臼井甕男先生について、私どもが真に知りうることは何でしょうか。— 信じていることでも、伝え聞いてきたことでもなく、— 歴史の史料によってお確かめになりうるものは、何でしょうか。— このお問いに対するお答えは、思いもよらぬものでございます。— そして、多くの霊気を修める方々にとって、— ご自身を問われるお機会になるかもしれません。— 西洋において臼井先生について「知られている」ことの大半は、— 日本の原典に由来するものではございません。— 先生のご逝去から数十年を経て、西洋にて生まれた物語から来ているのでございます。
マーク・ホサック博士は、ハイデルベルク大学のご博士論文において、— 臼井甕男先生に関わる日本語の原典を分析されました。— 原文にてお読みになり、お訳しになり、歴史的な文脈のうちにお位づけになりました。— 伝統をお守りになる信ずる方としてではなく、— 真にどうであったかをお知りになりたい、ひとりの研究者として。— その結果は、より豊かな、より細やかなお姿でございます。— 臼井先生をお小さくするのではなく、— むしろ、より大きく、お見えになるお姿でございます。

西方寺の御墓誌碑文
臼井甕男先生についての最も大切な史料は、ひとつの石碑でございます。— 臼井先生功徳之碑 臼井先生功徳之碑、「臼井先生の功徳を偲ぶ碑」。— 東京・西方寺 西方寺の境内、臼井先生のお墓のかたわらに立っております。— 1927年(昭和2年)2月、臼井先生が1926年(大正15年)3月9日にお亡くなりになって一年も経たぬうちに、お建ちになりました。
文章は牛田従三郎先生 — 臼井先生の親しい御弟子方のお一人で、— 後に臼井霊気療法学会 臼井靈氣療法學會の二代目会長となられた御方によって記されました。— 書は岡田正之先生 — もう一人の高位の御弟子方によるものでございます。— この石碑に記された言葉こそ、— 私どもが臼井先生について持ちうる、最も古き、最も信頼のおける史料でございます。— 先生を個人的にご存じであった御方々によって、お記しになったものでございます。
御墓誌には、臼井先生のお生まれの年、ご出生の地(岐阜県の谷合村)、お学び、霊性のご実践が記されております。— 鞍馬山での御体験 — 二十一日の断食と瞑想ののち、霊気のご伝授のお業を授かられたお悟りのご体験 — も記されております。— そして、その後、臼井先生がそのお業を、まずは東京から、— やがて日本中へとお広めになったことも、記されております。
御墓誌が伝えるもの — そして、伝えぬもの読解
御墓誌は、西洋に流布した臼井先生の物語とは、— 明らかに異なるお姿を伝えております。— 日本語の碑文には、臼井先生のキリスト教との関わりについての記述はございません。— ご赴任になった大学のお名前もございません。— アメリカへのお旅もございません。— 「イエスのお癒しの秘密」のお探求もございません。— これらすべては、後に西洋にて初めて現われた要素でございます。
碑文がお伝えするのは、日本の伝統の御方の御姿でございます。— 古典のお芸 — 文学、医学、宗教哲学、お占い — をお修めになった御方。— 中国、ヨーロッパ、アメリカへとお旅になった御方。— そして、より深い真理を求めて、— 断食と瞑想によって、鞍馬山にお登りになった御方。— このようなご実践は、修験道や天台宗の仏教において、— 何百年にもわたり、よく知られていたものでございます。
また、御墓誌は、ある事柄については記しておりません。— 臼井先生のお修めになった具体的な密教のお業については、— 申してございません。— 鞍馬山での瞑想のお細やかなご記述もございません。— その霊性のお源流についての完全なお記述もございません。— これは偶然ではございません。— 日本の伝統において、ある事柄は、口伝として伝えられるのでございます。— 文字に固定されはしないのでございます。— 師より弟子への直のご伝授こそが、文字以上のものでいらっしゃいます。
