋭さと、病腺(びょうせん)の感じ取りが、お考えのご空想ではなく、— お身体のしくみのひとつであることを、示してまいります。
島皮質、鏡ニューロン、お力の中心とのお結びは、特筆に値いたします。— 第二の輪(感受)、第四の輪(共感、慈悲)、第五の輪(表し)、第六の輪(直感)を、ひとつの軸として結ぶ気配を、そっと示してまいります。— 理屈としてではなく、お脳の計れる働きとして。
下垂体と第六の輪腺
下垂体 — お脳の底のお腺 — は、エンドウ豆ほどの大きさでございます。— けれども、ホルモンのお司令塔でございます。— そして、霊性の伝統が長きにわたり第六の輪を位置づけてまいったところに、まさに据えられてございます。— おひたいの中ほどの奥、間脳(かんのう)の底でございます。
下垂体は、ご性質に深く関わるホルモンを放ってまいります。— ストレスを和らげ、感受を育てるオキシトシンも、その一つでございます。— 霊性の対応では、下垂体は月(静めと受けやすさ)と木星(前向きさと広がり)に結ばれてまいります。— この対応は古きものでございますが、— お腺のお働きについて近年の内分泌のお知らせと、よく重なるものでございます。
実践への結びは、こうでございます。— 真言霊気のお固有の実践のなかで、下垂体の感受のお働きが、第六の輪を通じてそっと呼びかけされてまいります。— 共感、感じ取り、鏡ニューロンのお働きが、深まってまいります。— 悉曇の梵字ヒリーク(Hrīḥ)、そして千手観音 — 慈悲の菩薩 — が、この実践と深く結ばれてまいります。
この実践のお具体のお歩みは、ライブのお場のなかで、— お言葉ではなく、まなざしのある出逢いを通じて、伝えられてまいります。— ただ、その心は決定的でございます。— 下垂体からホルモンを通じて共感の感じ取りに至る、お身体のお軸と霊性のお軸とが、実践によって呼び覚まされうる、ということでございます。
霊気の場で、繊細なご気配が立ちのぼるとき愛
この問は、声高にお尋ねされることはあまりございません。— けれども、霊気を行ずる多くの方が、心のうちでご思案なさっていらっしゃるかもしれません。— おご答えは、素朴でございます。— 立ちのぼることはございます。— そして、何が起こっているかをお分かりになっていれば、難しいことではございません。
霊気のセッションの間に、行ずる方もお受けの方も、お互いに対する繊細なご共感のご気配を、ふとお感じになることがございます。— その気配には、感受とお思いを育てるホルモンの放ちが伴います。— これは生のしくみでございます。— 人としての自然でございます。— 過ちではございません。

お受けの方は、ご自身が受けとめられた、お分かりいただけたとお感じになるとき、こうしたご気配をお持ちになることがございます。— 行ずる方は、お受けの方への敬いの気配や、お互いの場の引き合いから、こうしたご気配をお持ちになることがございます。— そして、共感を通じて、片方からもう片方へ「移る」こともございます。
大切なお話は、こうでございます。— このようなご気配は、しばしば二次の感情とホルモンの混じり合いでございます。— 親しみ、引き合い、感じあいが、ともに働いてまいります。— 行ずる方がそれをお分かりになり、— つねにお受けの方の安らかさを優先になさりつつ、— まなざしのあるお歩みを続けられるなら、— なんら恥じるべきものではございません。
決定的なことは、ご気配が立ちのぼるか否かではございません。— 立ちのぼるものは、いつも立ちのぼってまいります。— 決定的なことは、まなざしのあるお歩みでございます。— 真言霊気では、五感は麻痺させられるのではなく、磨かれてまいります。— 磨きとは、ご自身の感情と、ほかからお移りした感情を、見分けるお力でもございます。— 島皮質のお働きの一つでございます。
感じることを、禁じてしまわないために禁
