明治期 ・ 臼井甕男先生が日本でお過ごしになった時代
明治期 ・ 霊気が生うまれたお背景はいけい

東京の西方寺さいほうじにございます臼井うすい甕男みかお先生のお墓はかの碑文ひぶんには、西洋せいようの霊気を修おさめておられる多おおくの方々かたがたを戸惑とまどわせる一文いちぶんがございます。「明治天皇のお言葉ことばに従したがいなさい」と。天皇てんのうがなぜ霊気の御行に関かかわってこられるのでしょうか。政治せいじと霊気とがどのように結むすびついているのでしょうか。

お答こたえは日本の歴史れきしの奥おくへと静しずかにお誘さそいします ― そして、霊気をその文化ぶんかの背景はいけいから切きり離はなしてしまうと、いかにたやすく誤あやまって受うけとられてしまうかを静しずかに映うつし出だしてまいります。

神聖しんせいなるお方かたとしての天皇 天皇

明治天皇明治天皇は、1868年から崩御ほうぎょされる1912年まで、日本を統すべておられました。この時代じだいに、日本は封建社会ほうけんしゃかいから近代きんだいの工業国こうぎょうこくへと姿すがたを変かえてまいりました。侍さむらいの身分みぶんが消きえ、古ふるい仕組しくみが崩くずれ、新あたらしいものが生うまれてゆきました。大おおいなる移うつろいの時代じだいでございます。そのお中央ちゅうおうに、御おん民たみが神聖しんせいなるお由緒ゆいしょとお仰あおぎになる天皇がおられました。

このお考かんがえは、第二次だいにじ世界大戦たいせんのお終おわりまで、日本の社会しゃかいに深ふかく根ねづいておりました。天皇はただの支配者しはいしゃではいらっしゃいません。神聖しんせいなる世界せかいと人ひとのお世界せかいとのお橋渡はしわたしでいらっしゃいました。勅ちょくに従したがうことは政治せいじのお務つとめではなく、霊性れいせいのお務つとめでございました。

侍さむらいのお家いえのお生うまれであった臼井甕男先生にとって、天皇への忠誠ちゅうせいはごく当あたり前まえのことでございました。ご自身じしんの本性ほんしょうのお一部いちぶでいらっしゃいました。1868年の明治維新いしんで侍さむらいの身分が形のうえで消きえていきますと、逆ぎゃくに多おおくの侍さむらいの方々がいっそう真しんの守まもり手てとして天皇のおそばにお仕えになろうとなさいました。歴史れきしのうえでは、別の侍の方々かたがたが天皇に反そむかれたこともございましたが。

お墓の碑文ひぶんに記しるされておりますこと 碑文

東京の西方寺さいほうじにございます臼井先生のお墓の碑文には、場所ばしょに限かぎりがございます。そこで碑文には、歴史的れきしてきな大切たいせつなお言葉ことばがいくつか用もちいられております。一見いっけんするよりも、ずっと奥深おくぶかいお意味いみが込こめられておるのでございます。

日本語の原文げんぶんでは、「明治天皇のお言葉に従したがいなさい」というお言葉が、合掌がっしょう瞑想や生いき方かたの戒いましめ(五戒ごかい)よりも先さきにお記しるしになっております。毎日まいにちのお務つとめとしての五戒をお記しるしになる前まえに、臼井先生は勅ちょくを道みちのお本もととしてお示しめしになっておられます。軽かるいお添そえ言ごとではなく、意識的いしきてきなお位置いちづけでございます。

西洋せいようでは、ここから「生いき方かたの戒めは明治天皇ご自身がお作つくりになった」というお誤解ごかいが生うまれてしまいました。これは事実じじつではございません。けれど、ふたつのお言葉ことばのあいだのお結びは確たしかにございます ― そして、多おおくの方かたがお気きづきになっておられるよりも、ずっと奥深おくぶかいお話でございます。

1890年の勅語ちょくご 勅語

1890年10月30日、明治天皇が御自みずから御おん民の方々かたがたへとお言葉をお伝えになりました。この勅語ちょくご勅語は、十二の徳とくのお道みちをお示しめしになりました。お勧すすめではございません。神聖しんせいなるお方が御おん民へとお伝えになった御み声こえでございました。