御墓誌は、最も大切な史料でございますが、唯一のものではございません。— 御弟子方によって記されたもので、お師匠さまの一定のお姿をお伝えになる意図がございました。— 功徳をお強調になり、ご論争のあった事柄を滑らかにしておられ、— 日本の御墓誌のお慣わしに従っております。— お読みになる方は、内容と意図の両方を考慮に入れることが大切でございます。
「キリスト教の教授」のお話伝説
臼井先生についての最も根強いお話のひとつは、こうでございます。— 先生はキリスト教の教授でいらした(時には学長、または学部長と語られます)。— 学生から「何故イエスは癒しのお業ができたのですか」とご質問をお受けになり、— お答えになれず、お探求のお旅に出られました。— アメリカへ、インドへ、そしてついに鞍馬山へ。— 鞍馬山で、霊性のお力のお業を「再発見」になりました、と。
このお話は、西洋の霊気のうちに深く根を下ろしているため、— 多くの方々が歴史的な事実とお考えでいらっしゃいます。— けれども、日本の原典の中には、何の根拠もございません。— 御墓誌にもキリスト教との関わりは記されておりません。— 早期の臼井霊気療法学会の文書にも、キリスト教との関わりは記されておりません。— 臼井先生がそのご生涯のすべてを過ごされた日本において、— キリスト教の信者であった、— あるいはキリスト教系の大学にてご赴任になった、というお話の何の痕跡もございません。
では、このお話はどのようにして世に出たのでしょうか。— ハワイへ、アメリカへと霊気を運んだ、お伝えのご系譜のうちに生まれたのでございます。— 1970年代から1980年代にかけて、霊気が西洋にて広まった過程で、— アメリカの読者のために、お話がお変わりになりました。— キリスト教との関わりが、アメリカの読者にとって近づきやすい霊気のかたちを作ったのでございます。— このお話は、お橋になりました。— けれども、歴史の事実ではございませんでした。
牛田先生と臼井霊気療法学会學會
臼井先生のご逝去ののち、1926年(大正15年)3月、— 牛田従三郎先生 牛田が臼井霊気療法学会のお導きをお引き受けになりました。— このご会は、臼井先生がお業をお広めになるためにご存命中にお立ちになったものでございます。— 牛田先生こそが、御墓誌をお注文になり、文章をお記しになった御方でございます。— 牛田先生ののち、武富咸一先生が三代目の会長となられました。
この学会は、今もなお存続しております。— 日本における非公開のお会として。— 西洋の霊気の世とのお交流はございません。— その存在が西洋に知られたのは、1990年代になってからのことでございます。— 歴史の研究にとって、これは大きな意味がございます。— 西洋に伝わったお系譜から独立した、独自のお伝えを保っておりますから。
学会から知られるようになった事柄は — 日本の研究者の方々や、わずかな西洋の研究者の方々を通じて — 御墓誌のお姿を裏付けております。— 臼井先生は、日本の伝統の御方であり、— 真言密教と当時の霊性の潮流のうちに深く根ざしておられました。— キリスト教の教授ではない。— 西洋を見つめる探求者でもない。— むしろ、ご自身の伝統のうちで、最も深い体験を得られた、ひとりの実践者でいらっしゃいました。

マーク・ホサック博士の研究 — 原文より研究
マーク・ホサック博士の研究を、— 他の西洋の霊気についての出版物と区別するものは、— 原典への直のお到達でございます。— 博士は日本語をお読みになります。— 現代の日本語のみならず、御墓誌のような文書にて使われる、歴史的な書きかたも。— 御墓誌の碑文を、— 二次資料からではなく、ご自身で原文よりお読みになり、お訳しになりました。
博士論文「日本美術における悉曇 — 守護と崇拝の儀礼」のうちに、— ホサック博士はより広い背景を研究されました。— 真言密教のお業、悉曇の文字、— 日本仏教における象徴とマントラの儀礼の用い方。— この研究こそ、臼井先生のお業が、はじめてお見えになる文脈をお提するものでございます。
