西洋せいようの霊気では、本質的ほんしつてきみちはひとつでございます ― おをおえになる、ということ。 お位置いちはさまざま、おこころざしもさまざまでも、かくはいつもひとつでございます。 ― 日本の伝統でんとうでは、すこちがっております。 臼井甕男うすいみかおとそのお弟子でしたちがお実践じっせんになったおはたらきは、たくさんございます。 西洋せいようではわすれられ、ごぞんじない方が多く、あるいはおつたえにならなかったおはたらきでございます。

これらのおはたらきは、ある日突然とつぜんまれたものではございません。 多くは真言しんごん神道しんとう道教どうきょう、あるいは修験道しゅげんどうのお実践じっせんのなかにみなもとっております。 ― 臼井うすいはそれらをご自身でおつくりになったのではなく、しずかにひとつのみちのなかにむすびあわせてくださったのでございます。 真言霊気では、これらのおはたらきが、本来ほんらいふかみのままに大切たいせつがれております。

マーク・ホサック博士 ― 東京・西方寺の臼井先生記念碑にて
マーク ・ 東京とうきょう西方寺さいほうじ臼井うすい先生記念碑にて

乾浴法けんよくほうのお身体からだかわばら乾浴法

乾浴 乾浴法けんよくほう かわいた沐浴もくよくのおみち

けん かわく。よく もくする。ほう みち文字通もじどおり「かわいた沐浴もくよくのおみち」 ― 一見不思議ふしぎかんじられるかもしれませんが、大切たいせつ意味いみがこめられております。 みず使つかうことなく、のお身体からだをおきよめになるのでございます。

はたらきはやさしく、しっかりとしたものでございます。 ひらたくしたおで、おかたから反対側はんたいがわのおこしへとななめにはらうようになでてまいります ― それからおうでくだへ、指先ゆびさきのさらにそとまで。おどうを三度、おうでを三度。 ひとなでごとに、ご自身のものではないがほどけてまいります ― ほかの方の気配けはい、人ごみのなかでの印象いんしょう感情かんじょうのこり。

乾浴けんよくには、神道しんとうのなかにすぐにわかる姉妹しまいのおはたらきがございます ― みそぎはらえ でございます。お身体からだけが 穢れ霊性れいせいとどこおり ― からおきよめになります。神道しんとうではたきのもとや祝詞のりととおして、霊気の伝統でんとうではおとおしておこなわれてまいります。

日本では、乾浴けんよくは霊気のセッションの前にも後にもお実践じっせんされてまいります。 ― 前にはご自身ののお身体からだととのえるために、後にはほかの方のかえらないために。 西洋せいようではこのおはたらきがほぼうしなわれており、それゆえ霊気の実践者じっせんしゃのなかには、セッションののちにおつかれや感情かんじょうおもさをおかんじになる方が多くいらっしゃいます。

病腺びょうせんとどこおりをおかんじになる 病腺

病腺 病腺びょうせん とどこおりをおかんじになる

びょう 不調和ふちょうわせん せんせん病腺びょうせんは、お一人ののお身体からだのなかのとどこおりを、おでおかんじになるおはたらきでございます。 医療いりょう意味いみでの診断しんだんではなく、お実践じっせんのなかでみがかれてゆく、のおかんじでございます。

かんじはさまざまでございます ― ぴりぴり、あたたかさ、つめたさ、みゃくのようなうごき、のようなき、ときにはこまかいすようなおかんじ。 日本の霊気の伝統でんとうには、病腺びょうせんのおかんじに五つの段階だんかいがございます ― かるいあたたかさ(温熱おんねつ)から、つよみゃくのおかんじ(ひび)まで。おかんじがくなりますほど、とどこおりがふかくなってまいります。

病腺びょうせんがほかにないあじわいをっているところは、あたまのおはたらきでうごくものではないというところでございます。 おをおえになって「何をおかんじになっているのだろう」とおかんがえになるのではございません。 ― おがほぼひとりでに、とどこおりのあるへとはこばれてまいります。 意識いしきしたでおはたらきになるおかんじ ― ふとかえらずとも、うしろにだれかがいらっしゃることがおわかりになる瞬間しゅんかんております。

