お一人の背中せなかにお手てを添そえてみます。最初さいしょのいくらかの瞬間しゅんかんには、特別とくべつなものは感かんじられません ― ただのあたたかさ、布地ぬのじの感触かんしょく、息いきの動うごき。 けれど、しばらくして、お手てのもとに何なにかが動うごきはじめます。 鼓動こどうではない、もう少すこし深ふかいところの律りつのようなもの ― ある方は磁じのような引ひきとして、ある方はぴりぴりとした感かんじとして、ある方は静しずかな振ふるえとしてお感かんじになります。

日本の霊気の伝統でんとうのなかには、この現あらわれにふさわしいお名前なまえがございます ― 響ひびき 響。 文字通もじどおり、共鳴きょうめい、こだま、残のこるひびき。 そして、その響ひびきを意識的いしきてきにお感かんじになる道みちが、病腺びょうせん 病腺でございます。 この二つは、霊気の実践じっせんのなかで最もっとも古ふるくから受うけ継つがれてきたお考かんがえのひとつであり、西洋せいようでは忘わすれられがちなものでもございます。

アイリーン・ヴィースマンがマーク・ホサック博士にお手を添える ― 霊気の実践
アイリーンがマークにお手てを添そえて

響ひびきとは何でしょうか 響

響
響ひびき ― 共鳴きょうめい、こだま、残のこるひびき。日本語のこの字じには、広ひろい意味いみがございます ― お寺の鐘かねのひびき、音おとが消きえたあとも残のこる振動しんどう。 霊気の実践じっせんのなかでは、お手てがまわりの気きの流ながれと違ちがう場ばに触ふれたとき、お手てがお感かんじになる、その共鳴きょうめいのひびきでございます。

響ひびきは解釈かいしゃくではございません。お肌はだに触ふれるあたたかさや、お顔かおに受うける風かぜと同おなじくらい、直接ちょくせつのお感かんじでございます。 頭あたまでお考かんがえになるよりも先に、お手てが何なにかをお感かんじになります。 分析ぶんせきの前にやってまいります ― お渡わたしになる方の気きの身体しんたいと、お受うけになる方の気きの身体しんたいのあいだの、共鳴きょうめいでございます。

初期しょきの霊気のお実践じっせん ― 臼井甕男うすいみかおとそのお弟子でしたちの時代じだいには、響ひびきが最もっとも大切たいせつなお働はたらきでございました。 医療いりょうの意味いみでの診断しんだんではございません。 ― お身体のなかの滞とどこおりはどこにあるのか、お力ちからを必要ひつようとされている場ばはどこなのか。 お手てが、頭あたまがお問といを言葉ことばにする前に、そのお答こたえをお渡わたししてくださっていたのでございます。

病腺びょうせんとは何でしょうか 病腺

病腺
病びょう ― 不調和ふちょうわ、滞とどこおり。腺せん ― 腺せん、線せん、たまりやすい場ば。 病腺びょうせんは、お身体のなかの気きが滞とどこおっている、あるいは質しつが変かわっている場のことでございます。 ― 抽象的ちゅうしょうてきなお考かんがえではなく、整ととのえられたお手で直接ちょくせつお感かんじになることのできる、生きたお働はたらきでございます。

響ひびきが「お感かんじになる働はたらき」そのものを指さすのに対たいして、病腺びょうせんはそのお感かんじになる場ばそのものを指さします。 響ひびきはこだまでございます。病腺びょうせんはそのこだまの源みなもとでございます。 お実践じっせんのなかでは、両方の言葉ことばが同おなじように使つかわれることもございますが、その違ちがいを知しっておきますと、お分わかりやすくなってまいります ― 響ひびきをお感かんじになり、そのお感かんじになるものが病腺びょうせんでございます。

「病腺びょうせんは、お身体がお手てに語かたりかけてくださる言葉ことばでございます。新あらたに作つくるのではなく、ただ聞きくだけのもの。そして、頭あたまのなかでお探さがしになることをやめれば、どなたにもお聞ききになることができるのでございます。」 マーク・ホサック博士はかせ

