武道のなかには、心が決める前に体が動いてまいる瞬間がございます。— 手がお受けし、足が避け、腰が回ってまいる。— そして、半秒ほど遅れて、心がやっと「いま何が起こったのか」をお悟りになる。— 武道に長くお携わりになる方は、どなたもこの瞬間をご存じでいらっしゃいます。— 多くの方は、これを稽古と反射とで説明なさいます。— けれども、日本の古い伝統には、別のご説明がございました。— そこを通じて、何かが語っていらっしゃる。— そこを通じて、何かが体を動かしていらっしゃる。— その「何か」には、御名がございます。
日本の密教のなかに、修験道のなかに、シャーマン的道教のなかに、宇宙の知恵の場をお守りくださる菩薩さまがいらっしゃいます — 虚空蔵菩薩 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)。— 御名は、文字どおり「虚空のお蔵」を意味してまいります。— 西洋で「アーカーシャ・クロニク」と呼ばれてまいったものの、本来のお源でいらっしゃいます。— そして、その御原理は、今もなお霊能の武道のうちに息づいていらっしゃいます。
虚空蔵菩薩 — アーカーシャの場のお守り虚空蔵
虚空蔵 虚空蔵(こくうぞう) — 御名は、すべてを語っていらっしゃいます。— 虚空(こくう)は、空(から)の場、虚空、限りなきもの。— 蔵(ぞう)は、お宝のお蔵、蓄えの場。— この菩薩さまは、ひとつの御原理のお姿でいらっしゃいます。— 空(から)の場は、空(から)ではない、と。— すべてをお含みになっていらっしゃる、と。— あらゆる体験、あらゆる知恵、あらゆる可能性 — 世そのものよりも古き場のうちに、お蔵めされていらっしゃるのでございます。
空海さま — 真言宗の開祖 — は、お若き日に、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)をお修めになりました。— 虚空蔵菩薩さまの真言を百万回お唱えになる修法でございます。— 室戸岬のお洞のなかで、お独りで、大海に向かっておでなさいました。— その時に起こったことは、空海さまのご生涯をすべて変えてまいりました。— ご記憶が、限りなきものとなりました。— ひとたびお読みになった典籍を、寸分たがわずお記しになることができました。— けれども、それは記憶を超えたものでございました。— 個人の心の彼方にある、知恵の場への通路がお開かれたのでございます。
空海さまがそこでお受けになったものは、知的なお働きではございませんでした。— お受け取りでございました。— 考えてお得になるのではなく、お開きになることでお到りになる、直の知恵でございます。— 古き典籍はお明らかにお記しになっていらっしゃいます。— 虚空蔵菩薩さまは、頭に知恵をお授けにはなりません。— ご全身全霊に、お授けくださるのでございます。— そしてこの御原理こそが、霊能の武道の核でいらっしゃいます。
霊能の武道 — 体が心より先に知るとき霊武
日本の山岳の伝統 — 修験道、シャーマン的道教のお修法、真言の密教の系譜 — のうちには、いつも異なるかたちで武道をなさる方々がいらっしゃいました。— より速く、ではございません。— より強く、でもございません。— より知るかたちで、でございました。— そのお体は、導かれているかのようにお動きでした。— 武道のうちでのご判断は、分析からではなく、心よりも深きお源からおいでになりました。
天狗 天狗(てんぐ) — 日本の伝統に登場なさる力強き山の御方々 — は、武道の本来のお師でいらっしゃるとされてまいりました。— 古き伝は、こうお語りいたします — 日本史で最も名高き剣士のお一人でいらっしゃる源義経さまは、人からお習いになったのではない、と。— 鞍馬山の大天狗・僧正坊さまから、そのお術をお受けになった、と。— 武道を通じてお働きになる同じお力が、アーカーシャの次元 — 虚空蔵菩薩さまの宇宙の知恵の場 — を通じてもお働きになるのでございます。
この武道のお姿は、技ではございません。— ひとつの状態でございます。— 行ずる方は、内なる場へとお入りになります。— そこでは、情報がそのままご到来になります。— お攻めをお感じになる、それが姿を現す前に。— 正しい動きをご存じになる、ご計画になることなく。— これは、空海さまが洞のなかでお入りになった、まさにその状態でございます。— シャーマン、修験道の行者、道教の修行者の方々が、幾千年もの間、アーカーシャへの通路としてお説きになってきた、まさにその状態でいらっしゃいます。
直の伝授 — 学ぶのではない知恵伝授
