瞑想をご希望きぼうでいらっしゃいます。おすわりになります。三さん分ぷんでお身体しんたいのあちこちが痛いたみはじめてまいります ― お背せ、膝ひざ、お腰こし。お身体しんたいがお抗あらがいになるので、お心こころが静しずかになりません。お馴染なじみでいらっしゃいますか。それなら、おひとりではございません。なによりも ― 何も間違まちがえていらっしゃいません。足たりないのは正ただしい姿勢だけでございます。

日本のお伝つたえのなかで、おすわりの姿勢は添そえのお場ばではございません。すべてのはじまりでございます。お呼吸こきゅうをお導みちびきになる前まえに、お真言しんごんを唱となえになる前に、内うちなる何なにかに触ふれになる前に ― おすわりになります。そしてどのようにおすわりになるかが、お身体がお支ささえになるか、おさまたげになるかをお決きめになります。御おん文字もじの坐 ― 坐(ざ) ― は「すわる」を意味いみします。坐禅にも、結跏趺坐にも、静しずけさで始はじまるすべてのご実践じっせんのなかにございます。

ここから、どのような姿勢があるか、ご自身に合あうお姿をどのようにお見みつけになるか ― そして、お手とお呼吸で本当ほんとうに大切たいせつなところを御おん知しりになります。

マーク・ホサック ・ 結跏趺坐と合掌のお姿
結跏趺坐と合掌のお印 ・ 古典の瞑想のお姿

六つのおすわりの姿勢 坐法

ただひとつの正しい姿勢はございません。ご自身のお身体に ― いま、この瞬間しゅんかんに ― 合うお姿がございます。日本のお寺では、お座蒲ざふのうえで、板いたのうえで、床ゆかのうえでおすわりになる方かたがいらっしゃいます。形かたちが大切なのではございません。大切なのは ― 背すじが真っすぐ、お肩がお緩み、お顎あごが軽かるくお引ひきになる、ということでございます。あとは合わせのお話でございます。

1. お椅子もしくはお腰掛け。 もっとも近づきやすいお姿 ― そして働はたらきにおいて劣おとられることもございません。お椅子の前まえ端はしにおすわりになり、お背すじを立たてになり、背せもたれにはお寄よりになりません。お足は肩かた幅はばに床にお置おきになり、お足あしの裏うらを完全かんぜんにお置きになります。お骨盤こつばんを軽かるく前まえへお傾かたむけになりますと、背すじは自みずから立たちあがります。日本では、お御僧おんそうのなかでも膝のお都合つごうがおありになる方は、お椅子におすわりになります。弱よわさのしるしではございません ― 聡明そうめいのしるしでございます。

2. 正座 ― お踵かかとのおすわり。 正座(せいざ)は古典の日本のおすわりのお姿でございます ― お踵のうえに膝立ちで、お背すじを真っすぐに。お座蒲もしくは正座のお板いたを御おんお尻しりとお踵のあいだにお置おきになりますと、膝のお関節かんせつがずいぶんお楽らくになります。正座のなかでお身体は自然しぜんに軸じくのうえへとお立たちあがります。

3. 胡坐(あぐら)。 お足を軽かるくお組くみに、膝はお腰の下したあたりに。高たかめのお座蒲がお骨盤を前へとお傾かたむけになるお支ささえになり、背すじが力ちからづくでなく真っすぐに保たもたれます。胡坐は結跏趺坐のお柔やわらかさをまだお持もちでない方かたのためのよきお入口いりぐちでございます ― そして、すべてのご実践に充分じゅうぶんでございます。

4. 半跏趺坐(はんかふざ)。 一方ぽうのお足が反対はんたい側がわのふとももにのり、もう一方は床にとどまります。胡坐より安定あんていし、結跏趺坐ほどおきびしくはございません。多おおくの修行者の方かたは、ご生涯しょうがいずっと半跏趺坐におすわりでいらっしゃいます ― それでよろしゅうございます。

