日本には霊のお方々が満ちておられます。古い木に、人気のないお家に住まわれます。橋を越え、山の霧のなかをお歩きになります。お寺にお坐り、石のなかにお眠りになります。これは例えではございません ― 目に見える世界と見えない世界とのあいだの境目が、西洋のように鋭く引かれてこなかった、お文化のお本でございます。
今のアニメや漫画に親しまれる方々は、これらのお方々と絶えずお出会いになっておられます ― 多くのばあい、本物の伝統に根ざしておられることをお知りにならないままで。狐の霊、鬼、お面のお姿、炎の輪に包まれた守りの御方。すべて幾千年の霊性のお本からお生まれてまいりました。作り事ではございません。
お本となる枠組み ― 六種のお方々 六道
日本の伝統には「善」と「悪」の単純な二つに分けるお考えはございません。代わりに、細やかに分かれた御方のお姿が広がっております ― 神道、仏教、道教、東アジアのシャーマニズムの諸伝統から豊かにお育ちになりました。主なお分類をお知りいただくと、その広がりが静かに見えてまいります。
神霊 ― 神道のお方々
神霊は至るところにいらっしゃいます。川に、山に、木に、石に。お亡くなりになったご祖先もまた、神霊となられます。全能でも全知でもなく、独自のお意志をお持ちの自然のお力でいらっしゃいます。お敬い申しあげ、お願いをお伝えし、お守りをいただきます。日本のお社はそれぞれ、お一方かお幾方かの神霊にお捧げされております。
仏様と菩薩様
密教のなかで、仏様や菩薩様は遠い理想ではいらっしゃいません ― いまここにおられるお力でございます。大日如来様はあらゆるところにお満ちでございます。観音様はあらゆる呼びかけをお聴きになります。不動明王様は障りをお焼きになります。真言宗の伝統のなかで、真言、印、瞑想を通して直にお感じいただけます。
妖怪 ― 変じる御方
妖怪は西洋の意味での悪魔ではございません。人と自然のあいだにいらっしゃるお方々でございます。危うございます方も、害のないお方も、ときにお助けくださる方もいらっしゃいます。河の河童、山の天狗、お姿を変えられる狐のお方々。妖怪は日本のもっとも古くからお住まいの方々でいらっしゃいます。
幽霊 ・ 怨霊 ― お残りの方々
幽霊は、お亡くなりになったあとに静かにお休みになれなかったお方々でございます ― ほどけないお気持ち、未練、お約束のお破れによって、お場所や人やお感じにお結びになっておられます。もっとも有名な幽霊のお話は四谷怪談でございます ― 二百年あまりお演じられてまいったお話でございます。
天人 ― 天上のお方々
天人は天上の諸界にお住まいの方々でございます。たなびくお衣に、雲と花のお姿でお現れになります。仏教の宇宙観のなかで、よき業によって高き境界にお進みになった御方でいらっしゃいます ― けれど、お輪廻から離れていらっしゃるわけではございません。
鬼 ― 畏るべきお方々
鬼は角と金棒と、猛き顔のお姿でいらっしゃいます。地獄の門をお守りになり、過ちのお清めをなさいます。けれど、すべての鬼が悪くいらっしゃるわけではございません ― お寺のお守りとなられた方も、仏様のお味方となられた方もいらっしゃいます。修験道では、これらのお力にお意識的にお働きいただきます。

霊 ― 日本における「霊」のお意味 靈
これは大切でございます。西洋のお言葉で「幽霊」と申しますと、怪奇のお姿 ― 怪しい現象やホラー映画 ― を思い浮かべることが多うございます。けれど日本における霊は、もっとずっと広いお意味をお持ちでございます。身体を越えて存在するすべて ― あらゆるものに息づくいのち、御祖先のお力、仏様のお臨在、自然の御方のお働き ― を包みこんでおられます。霊はあらゆるお方々がお存在になるお場でございます ― そして霊気は、その場へとお入りいただくお道でございます。
真言宗における見えない世界 密教
真言宗のなかには、目に見える世界と見えない世界とのお分かれ目はございません。あらゆるものが宇宙の仏様 ― 大日如来様大日如来、「大いなる太陽の仏様」 ― のお表れでございます。儀礼のなかでお呼びかけ申しあげるお方々は、どこか外にお住まいの異なるお方ではございません。ご自身のなかにもお同じく息づくお真実のあるお側面でいらっしゃいます。
これは抽象的に聞こえるかもしれませんが ― 御行のなかでは、たいへん具体的でございます。真言宗の御行される方が不動明王様の真言をお唱えになり、その印をお結びになりますと、御行のお時間のあいだ、その方が不動明王様となられます。御行される方とその仏様とのお分かれ目が静かにほどけてゆきます。お遊びではございません ― これが加持(かじ)加持、人のお意識と仏様のお力との、おたがいの染みあいでございます。
その御方をお呼びになるのではございません。その御方となられます。これが、真言宗の御行と西洋の多くの「霊的なお仕事」のお考えとの、本からのお違いでございます。外から何かにお触れになるのではなく、ご自身のなかにすでにおられるものを、静かにお呼び覚ましになるお話でございます。
お守りのお方々 ― 明王 明王