西洋せいようの霊気では、おのお位置いち標準化ひょうじゅんかされました ― お一人お一人におなじようにてる、かたかたちでございます。 日本の伝統でんとうでは、かたちはじまりのささえであり、目的もくてきではございません。 目的もくてき病腺びょうせんでございました ― 必要なおへおをおはこびになるおはたらき。計画けいかくではなく、おかんじにしたがって。

西洋せいようでは、お位置いちまもって、おかんじになるはたらきをわすれてしまわれました。日本では、それが反対はんたいでございました ― おかんじがさきにあって、お位置いちはそのはじめのおささえにすぎませんでした。」 マーク・ホサック博士はかせ

霊示法れいじほう ― お直感的ちょっかんてきにおはこびになる 霊示法

霊示 霊示法れいじほう 霊性れいせいがおみちをおしめしになるほう

れい 霊性れいせいのおちから しめす。ほうみち文字通もじどおり「霊性れいせいがおみちをおしめしになるおみち」 ― お手をご自身のお意志いしでお動かしになるのではなく、霊気のおちからそのものにおはこびいただくおはたらきでございます。 ― 計画けいかくもなく、かたちもなく、ご自身でおみちびきにならず。

はたらきは合掌がっしょうからはじまります。 霊気のおちからに、お必要ひつようへおはこびくださいと、しずかにおねがいいたします。 それからお合掌がっしょうのかたちからはなち、うごくままにまかせます。 ― ご自身がおうごかしになるのではなく、おちからがおうごかしくださいます。言葉ことばではむずかしくおかんじになるかもしれませんが、お実践じっせんのなかでは、そのちがいがすぐにおかりになります。

霊示法れいじほうには病腺びょうせんがそなわっていることがかせません。 とどこおりをおかんじになるおはたらきがなければ、おはどこへうごけばよいかをごぞんじになりません。 ですから、日本の伝統でんとうでは、霊示法れいじほうはじめにお稽古けいこになるものではなく、病腺びょうせんのおかんじがたしかになってからおあゆみになるみちでございます。

真言しんごんのなかに姉妹しまいのおかんがえがございます ― 加持かじ 加持霊性れいせいのおちからのおつたえでございます。 加持かじは、おはたらきをなさる方の意志いしでおこりになるのではなく、大日如来だいにちにょらいのおちからと、ひらかれた意識いしきのあいだの共鳴きょうめいのなかでおはたらきになります。 ― 霊示法れいじほうおな道理どうりでございます。ご自身がおはたらきになるのではなく、ご自身がひらかれて、おちからがご自身をとおしておはたらきになるのでございます。

お二人の道連れがお橋の上を歩む ― 霊気の道のり
はしの上のお道連みちづ

邪気切じゃきき浄化法じょうかほう ― 物のおきよ邪気切り浄化法

邪気切り 邪気切じゃきき浄化法じょうかほう じゃり、おきよめになるおみち

邪気じゃき 邪気じゃ 切りる。浄化じょうか 浄化 ― おきよめ。ほうみち。 このおはたらきは、もの場所ばしょじゃからおきよめになるためのものでございます。 みじかくするどいおのおうごきでじゃり、その後おものに霊気をおたしになります。

そのおうごきは、けんるいにております。それは偶然ぐうぜんではございません。 日本の伝統でんとうのなかで ― とりわけ神道しんとう修験道しゅげんどうでは ― けんはおきよめの霊性れいせいのお道具どうぐとして大切たいせつにされてまいりました。 不動明王ふどうみょうおうほのおけん武器ぶきとしてではなく、変容へんようのお道具どうぐとしておちでございます。邪気切じゃきき浄化法じょうかほうは、その道理どうりをおのおはたらきへとおうつしになったものでございます。

実践じっせんのなかで、邪気切じゃきき浄化法じょうかほうは、おもかんじられるおにおはいりになるとき、られたものにある歴史れきしけたくないとき、瞑想めいそうや霊気のセッションの前にをおきよめになりたいときに、お使つかいになるおはたらきでございます。 ― 最もみのりの多い、そしてふるくからがれてきたおはたらきのひとつでございます。

念達法ねんたつほう ― おちからこころざし 念達法

念達 念達法ねんたつほう ― おこころざしのおつたえのおみち

ねん こころざしうちなるおととのえ。たつ たっする、おとどけする。ほうみち念達法ねんたつほうは、霊気のおちから意識いしきのおこころざしむすぶおはたらきでございます。 ひとつのおをおひたいに、もうひとつをお後頭部こうとうぶにおえになります。おのあいだにむすばれ、そこへきよらかなおこころざししずかにめられてまいります。