5. 結跏趺坐 ― 蓮華座れんげざ。 蓮華座(れんげざ)でございます ― お両方のお足が反対側のふとももにのります。すべてのおすわりの姿のなかでもっとも安定しております ― お骨盤と膝の三さん角形かくけいがお身体を三脚さんきゃくのようにお支ささえになります。真言のお伝えのなかで、このお姿は「蓮華れんげのお御座みくら」と申もうし上あげられます ― お仏ほとけがお描えがかれるおすわりのお姿でございます。けれども、お気きをつけになって ― お強しいになりません。お腰こしのひらきは幾年いくねんもかかることがございます。お強いになる方は、膝をお痛いためになります。

6. お横よこになる、お立たちになる、お歩あるきになる。 瞑想はおすわりだけにはとどまりません。お横のなかで(お背中を平たいらに、お腕うではお身体のわきに)奥深おくふかい緩ゆるみが立たちあがれます ― お覚さめのままでいらっしゃるのが難むずかしいことが挑いどみでございます。お立ちのなかで ― お足は肩幅、膝を軽くお曲まげに、お腕はお腹なかの前にお球たまのように ― 気功のお伝えが幾千年いくせんねんもご実践されてまいりました。そして経行(きんひん)経行 ― お歩きの瞑想 ― では、一歩ぽがお呼吸と結むすばれます。一歩、一呼吸。ゆっくりと。意識をもって。息いきづくお歩きでございます。

マーク・ホサック ・ お林のなかのお立ちの瞑想
お林のなかのお立ちの瞑想 ・ 気功のお伝え

お手とお呼吸 ― 静かな鍵かぎ 息

おすわりはお整ととのいになりました。いまお手のお順じゅんでございます。瞑想には三みっつの根ねもとのお手のお置きがございまして、どなたでもすぐにお用もちいになれます ― 伝授も、まえもってのご知識も必要ひつようございません。

お手をふとももの上うえに。 お手のひらを下に、膝もしくはふとももにお置きになります。お大地だいちとのおむすび。お心がお静しずかになります。初はじめにも、お心がいつになくそわそわなさるときにも、よろしゅうございます。

お手をお腹のお前に。 お両りょうのお手のひらをお重ねになり、おへその下した ― 丹田(たんでん)丹田 ― にお置きになります。このお置きは、お注意をお身体の中心ちゅうしんへ ― 日本のお伝えでお力のお源みなもとがおいでになるお場へ ― とお導きになります。お手のお下にお呼吸をお感じになります。お腹がお持もちあがり、また沈しずむのをお感じになります。それだけですでに瞑想でいらっしゃいます。

お手をお重ねになる。 左のお手が右のお手のなかに休やすまれ、親指の先さきが軽かるく触ふれあいます。古典の坐禅のお姿(法界定印(ほっかいじょういん)法界定印)で、お手をお椀わんのお形にお組みになります ― 静けさのお器うつわでございます。このお置きは神経しんけいのお働はたらきに静しずかにお知しらせになります ― お計はからいなく。お掴つかみなく。ただいらっしゃるばかりでございます。

これらのほかに、日本のお伝えにはお印 ― ご実践のお手の御印 ― がたくさんございます。けれども、これらは伝授のお枠わくのなかでお伝えされ、お伝えのなかでこそご実践されます。

そしてお呼吸でございます。お鼻からお吸いになります。お息いきをお腹のなかへとお沈しずめになります ― お胸のなかではございません。お腹のお呼吸でございます。お吸いになるたびにお腹のお皮が前まえへとお膨ふくらみになるのをお感じになります。お吐きになるたびに、また戻もどるのをお感じになります。お力づくにならず、お強いの調しらべになりません。お離はなしになるとお起こりになることを御おん覧らんになります。真言霊気のご実践のなかで、このお腹のお呼吸はすべての奥のお呼吸の根もとになります ― お身体とお心をとくべつな仕方でおむすびになる108呼吸の瞑想のような。

大切なお話

正しい姿勢は、おすわりであることをお忘わすれになるお姿でございます。 背すじが真っすぐ、お肩がお緩み、お顎が軽くお引きに。お手は静かに。お呼吸はお腹に。それ以外のすべて ― 結跏趺坐、正座、お椅子 ― はお道具どうぐでございます。ご自身のお身体に合うお道具をお選えらびになります。一番いちばん立派にお見みえになるものではございません。