1912年に明治天皇が崩御ほうぎょされたあと、明治天皇の遺訓いくん明治天皇の遺訓というお言葉が定さだまったお言ことい方かたとなりました。当時とうじの教養きょうようのある日本の方であれば、すぐにこの1890年の勅語のことだとお気づきになりました。臼井先生はご存命中ぞんめいちゅうに勅語をお聞きになり、お身みにつけておられましたので、お墓の碑文にこのお言葉が現れますのは、不思議なことではございません。

勅語の十二のお道

勅語には具体的ぐたいてきな十二のお道がお記しるしになっております ― けれど、お墓の碑文やお書かきにお記しの臼井甕男先生の五戒ごかいは、その中なかには含ふくまれておりません。五戒は臼井先生御自身ごじしんのお言葉でございます。けれど、本もととなるお心持こころもちには、たしかに通つうじあうところがございます。

古文こぶんから現代語げんだいごのお意味へとお映うつしになりました、勅語の十二のお道を以下にお示しめしいたします。

一
ご両親りょうしんを愛あいしお敬うやまいください。
二
兄弟姉妹きょうだいしまいと仲なかむつまじくお暮くらしください。
三
夫婦ふうふはおたがいに調和ちょうわをはかりください。
四
お友ともとおたがいにお信しんじあいください。
五
人をお敬うやまいになり、ご自身を慎つつみください。
六
博愛はくあいのお心で人にお接せっしください。
七
学問がくもんを修おさめ、技わざをお磨みがきください。
八
これによって、知識ちしきとお力を内側うちがわからお育そだてください。
九
すぐれた人格じんかくへとご自身を整ととのえください。
十
ご自身の志こころざしから、公おおやけのお益やくをお求もとめください。
十一
国家こっかと社会しゃかいに役立やくだつお務つとめをお見出みいだしください。
十二
つねに憲法けんぽうを重おもんじ、法律ほうりつに従したがいください。有事ゆうじの際さいには正義せいぎと勇気ゆうきをもって、社会にお仕つかえください。
「われは、御おん民とともに、これを消きえることなくお心に刻きざみつけたいと願ねがっている。人格じんかくのお整ととのえが、共ともに分わかちあう宝たからとなりますよう、真心まごころからお祈いのりいたします。」 明治天皇 ・ 1890年10月30日 勅語 ― マーク・ホサック博士はかせお訳

勅語の原文げんぶん 原文

勅語は古ふるい文体ぶんたいで記しるされており、現代げんだいの方々にとってもなかなか近寄ちかよりがたいものでございます。原文げんぶんを現代語げんだいごのお姿すがたでお映うつしになりますと、以下のとおりでございます。

両親に孝行し、兄弟姉妹が仲良く助け合い、夫婦が互いに調和し、友人どうしが信じあい、他人を敬い自分を慎んで自己を抑制し、人々に博愛で接し、学問を修め技術を習う、これらによって知識と能力を自己の中から発展させ、優れた人格者として完成して、そして自発的に公共の利益を求め、国家、社会に必要な仕事を見出し、常に国の憲法を重視し、国の法律に従い、もし有事になれば正義と勇気を持って社会に奉仕する事により、きわまることの無い天地のような永遠に続く皇室を守るべきである。

このような道は、代々にわたる私の先祖達の残した教訓であって、子孫である全国民が遵守すべき事柄で、これを昔から今まで守り続けても誤りが無く、国内同様国外で行っても道理に外れるものではないので、私は御民と一緒に、これを忘れないように心に刻み、完成された人格を共有したいと切に願っている。

誤解ごかいと混まざり合あい 混乱

注目ちゅうもくすべきは、勅語の第一だいいちのお道でございます。「ご両親りょうしんを愛あいし敬うやまいなさい。」このお言葉は、西洋せいようでの霊気の五戒のいくつかのお訳やくのなかにも姿すがたを現あらわしております ― 「糧かてを誠実せいじつに得えなさい」というお言葉と並ならんで。けれど、このいずれも、お墓の碑文にもお書きにも、臼井先生御自身ごじしんのお記しるしの五戒には含ふくまれておりません。

何なにがお起おこりになったのでしょうか。どこかの時点で、勅ちょくのお言葉と臼井先生の五戒とが静しずかに混まざってしまったようでございます。勅ちょくからのお言葉と五戒からのお言葉が合あわさり、「拡ひろげられた生いき方かたの戒いましめ」として世よに広ひろまったのでございます。本もとのお姿すがたはお見みえなくなってまいりました。