病腺びょうせんのお働はたらき ― 五つの段階だんかい 五段階

日本の霊気の伝統でんとうのなかでは、お感かんじになる深ふかさに五つの段階だんかいがございます。 ― それぞれが違ちがうお働はたらきなのではなく、同おなじお働はたらきの違ちがう深ふかさでございます。 滞とどこおりが深ふかくなりますほど、お手てでのお感かんじも濃こくなってまいります。

1
温熱おんねつ
軽かるいあたたかさ。お手てが、お受うけになる方の体温たいおんから予測よそくされる以上にあたたかくなってまいります。この場ばでの気きの流ながれが、わずかにゆっくりしているお知しらせでございます。はじめてお感かんじになる方が最初さいしょに出会われる段階だんかいでございます。
2
熱あつい温熱おんねつ
より強つよいあたたかさ、ときに熱あつく感かんじることもございます。滞とどこおりが少すこしはっきりしてまいります。軽かるいぴりぴりも添そえて感かんじられることがございます。お手てが、その場ばに長ながくとどまりたがる ― 意識いしきでの判断はんだんではなく、自然しぜんのお働はたらきでございます。
3
ぴりぴり
細こまかい針はりのような、あるいは蟻ありのような、はっきりとしたお感かんじ。「ぴりぴり」というお言葉ことばは音おとそのもので、お感かんじのままを映うつしております。この段階だんかいでは、まだ経験けいけんの浅あさい方にも、滞とどこおりがはっきりとお分わかりになります。
4
響ひびき
脈みゃくのような動うごき ― 鼓動こどうとは違ちがう、お手てのもとでのリズム。独自どくじの律りつ ― よりゆっくり、より深ふかく、ときに波なみのように。この段階だんかいでは、気きがはっきりと動うごき始めます。お身体がお手てのもとで、ご自身の調子ちょうしで息いきづいていらっしゃるかのようでございます。
5
痛いたみ
お手てのなかでの痛いたみ、あるいは強つよいお感かんじ。お受うけになる方のお身体ではなく、渡わたされる方のお手てのほうにあらわれます。この段階だんかいは、深ふかい滞とどこおりのお知しらせでございます。お手は、もう一方のお身体の気きのなかにあるものを映うつしております。危あぶない知しらせではなく、深ふかさの知しらせでございます。

この五つの段階だんかいは、固かたい梯子はしごではございません。 ある場ばはすぐに段階だんかい4を示しめし、ある場ばはずっと段階だんかい1のままで留とどまります。 お感かんじはセッションのなかで変かわってまいります ― 響ひびきとして始はじまったものが温熱おんねつへと静しずまることがございます。それは滞とどこおりがほどけてきたお知しらせでございます。 段階だんかいはあくまで道みちしるべでございます。規則きそくではございません。

なぜ西洋せいようでは忘わすれられたのか 西洋

1930年代から1940年代にかけて、霊気が日本から西洋せいようへ渡わたったとき、不思議なことが起おこりました ― お手てのお位置いちは受うけ継つがれましたが、その背にあるお感かんじになる働はたらきが失うしなわれていったのでございます。 西洋せいようでは、12から15のお手のお位置いちからなる固かたい形かたちが標準ひょうじゅんになり、お一人お一人の違ちがいに関わらず、お手てがお感かんじになるものに関わらず、同おなじように当あてられるようになりました。

日本の伝統でんとうでは、ちょうど反対はんたいでございました。 お手のお位置いちは、はじめのうちのお支ささえにすぎませんでした ― 病腺びょうせんのお感かんじが確たしかになるまで、お手をお導きくださるための道みちしるべでございました。 形かたちそのものが目的もくてきであったことは一度もございません。 目的もくてきはいつも、形かたちを離はなれて、お手てのお感かんじになるものに導みちびかれて働はたらくことができるようになることでございました。

大切たいせつな違ちがい

西洋せいようの霊気では、お位置いちそのものが方法ほうほうでございます。日本の伝統でんとうでは、お感かんじになる働はたらきが方法ほうほうでございます。 お位置いちは、まだ一人で立てない間あいだの支ささえのようなものでございます。真言霊気では、両方をともに大切たいせつにいたします ― お位置いちを土台どだいとして、そして病腺びょうせんを、その土台どだいからさらに育そだっていく道みちとして。