よくあるお誤あやまり ― そして、お避さけになるお仕方 注意

低ひくくおすわりすぎになる。 膝がお腰よりお高たかくなりますと、お骨盤が後うしろにお傾かたむき、下したのお背中が丸まるくなり、十分も経たずにあちこちが痛いたみはじめます。お解とき方かた ― より高めのお座蒲、瞑想のお板いた、または畳たたんだお手てぬぐいをお尻のお下に。お腰は常つねに膝より少すこし上うえでございます。

お肩をお引ひき上あげになる。 ストレスはお肩にとどまります。瞑想を始はじめになる前に、お肩を一度ど意識的にお耳みみのほうへお引きあげになり ― それからお落おとしになります。三回くり返かえしになります。違いをお感じになります。ご実践のなかでも、お肩がお上うえに登のぼっていらっしゃらないか、何度もお確たしかめになります。ほぼいつもそうなさいます。

結跏趺坐をお強いになる。 結跏趺坐はお目当てではございません。おひとつの可能性でございます。お強いになる方は、膝の内側にお傷きずを残のこすおそれがございます。ひらきはお腰からまいります、膝からではございません。そして、それぞれのお時ときでまいります ― 幾月いくつきかのこと、幾年いくねんのこと、お一生しょうこない御方かたもいらっしゃいます。それは大切ではございません。ご実践の奥行きはお足のお置きでお決まりにはなりません。

多くを望のぞみすぎになる。 はじめての日に二十分の静けさをお望みでいらっしゃいますか。志こころざし高たかうございます。五ご分でお始めになります。七しち分。十分。お身体は静かにすわるのに慣れるお時間が必要ひつようでいらっしゃいます。お心はもっと必要でございます。日本のお伝えではこう申もうし上げられます ― 毎日少しずつ。日々是好日 ― 日々これ好日でございます。三分しかおできにならなかった日にも、でございます。

マーク・ホサック ・ 合掌のお印とお目を閉じてのお姿
合掌の瞑想 ・ 日々これ好日

姿勢が働はたらき以上のものでいらっしゃる理由りゆう 道

西洋のお世のなかで、おすわりの姿勢はしばしば働はたらきのお話としておあつかいになります ― どうすれば静かにすわれるくらいに楽でいられるか、というお話でございます。誤あやまりではございません。けれども、それだけではございません。

真言のお伝えのなかで、おすわりの姿勢そのものがすでにご実践でございます。お身体が器うつわになります。真っすぐな背すじが道みちになります。お腹のなかへとお沈みになるお呼吸が、丹田をお養やしないになります。お手 ― 膝のうえでも、お印のなかでも ― がお身体とお心をおむすびになる循環じゅんかんを閉とじになります。

日本のお寺で姿勢にこれほどの重おもきが置おかれる理由りゆうでございます。おきびしさからではございません。姿勢そのものがすでに働はたらきはじめになるからでございます。真っすぐおすわりになり、意識的にお呼吸になる方は、「お術すべ」がお始まりになる前に、すでに状態じょうたいをお変かえになります。姿勢は瞑想へのお備えではございません。瞑想そのもののはじめの一歩でございます。

瞑想のご実践により奥おくへとお進みになりたい方かたには、月輪観の瞑想のなかに真言のお伝えの力ちからづよいご観想がございます。そして、お道のうえで抵抗 ― そわそわ、疑い、つまらなさ ― にお会いになりましたら、瞑想の九つの抵抗の記事が誠まことのお伴でいらっしゃいます。

「何かを達たっするためにおすわりにならないでください。到いたるためにおすわりください。お身体がお門もんでございます。その奥の静けさは、自ずから開ひらかれます。」 マーク・ホサック博士はかせ
個別こべつのご体験たいけんでございます。 結果けっかには個人差こじんさがございます。霊気と霊性れいせいの実践じっせんは、医療いりょうや心理療法しんりりょうほうの代かわりとなるものではございません。
奥の瞑想へ

つぎの一歩

おすわりの姿勢ははじまりでございます。真言霊気のなかで、姿勢はお呼吸、お音、儀礼と静しずかに結むすばれます。どのお入口いりぐちがご自身に合あうのか、ご一緒いっしょにお見つけになりましょう。

真言霊気への心こころの道みち 108呼吸の瞑想