明王(みょうおう)明王 ― 「光の王」 ― は、密教のもっとも強く印象に残るお方々でございます。炎の輪と、歪めたお顔と、お武具を携えられたお姿でいらっしゃいます。初めてご覧になる方は、悪のお方をお思い浮かべになるかもしれません。けれど、真はお逆でございます ― 明王は仏法のお守りでいらっしゃいます。そのお怒りは、もっとも直なるお慈悲のお姿でございます。
もっともよく知られておられる明王は不動明王(ふどうみょうおう)不動明王 ― 「動かざる光の王」 ― でいらっしゃいます。無明を断つお剣と、障りをお縛りになる羂索をお携えになります。お炎は、ご自身と真のお本性とのあいだに立つすべてをお焼き清めくださいます。真言宗の伝統のなかで、奥なる御行のなかで最初にお出会いになるお守りであり、もっともお力強いお方のお一方でいらっしゃいます。

修験道 ― 真言宗、道教、シャーマニズム的な諸要素が融けあう山のお修行の伝統 ― では、明王のお力に深くお働きいただきます。山伏のお方々は、火を渡られるとき、お滝に入られるとき、不動明王様にお呼びかけ申しあげます。抽象的なお考えではなく、お身体のなかの生きたご体験として、お力をお受けとめになります。
狐、狸、お動物のお方々 狐
日本には、お動物のお方々の世界でも、もっとも豊かな伝統のお一つがございます。狐(きつね)狐 ― お狐のお方々 ― は、人のお姿になられ、幻をおつくりになり、害もなされれば、お守りもしてくださいます。お歳を重ねられるごとに、お尾が増えてゆかれます ― 九つの尾の狐は古くからお住まいの、たいへんお力強い御方でいらっしゃいます。
狐は稲荷の神様稲荷 ― お米、豊かさ、実りの神様 ― と深くお結びでございます。京都の伏見稲荷大社の幾千もの朱色の鳥居 ― 日本でもっとも有名なお景色のお一つ ― は、稲荷神様にお捧げされております。各地の稲荷神社にいらっしゃる狐のお像は、稲荷神様のお使いでいらっしゃいます。
狸(たぬき)狸は、日本のお霊の世界のお戯れ手でいらっしゃいます。お姿をお変えになり、お悪戯をなさり、ときにはお福を運んでくださいます。丸みのある御腹と朗らかなお気性から、日本でもっともお親しまれるお姿のお一つでいらっしゃいます。けれど、その奥には深いお真実がございます ― あらゆるものに魂のお息づく世界では、お動物もまた、世界のあいだをお歩きになる御方になられるのでございます。
見えない世界とのお結びを整えてお持ちになるには 結界
日本の伝統のなかには、見えない世界とのお付き合いに明らかなお作法がございます。無造作に門をお開きになり、誰がお通りになるかを見るというようなことはなさいません。それは危のうございますし、お敬いに欠けます。日本の真摯な霊性の伝統はどれも、お備え、お守り、お整った心持ちを大切になさいます。
真言宗のなかでは、あらゆる御行が結界(けっかい)結界 ― 霊性のお守りの境 ― をお建てになるところから始まります。真言、印、観想を通して、お清らかでお守られたお場がおつくりになります。その境のお内になってはじめて、本の御行がなされます。これは選べる事柄ではございません ― 御行のお本でございます。
霊性のお世界との整ったお結びには、三つの事柄が必要でございます ― ご自身をお担いになる線、ご自身をお守りになる御行、そして道をお開きになる伝授でございます。この三つがおそろいでないあいだは、見えない世界のお方々とのお触れあいは、良くて空想、悪くてお危のうございます。
九字切り ― 九つの儀礼的な印 ― には、このお守りが静かに組みこまれております。九つの字はそれぞれ、ある働きをお呼び覚ましつつ、お守りもおつくりになります。九つのお切れ目がお場をお分かちになり、御行される方が整えられた場でお働きいただける秩序がおできになります。印はシャーマニズム的な道教からお由来になり、真言宗と修験道を通して日本にお渡りになりました。
これらが霊気にとってなぜ大切でございますか 靈氣
霊気は独り立った御技ではございません。見えない世界が見える世界とお同じく真実であった文化のなかから生まれてまいりました。臼井甕男先生はこれをお知りでございました。仏教のお経をお修めになり、道教の師たちのお作法をお知りになり、密教の儀礼にお親しまれていらっしゃいました。鞍馬山でのご体験のなかでお受けになったのは、抽象的な「エネルギー」ではいらっしゃいません ― 日本の伝統のなかで、お名前と、お歴史と、背景を持たれるお力でいらっしゃいました。
霊気の字 ― 靈氣 ― には、世界のあいだをお歩みになる巫がおられます。天から降る雨が含まれております。立ち昇る祈りが含まれております。そして気(き) ― あらゆるものに流れるいのちのお力 ― が含まれております。霊気をお修めになるとは、この流れのなかにご自身を静かにお置きになることでございます。傍観者としてではなく、お結びをお担いになる者として。
真言霊気のなかでは、このお結びを意識的にお育てになります。仏様、菩薩様との瞑想を通して。真言と印の御行を通して。あらゆるお力にお姿をお与えになる悉曇のお字とのお仕事を通して。そして、これらのお力への道をお開きになる伝授を通して ― お守られながら、整えられながら、本へとつながる線のなかで。