日本の道のほとりには、ときおり、ほかの仏さまや菩薩さまとは様子の違うお姿の石仏がいらっしゃいます。— お顔は力強く、お頭の上には馬の頭の冠をお戴きでいらっしゃいます。— 旅人、馬子、百姓の方々が、何世紀もの間、このお像のかたわらに立ち止まり、祈りを捧げてまいりました。— 悟りのためではなく、ご自分の動物のお守りのために。— これが 馬頭観音 馬頭観音 — 観音さまの、特に動物の世界とお結ばれになるお姿でいらっしゃいます。
ある霊性の伝統が、動物のための独自の菩薩さまをお持ちであることは、何を語っているのでしょうか。— 動物と人とのお繋がりが、その伝統において余のことではなく、大事なものとして位置づけられているということ、でございます。— 真言の伝統において馬頭観音さまは、千年余りにわたり、観音さまの慈悲を動物の世界へとお運びくださるお力でいらっしゃいます。— そして、まさにこのお力が、今日「真言霊気による動物との心のお繋がり」と申されるものの根となっていらっしゃるのでございます。

馬頭観音さまは、どのような御方でいらっしゃいますか馬頭観音
馬頭(馬頭、ばとう)とは、文字どおり「馬の頭」。観音(観音、かんのん)は、慈悲の菩薩さま — サンスクリットではアヴァローキテーシュヴァラ、世のあらゆる声を分け隔てなくお聴きになる御方でいらっしゃいます。— 馬頭観音さまは、その最も力強いお姿のお一つ。— ふだんの観音さまのおだやかなお姿とは違い、お顔は厳しく、お力に満ちていらっしゃいます。
この厳しさは、お怒りではございません。— 障りを突き破るお力 — 不動明王さまをはじめ、明王さま方がお現しになるのと同じ、力強き慈悲でいらっしゃいます。— 馬頭観音さまは 明王 明王(知恵の王)の御列に属していらっしゃるため、ときに 馬頭観音明王 ともお呼びいたします。— 観音さまの六観音のうち、ただお一人、力強いお姿でお現れになる御方でいらっしゃいます。— 動物の世界には、人の世界とは違う形の慈悲が必要だからでございます。
日本では、馬頭観音さまは何世紀にもわたり、馬の御守りの御方でいらっしゃいました。— そして、人とともに暮らし、ともに働く動物すべての御方として。— 古い街道のかたわらには、馬頭観音さまの石碑が今も立っていらっしゃいます。— 馬がお倒れになった場所に、追分に、峠に。— 百姓の方々は、ご自分の動物のお守りのために、お祈りいたしました。— そして、お一人(動物)がお亡くなりになるとき、馬頭観音さまをお呼びして、その魂を次の世へとお導きくださいました。
動物への霊気 — 大切なこと動物靈氣
動物に霊気をおあげになることは、人さまに霊気をおあげになることと、根のところで違っております。— エネルギーが違うのではなく、— 心のお通わせ方が違うのでございます。人は、どこが痛いかをお言葉でお伝えくださいます。— 動物は、それを姿でお示しいたします。— ご覧になっているなら。— ここから、本当の実践が始まってまいります。— 技ではなく、共感から。
動物との実践のうえで最も大切なお心構えは、素朴でございます。— 動物のお望みをお感じになること。ご自身のお望みではなく。— ご自身のご計画でも、ご自身のお時間でも、「施術」の形のご想像でもなく。— 動物がお決めになります。霊気をお受け取りになるかどうか。どれほど近づくことをお許しになるか。— そして、いつ終わりにいたすか。
この姿勢 — 心からの敬意、こちらの意図のないお心、ご自我のないお心 — は、ただのよきお考えではございません。— なくてはならぬ前提でございます。— 動物の方々は、すぐにお感じになります。「ここで何かを起こさねば」というお気持ちでお近づきになる方を。— そうすると、お逃げになります。あるいは、お落ち着きをお失くしになります。あるいは、お噛みつきになります。— ご恩知らずだからではございません。— 境を越えてしまわれたからでございます。
動物への霊気には、共感、柔軟さ、ご自身のご計画をお手放しになるお覚悟が必要でございます。— 形の決まった「施術」は、動物には合いません。— 合うのは、お期待のないご臨在でございます。— 御手はご用意できているけれど、お押しつけはなさらない。— 動物は、お望みのときにお近づきになります。— ときには、お近づきになりません。— どちらも、正しいお姿でございます。
小さな動物、大きな動物、野の動物生命
動物の大きさやお姿によって、実践は変わってまいります。— ハムスター、小さな鳥、虫 — このような生き物では、お身体ぜんぶが掌より小さい。— ここでは、人のような個別のお位置はございません。— その小さな命すべてに、いちどに霊気をおあげいたします。— 御手をそっとそのお側に添えるか、— あるいはもっとよろしいことに、少しお距離を取って、お窮屈にお感じにならぬように。
中くらいの動物 — 猫、犬 — では、人さまと同じように、お身体の個別の場所にも御手をお添えになれます。— そして、馬のような大きな動物では、お身体がご自身よりずっと大きいので、ひと所に両御手を当てる必要がございます。— 時間も、お辛抱も、たっぷりと。— 馬がお求めになる忍耐は、それじたいが、ひとつの実践でございます。