西洋では、知恵とは学ばれ、稽古され、身に付けられるもの、と考えられてまいります。— 東洋の伝統には、もうひとつの道がございます — 伝授 伝授(でんじゅ)、お移しでございます。— 知恵が段を追ってお積みになるのではなく、ひとつの瞬間にすべてがお移りになるのでございます。— 師から行ずる方へ。— あるいは — そしてこちらが核のところでございます — 霊的な御方から人間へ、と。
真言の伝統では、これは灌頂を通じて行われてまいります。— シャーマンの伝統では、ご幻と法悦のお状態を通じて。— 修験道では、山中のお修めを通じて、山の御方々 — 天狗さま方を含めて — がご自身のお力を直にお伝えくださいます。— シャーマン的道教では、儀礼と武道の修練のうちに、宇宙のお力とのお繋がりを通じて。— いずれにいたしましても — 知恵は、外から頭に入るのではございません。— 内よりお目覚めになります — アーカーシャの場とのお繋がりに引き出されて。
この通路をお受けになった武道家は、別のかたちでお動きになります。— そのお動きには、反復から生まれたのではない質がございます。— ご共鳴から生まれてまいります — すでにあらゆる動きをお含みになる場とのお繋がりから。— まるで、意識のうえでは習ったことのない何かを、お体がお思い出しになっているかのようでございます。
霊能の武道は、霊的な装いをまとった戦いの技ではございません。— アーカーシャの場 — 虚空蔵菩薩さまの知恵の場 — への、直の通路でございます。— お体が、宇宙の情報のお器とおなりになります。— 天狗、菩薩、守護神といった霊的な御方々は、象徴としてお働きになるのではございません。— 行ずる方のお体を通じて、お働きになるのでございます。— これは譬えではございません。— 実のお修めでございます。
霊的な御方々 — お体を通じてお働きになる神霊天狗
霊的な御方々が武道家をお導きくださる、というお考えは、日本では傍流の秘儀ではございません。— 伝統の核でございます。— 天狗さま方は、剣のお術をお伝えくださいました。— 摩利支天 摩利支天(まりしてん) — 武士の守護尊 — は、お祈り申し上げる方を戦いのうちで姿が見えなくおなりさせます。— 不動明王 不動明王(ふどうみょうおう)は、揺るがぬご決意をお授けくださいます。— 虚空蔵菩薩さまは、限りなき知恵の場への通路をお開きくださいます。
これらの御方々は、象徴ではいらっしゃいません。— 真言の伝統、修験道、シャーマン的道教の生きた実践のうちで、お祈りされ、ご観想され、お招きされ — そして、お応えくださいます。— 心のなかの声として、ではございません。— お体のなかのお力として。— ふと射し込む明らかさとして。— 心が計画になる前に起こる動きとして。— お探しになることなく、ただそこにある知恵として。
霊能の武道をなさる方は、これらのお力とともにお働きになります。— 御方々とのお関わりをお育てになります — 儀礼を通じて、お修めを通じて、ご奉献を通じて。— ご術でも思い込みでもございません。— 行ずる方が、頭をお放しになり、お体にお委ねになるご覚悟がおありになるとき、お育ちになるお感のお力でございます。— お体に — そして、お体を通じてお働きになる御方々に、お委ねくださるお力でございます。
あなたさまのご縁にとってのお意味
おそらく、ご自身もこの瞬間をご存じでいらっしゃいます。— 武道のうちでは、ではございません — けれども、お暮らしのなかで。— どこからともなくおいでになる衝動。— 心が分析になる前に、お体がお決めになるご判断。— ただそこにある知恵 — ご説明もなく、由来もなく。— ご感性のお豊かな方は、よくこれをお感じになります。— そして、よくその衝動をお疑うようになってまいります。
霊能の武道の伝統は、こうお申しいたします — お信じくださいませ、と。— やみくもに、ではなく — お磨きされたかたちで。— この通路をお磨きにする実践がございます。— お体をお受け取りやすくしてまいる実践でございます。— 霊的なお力とのお繋がりを、お抑えになるのではなく、お強めてまいる実践でございます。— ご幼い頃にお感じになっていたものは、まことのものでございました。— それは、まだそこにございます。— もう一度お許しになるのを、静かにお待ちしていらっしゃいます。
霊能の武道 — 生きたお修め
この記事のうちにお読みになったすべてのことは、ご講説のみではございません。— 生きたお修めでございます。— ご自身がお体験になれるお修めでございます。— tengu-akasha-dojo.de にて、アーカーシャのお力と武道がともにお集うところをお訪ねくださいませ。— 天狗の伝統が、ただ語られるだけでなく、生きてまいるところでございます。— お体が、お受け取りのお器となってまいるところでございます — 幾世紀にもわたり武道を通じてお働きになってきた御方々に、お導かれて。
天狗アカーシャ道場へ