五戒には、未知みちの別べつのお原もとがおありになるのかもしれない、というお考かんがえもございます。けれど、それが日本語の原文げんぶんでお姿すがたを現あらわしになるまでは、お推すし量はかりにとどまります。確たしかに分わかっておりますのは、お墓の碑文の五戒と勅語の十二のお道は、異ことなる二ふたつのお言葉ことばであるということでございます ― 本もととなるお心持こころもちは共通きょうつうしておりますが、内容ないようもお由来ゆらいもそれぞれでございます。

なぜこのお話が大切たいせつでございますか

西洋せいようには、無数むすうのお姿すがたの「霊気の生いき方かたの戒め」が流布るふしております。勅ちょくのお言葉が含ふくまれているものもあり、含ふくまれていないものもございます。本来の五戒を御ご修しゅうになりたい方は、日本語の原文げんぶんにお向きになることが望のぞましゅうございます ― 第三者だいさんしゃや第四者だいよんしゃのお訳やくを通とおすのではなく。

明治天皇のお歌うたと臼井先生 御製

西洋せいようのいくつかの霊気の伝統でんとうでは、明治天皇の御製(ぎょせい)御製 ― 天皇がお詠よみになった和歌 ― にお親したしみになることがお勧すすめされております。明治天皇は幾万いくまんの和歌をお詠よみになりました。お胸むねのお感かんじ ― 自然しぜんのお眺ながめ、お思おもい、お気持きもちのお移うつろい ― が静しずかに表あらわされたお歌うたでございます。

これらの和歌を、五戒と並ならぶ霊性の御行とお感じになる方々もいらっしゃいます。純じゅんに個人こじんのお気持ちのお表あらわしであり、霊気とも勅とも直接ちょくせつにはお結びになっておられない、とおっしゃる方々もいらっしゃいます。

どちらのお見方みかたにも理りがございます。確たしかなことは、明治天皇御自身ごじしんは霊気とお結びになっておられなかった、ということでございます。霊気の伝統でんとうのなかで天皇が大切たいせつでいらっしゃるのは、侍さむらいのお家のお生うまれの臼井先生が、忠誠ちゅうせいなる御おん民として勅をお暮くらしの倫理りんりのお本もととしてお身みにつけておられたから、というところにございます。お墓の碑文に記しるされているのは、その本もとへのお礼れいでございます。それ以上いじょうでも以下でもございません。

御行に映うつるお意味いみ 実践

臼井先生のお墓の碑文の明治天皇のお言葉は、政治的せいじてきな忠誠ちゅうせいのお呼よびかけではございません。臼井先生がお生いきておられた倫理りんりのお枠組わくぐみをお示しになっております。勅ちょくはご自身の整ととのえ、博愛はくあい、共同きょうどうのお務つとめをお求もとめになります ― 臼井先生御自身ごじしんの五戒と、静しずかにお重なりになるお姿すがたでございます。

霊気をお深ふかくお感かんじになりたい方は、この文化ぶんかのお背景はいけいをお知しりいただくとよろしゅうございます。明治天皇に従したがうためではなく、霊気がどのような土壌どじょうからお育そだちになったのかをお感じいただくためでございます。霊気は真空しんくうのなかで生うまれたのではございません。ご自身の整ととのえ、真心まごころ、霊性れいせいのお開ひらきを一ひとつのお働はたらきとお感じになる文化ぶんかのなかから生うまれてまいりました。

そして、それこそが、真言霊気が今いまもお受うけ継ついでおりますお姿すがたでございます ― 伝統でんとうとご個人こじんのご体験たいけんとを結むすぶ御行でございます。背景はいけいから切きり離はなされるのではなく、その中なかに根ねづいてまいります。五戒ごかいはそれ自体じたいでお立たちでございます。けれど、それが育そだった土壌どじょうをお知りになる方は、その力ちからをいっそう深ふかくお感じになるのでございます。

御行ごぎょうのなかでの五戒

五戒をお感じいただく

真言霊気のなかで、五戒は自己じこのお言葉ではなく、お観かんじ、エネルギーのお働はたらき、毎日まいにちのお務つとめとが一ひとつになっておるのでございます。

臼井甕男先生はどなた 真言霊気とは