真言しんごんでは、こころざしのおちから抽象的ちゅうしょうてきなおかんがえではなく、儀礼的ぎれいてき道理どうりでございます ― 三密さんみつの三つめ 意密いみつ 意密のおはたらきでございます。 しん(いん)、(真言しんごん)、(観想かんそう)がともはたらくとき、おちからがまったきかたちでひらかれてまいります。念達法ねんたつほうは、まさにこの三つめのへとおはたらきかけになります。

凝視法ぎょうしほう呼気法こきほう ― おとおいきとおして 凝視法 ・ 呼気法

日本の霊気の伝統でんとうがいかにゆたかであるかをしめす、もう二つのおはたらきがございます ― 凝視法ぎょうしほう 凝視法呼気法こきほう 呼気法 でございます。

凝視法ぎょうしほうでは、霊気をおからではなく、おからおおくりになります。 お視線しせんがやわらかくととのって、お身体のあるおしずかにとどまります。 真言しんごんのなかには、これに対応たいおうするお瞑想めいそうがございます ― 月輪観がちりんかん 月輪観。おはたらきをなさる方が満月まんげつのおひかりかんじ、そのひかりをまっすぐな視線しせんとおしてほかの方々かたがたへおおくりになるおはたらきでございます。

呼気法こきほうでは、おいきとおしておわたしになります。 霊気のおちから必要ひつようへとおこころざしになって、しずかにしてまいります。 このおはたらきは道教どうきょうのおかんがえにみなもとっております ― おいき をはこぶうつわでございます。 真言しんごんでは、おいき口密くみつ 口密のおはたらきの一部でございます。

なぜ大切たいせつ

日本の伝統でんとうのなかでは、霊気はひとつのお道具どうぐだけのおはたらきではございません。 お身体のすべてのみちをお使つかいになります ― お、お、おいき真言しんごん三密さんみつしん ― が、これらのおはたらきにそのままうつっております。おのおはたらきが身密しんみつ。おいき真言しんごん口密くみつこころざし観想かんそう意密いみつ。 ― ともはたらいて三密さんみつとなり、三密さんみつこそが真言霊気の土台どだいでございます。

発霊法はつれいほうととのったお実践じっせん 発霊法

発霊 発霊法はつれいほう 霊性れいせいのおちからのお目覚めざめのおみち

はつ こす、ひらく。れい 霊性れいせいのおちから発霊法はつれいほうはひとつのおはたらきではございません ― おきよめの乾浴けんよく、おいきととのえのための浄心呼吸法じょうしんこきゅうほう、おととのえのための合掌瞑想がっしょうめいそう、これらいくつかのおはたらきをむすびあわせた、ひとつのながれでございます。 ― 日本では、これを毎日まいにちの霊気のお実践じっせん土台どだいとされてまいりました。

名前なまえそのものにかくがございます ― 霊性れいせいのおちからつくすものではなく、こされる ものでございます。 すでにそこにあるおちからです。お実践じっせんは、それをおおっているものをしずかにのぞき、ながれるみちをひらくのでございます。 真言しんごんのおかんがえとぴたりとかさなります ― 仏のお姿すがたはおになるものではなく、すでにそなわっていらっしゃるものをらかにすることでございます。

真言霊気では、発霊法はつれいほう毎朝まいあさのお実践じっせんとしておすすめしております。 ― 15分から20分。乾浴けんよく、おいきのおととのえ、合掌がっしょう、霊気の五戒ごかい毎朝まいあさ義務ぎむとしてではなく、みちとして。 日本のお師匠方ししょうがたは、しずかにこのようにもうされました ― 実践じっせんみちでございます。そしてみちがお実践じっせんでございます。

西洋せいようでは、よく『霊気でなにができるのか』とおたずねになります。日本では、おいがちがいます ― 『霊気と共に、どこまでふかあゆむことができるのか』。一方は用途ようとのおい。もう一方は変容へんようのおいでございます。」 マーク・ホサック博士はかせ
表面ひょうめんではなく、ふかみで

日本の技法ぎほうにおれる

真言霊気では、これらのおはたらきはご説明せつめいするだけのものではございません ― お実践じっせんのなかで、おつたえのなかで、そのふかみのままにおけになるものでございます。

真言霊気へのこころみち ひびきと病腺びょうせん