病腺びょうせんと三密さんみつ 三密

真言しんごんのなかには、病腺びょうせんをより大おおきな枠わくのなかに位置いちづけてくださるお考かんがえがございます ― 三密さんみつ 三密。 身しん、口く、意い。真言しんごんのすべての整ととのった実践じっせんは、この三つを同時にお目覚めさせてまいります。

病腺びょうせんのお働はたらきでは、まさにそれが起おこっております ― 身しんはお働はたらきのなかにあり、お手てはお感かんじになり、姿勢しせいはまっすぐ、息いきは静しずかに流ながれます。 口くは静しずかなお働はたらき ― 内なる真言しんごんや静しずかなお整ととのえが、お実践じっせんに添そっていらっしゃいます。 意いは目めを覚さましておりますが、操あやつっているのではございません ― 解釈かいしゃくすることなく、ただ見守みまもっております。 ― この三みっつが静しずかに整ととのうとき、病腺びょうせんのお感かんじが開ひらかれてまいります。

多くの実践者じっせんしゃが、瞑想めいそうのあとに病腺びょうせんがよりはっきりお感かんじになるとお伝つたえくださいます。それはおかしなことではございません。 瞑想めいそう ― とりわけ合掌瞑想がっしょうめいそうと浄心呼吸法じょうしんこきゅうほう ― は、病腺びょうせんに必要な意いのひらきを、静しずかに整ととのえてくださるのでございます。 不思議ふしぎなお力ちからではございません ― 練ねることのできるお働はたらきでございます。そして真言しんごんのお実践じっせんは、それを磨みがくお道みちでございます。

マーク・ホサック博士が真言霊気のお話をなさる
お道場どうじょうでのお話はなし

病腺びょうせんを育そだてる 実践

病腺びょうせんは、選えらばれた方だけのものではございません。 お実践じっせんのなかで磨みがかれてゆくお感かんじでございます ― 音楽家おんがくかが耳みみを育そだてるように、料理人りょうりにんが味あじを育そだてるように。 ― 必要ひつようなのは、毎日まいにちの霊気のお実践じっせんでございます。ご自身に、あるいはお互たがいに、毎日まいにちお手てを添そえていらっしゃる方は、お手ての細こまやかさを磨みがいていらっしゃるのでございます。

真言霊気には、病腺びょうせんのお感かんじを深ふかめていく三つのお道みちがございます。 ひとつは 発霊法はつれいほう ― 毎朝まいあさのお実践じっせん。気きのお身体からだを清きよめ、道みちをひらいてくださいます。 二つめは 合掌瞑想がっしょうめいそう ― お感かんじが整ととのっていく、静しずけさのなかでのお実践じっせん。 そして三つめは、伝授でんじゅそのもの ― 真言霊気のお伝つたえのなかで、それまで閉とじていらっしゃったお感かんじの道みちが静しずかにひらかれてまいります。

大切たいせつなのは ― 頭あたまでお考かんがえにならず、お感かんじになることでございます。 病腺びょうせんは意識いしきの下したでお働はたらきになります。 ― 「これは段階だんかい2だろうか、3だろうか」と分析ぶんせきを始はじめますと、流ながれがそこで途切とぎれてしまいます。 お感かんじは、お探さがしになることをお休やすみになると、静しずかにやってまいります。 真言しんごんの伝統でんとうのなかで多く語られていますように ― 手てを放はなすこと、それが道みちでございます。

「お手てはいつもご存ぞんじでございます。問といはただひとつ ― そのお手てに耳みみをおすませでしょうか。それとも、ご自身がご存ぞんじだとお思おもいのことに、お気きを取とられていらっしゃるのでしょうか。」 マーク・ホサック博士はかせ
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霊気の深ふかみにお触ふれる

病腺びょうせんは、真言霊気が西洋せいようの霊気と違ちがうところのひとつでございます。伝授でんじゅがお感かんじをひらき、お実践じっせんがそれを磨みがいてまいります。

真言霊気への心こころの道みち 日本の霊気の技法ぎほう