臼井先生は、何もない空間でお業を築かれたのではございません。— ある伝統のうちにいらっしゃいました。— 悉曇の文字を瞑想の対象として用いる伝統。— マントラをお力の運び手と解する伝統。— お手のかたちを儀礼のお業としてお知る伝統でございます。— 今日「霊気の象徴」「霊気の技法」と呼ばれているもののすべてに、これらの伝統のうちにお先がございます。— ホサック博士の研究は、これらのつながりをお示しになっております。— ご推測ではなく、日本語と中国語の原典に基づいて。
マーク博士の研究は、弁護的でも破壊的でもございません。— 臼井先生をお小さくする、あるいは讃えるためのものではございません。— 真の文脈のうちに、臼井先生をお見えになるためのものでございます。— 日本の豊かな霊性の伝統のうちに深く根ざし、— その伝統より、新しく、生きたものをお創りになった、ひとりの御方として。
歴史的に確かなもの と 後年のお話史実
歴史的にお確かめになりうるものは、何でしょうか。— そして、後年のお添えものは、何でしょうか。— このお問いへのお答えは、霊気のお業の真のかたちにとって大切でございます。— 神話の上に立つお業は、不安定な足場に立っております。— ご自身の真の源を知るお業は、生きた伝統の深みのうちに立つことができます。
歴史的に確かなもの — 御墓誌と他の日本の原典より:
臼井甕男先生は、1865年(慶応元年)8月15日、岐阜県の谷合村にお生まれになりました。— 文学、歴史、医学、宗教哲学を広くお修めになりました。— 中国、ヨーロッパ、アメリカへとお旅になりました。— 仏教のお伝統に深く根ざしておられました。— 御墓誌は、古典の仏教の典籍をお修めになった御方として記しております。— 鞍馬山にお登りになり、二十一日の断食と瞑想ののち、お変わりのご体験を得られました。— 臼井霊気療法学会をお立ちになり、お業をお伝えになりはじめました。— 1926年(大正15年)3月9日、福山にてお亡くなりになりました。
後年のお話 — 日本の原典に何の根拠もないもの:
キリスト教の教授としての臼井先生。— 学生のご質問が探求の出発点となったお話。— 「イエスの癒しの秘密」を求めてのアメリカへのお旅。— アメリカの大学でのお学び。— サンスクリットの典籍に「定式」を見つけて「お訳しになった」というお話。— これらすべての要素は、— 1970年代以降、霊気がハワイ経由でアメリカに渡った折に、— 西洋の伝承に初めて現れたものでございます。
原典のお誠実さが、お業に何をもたらすのでしょうか真実
ある方々はお問いになります。— 「お話が真実でも、そうでなくても、関係はあるのですか。— お力は流れているではありませんか」と。— その通りでございます。— お力は流れます。— けれども、お業の深さは、その源をどれほど深くお理解になっているかによって変わります。— キリスト教からお影響を受けたお業として霊気をお修める方と、— 真言密教、修験道、神道とのご連なりをご存じの方との間には、— 深さの違いが生まれてまいります。
原典のお誠実さは、学問のお贅沢ではございません。— ひとつのお敬意の姿でございます。— 臼井先生に対する、— 霊気の源となる伝統に対する、— そして、ご自身のお業に対するお敬意でございます。— 原典をお知りになる方は、なぜ象徴がそのお姿をしているのか、— なぜご伝授がそのように働くのか、— なぜお力がそのように流れるのか、— ご理解になります。
真言霊気においては、原典の研究は付録のお業ではございません。— 土台でございます。— マーク・ホサック博士は、日本語の文書を分析になったのは、— 学問のご本のためだけではございません。— お業を深めるためにこそ、ご分析になったのでございます。— そして、まさにそれを、お伝えになっております。— ご自身の根を知るお業を。— 深みのうちに立つお業を。— 神話に頼る必要のないお業を。— なぜなら、現実の方が、いかなる神話よりも、力強いものでございますから。