野生の動物 — お怪我をされた小鳥、お庭の針鼠 — には、もうひとつ大切なきまりがございます。— お距離をお取りになることでございます。— 霊気は、オーラを通じても、お距離を超えても働いてまいります。— 野生の動物にお触れになる必要はございません。— そして、お試みにもなりませぬよう。— 霊気がお守りにならないからではなく、— 物理的な危険 — お噛みつき、お引っ掻き、寄生虫 — からはお守りにはならないからでございます。— ご熱心のあまり、つい忘れてしまいがちな大切な違いでございます。
動物にお怪我がはっきりとあり、獣医さまの処置が必要なときは、獣医さまにお願いいたしましょう。— 霊気は、獣医さまのお働きにお代わりはいたしません。— ご一緒にお支えいたすことはできますが、— ご優先はあきらかでございます。
馬頭観音さまの実践実践
馬頭観音さまへの伝授は、特別なお繋がりをひらいてまいります。— 観音さまの慈悲を、お心を込めて動物の世界へとお運びするお力でございます。— ただ「動物に霊気をおあげする」よりも、もっと深いものでございます。— 真言、印、観想を伴う独立の道でございます。— 三密のすべて、身・口・意の三つのしるしを、いちどにお運びいたす実践でございます。
馬頭観音さまの真言は、— オン アミリト ドハンバ ウン ハッタ ソワカ。— 日々の実践のうちに、動物にお逢いになる前に、静かに唱えてまいることもできます。— ご自身のなかの慈悲をひらくため、お感じになるお力をひらくために。— 動物への霊気のお授けの間、心のうちに繰り返してまいることもできます。— そして、動物の命がお果てになるとき、あるいはお果てになったあと、唱えてまいり、その魂を慈しみとともにお送りいたすこともできるのでございます。
馬頭観音さまへの瞑想は、蓮華座、あるいはお楽な姿勢から始めてまいります。— 馬頭観音さまに、慈悲とお力添えを願います。— その菩薩さまのお力が、ご自身を通じて動物の世界へと広がっていくお姿を、心に観じてまいります。— 「人はここに、動物はそこに」という境が、そっと解けてまいるのをお感じになります。— 境がないからではなく、— 慈悲がそれを透き通すからでございます。
伝統が大切でいらっしゃる理由伝承
西洋では、「動物の霊気」は、余のおまけのようにお扱われになることがしばしばございます。— 三度目の週末のあとに、おまけにいただくものとして。— 真言の伝統では、動物との働きはそうではございません。— 独自の歴史を、独自の菩薩さまを、独自の儀礼を、お持ちでございます。— おまけではございません。— 慈悲の独立した一つの面でいらっしゃいます。
この違いは、実践のなかにお現れになります。— 「御手を当てると、霊気が流れる」という技だけをお持ちの方は、動物のところで早く限界にお出会いになります。— 馬頭観音さまとお働きになる方は、身体のお触れをお超えになるお繋がりをお持ちでいらっしゃいます。— 真言が、ひとつの場をひらきます。— 観想が、ひとつの橋を架けます。— 伝授が、千年余りにわたって伝統のうちに息づくお力をひらいてまいります。
アイリーン・ヴィースマンは、長きにわたり動物と霊気とともにお働きでいらっしゃいます。— ご自身の動物の家族たちと、また他の方々の動物とも。— その経験は、伝統がお伝えになることを裏づけてまいります。— 馬頭観音さまへのお繋がりは、動物との実践だけを変えるのではなく、— 動物のお感じ方そのものをお変えになります。— 必要、お気持ち、聞き逃しやすい静かなお声。
動物との心のお繋がりが、なきもののこと注意
明らかにしておきたいことが、いくつかございます。— 動物への霊気は、獣医さまのお処置のお代わりではございません。— 獣医さまへのお訪ね、お注射、ご応急のお手当てに代わるものではございません。— 動物が医療のお助けを必要となさるときは、お助けが必要でございます。— それだけは、明らかでございます。
また、特定の結果のお約束でもございません。— 何が起こるか、起こらないかについて、お約束はございません。— あるのは、お繋がり、お感じ方、共感の場を、より深くひらくひとつの実践でございます。— 動物とご自身が、そこから何をお持ちになるかは、ひとつひとつ違ってまいります。
そして、真言霊気のうえでの動物との心のお繋がりは、お見世物ではございません。— 「あなたさまの犬とお話して、何を考えているかをお伝えする」というものではございません。— それは静かな実践でございます。— ささやかに、お注意深く、敬意をもって。— 人と動物の間に生まれる静けさのなかに、— こちらが「お望み」をお休みになり、お感じになる時間が始まります。

お知らせ:ここに記された実践は、獣医さまのお処置のお代わりとなるものではなく、医学のご応用ではございません。— 霊気は霊性の実践でございます。— 個々のお体験は異なってまいります。