ここから、少しデリケートなお話をいたします。— 多くの霊性の伝統 — とくに西洋の霊気の流派 — では、セッションの間、何もお感じになってはならぬ、と説かれてまいりました。— 五感を抑えるべき。— 「中立」であるべき。— 起こることに触れられるな、と。
これは、まことに反するものでございます。
五感を抑えることは、益になりません。— お受けの方は、はっきりと、あるいはどこかで、お気付きになるからでございます。— ご自身の生命のお息吹を凍らせる行ずる方は、まさにそれを放ちます。— 冷たさ。距たり。— それは気配を濁らせ、ご自身の調のお力の目覚めを妨げてしまいかねません。
開かれた五感こそが、転じを可能にしてまいるのでございます。— 感受に抗ってではなく、感受を通して、お変わりは起こってまいります。
その奥には、こうしたお建て付けがございます。— 第六の輪のお感じ取り — 直感、ふと立ちのぼるご気付き、見えぬものを察するお力 — が、第二の輪の感受 — 感じ、生命のお息吹、お身体のご感じ取り — と出逢い、— 第四の輪の愛 — 慈悲 — のなかで、ひとつの軸として結ばれてまいります。— 心のお胸、お腹、おひたいが、ひとつのお軸となります。— 理屈ではございません。— 深い転じが起こる、その建て付けでございます。
真言の伝統では、この心は愛染明王 愛染明王(あいぜんみょうおう) — 愛の明王 — によって体現されてまいります。— 愛染明王は、情と智慧が反するものではなく、同じお力の二つの側面であることを、お示しになる尊でいらっしゃいます。— ご顔は忿怒のお姿 — 情が危うきものだからではなく、力強きものであり、まなざしを必要とするからでございます。— お身体は赤 — 火の色、転じの色、命の色でございます。

これは、近年の西洋風タントラのお話とは、別の道でございます。— 愛染明王は、千二百年以上の長きにわたる、密教の正式なお伝えのなかにいらっしゃいます。— 日本の真言宗のお寺でも、今もなお、生きた尊として篤くお慕われていらっしゃいます。— その知らせは、はっきりとしてございます。— 感受を霊性の実践から追い払う方は、人生の半分を、ともに追い払ってしまうのだ、と。
お思いと、近さへの恐れを、転じて転
ここまでに語られたことから、見抜かれ、転じてまいりうる、いくつかの狭き思い込みが立ち上がってまいります。— このお思いは、深く根づいてございます。— ご自身でお選びになったものではございません。— ご育ち、宗教の刻み、恐れから、譲り受けたものでございます。
「感じてはならぬ」「感受は専門的でない」「制御を失うかもしれない」「近さは危うい」「開いたら、傷つく」「霊性の実践は、冷たく距たっていなければならぬ」。
これらは、まことではございません。— 刻みでございます。— 刻みは、転じてまいります。— 真言霊気がお差し上げするひとつの道は、— 狭きお思いを見抜き、— 分析ではなく、ご体験を通じて、— 触れ合いを通じて、出逢いを通じて、— 「あるがまま」のものを、まなざしを宿してそっと受け取ることを通じて、— 解いてまいる道でございます。
近さへの恐れは、弱さではございません。— かつて意味のあった守りの反応でございます。— ただ、古びてしまうことがございます。— 古びますと、それは檻になってしまいます。— 真言霊気のお身体のお働きは、こうした恐れに対して、まなざしと敬いをもってお触れすることのできる、ひとつの枠でございます。— 壊すためではなく、— 転じてまいるためでございます。
真言霊気は、— 生き生きとお感じになりたい方々のためのお道でございます。— 感じることをお望みの方々。— 感受を霊性の道の妨げではなく、最も力強いお力としてお受け取りの方々。— ただの冷たい技法ではなく、— 生きた、息づき、感じる実践でございます。
感受は、霊性の道の妨げではなく、— 最も力強い道具でございます。オキシトシン、共感、ほかの方をまことに感じ取るお力は、真言の伝統が長きにわたり実践してまいったもののお身体のお土台でございます。— お二人のお命の出逢いとしての、転じの場でございます。