想像してみてくださいませ。— 二千年余り前のインドに、ひとつの文字が生まれました。ぜいのおちょうしるすためでもなく、あきないのちぎりをむすぶためでもございません。聖なるものをになうために生まれた文字。仏さまの御声みこえ、宇宙の種子しゅじ、目に見えぬものの本質ほんしつを — 椰子やしの葉に墨でしるされた、やさしい曲線のうちに静かにおさめられたのでございます。

そしてその文字が、ゆるやかに旅をしてまいるさまを、想像してみてくださいませ。— ひとりではございません。お坊さまの胸のなか、巡礼の方々の背負せおぶくろのなか、シルクロードを通り、中央ちゅうおうアジアの僧院そういんを抜けて。山々と砂漠さばくを越え、中国に到り、そこで尊ばれ守られてまいり — そしてついに海を渡って日本へ。通り過ぎてゆく国ごとに、その姿はそっと変わってまいりました。— そして日本において、世界のどこにもないものへと深まったのでございます。

歴史的な悉曇の書 · 1321年聖徳の伝統
歴史的な悉曇 · 1321年

はじまり — インドと梵字ぼんじの母、ブラーフミー文字梵字

悉曇の文字 — 日本語では梵字(ぼんじ)と申されます — は、ブラーフミー文字の系統けいとうぞくしてまいります。— 南アジア・東南アジアのしょ文字の母にあたるお姿でございます。「悉曇(シッダム)」というその名は、サンスクリットで「成就じょうじゅせられた」「まっとうされた」を意味してまいります。— 偶然ではございません。インドにおいて、文字とはつたえのための道具どうぐを超えるもの。— 成就の道そのものでございました。

那爛陀ナーランダー、ヴィクラマシーラ、オーダンタプリといった、インドの大いなる仏教の学院においては、悉曇は書かれるだけにはとどまりませんでした。— 唱えられ、観想され、瞑想されてまいったのでございます。一字一字に、その音を超えた意味が宿っております。— 音節「ア」は、はじめのはじめ、まだ生まれざるもの、すべてが現れ出づるくうのしるしでございました。「オーン」は、宇宙のれのひびき。— 言葉と文字は、霊的な実践と切り離されてはございません。— そのかくそのものでいらっしゃったのでございます。

(ぼん)— サンスクリット、聖なるもの、梵天ぼんてん(ブラフマー)。日本語のなかで、この一字はインドのせいかかわるすべてをになってまいります。梵字(ぼんじ)とは、まさに「サンスクリットの文字」 — 悉曇文字の日本でのお呼び名でございます。

紀元きげん六世紀から八世紀のあいだに、密教(ヴァジュラヤーナ)はインドにおいてそのいただをお迎えになりました。悉曇は陀羅尼だらにと真言、お護りのじゅのための、最もふさわしい器となってまいりました。一字一字が、音であり、意味であり、お力でございます。陀羅尼を書きしるすことは、お手紙を書くこととは同じではございません。— ひとつの儀礼ぎれいぎょうでございました。

中国への旅 — 翻訳と変容へんよう

インドと中央アジアの大いなる阿闍梨さま方とともに、悉曇は中国へと渡ってまいりました。善無畏ぜんむい(スバーカラシンハ)、金剛智こんごうち(ヴァジュラボーディ)、不空ふくう(アモーガヴァジュラ)といったお坊さま方が、八世紀のあいだに、お経・儀軌ぎき付法ふほう系譜けいふをインドよりとうみやこ長安ちょうあんへとはこんでまいられました。— 悉曇の文字も、ご一緒でございました。

中国では、ひとつのだい事なことが起こりました。中国には、独自どくじの文字 — 世界でも最も古く、最もおくの深い文字のひとつ — がございました。中国の方々は漢字かんじで読み書きをなさいます。サンスクリットは外つ国の言葉、悉曇のお姿もまた、見れぬもの。— にもかかわらず、それは漢字に置きかえられて忘れられたのではございません。— ありのままのお姿で、大切に守られてまいったのでございます。— 密教の阿闍梨さま方は、こうおっしゃいました。「お力は、響きに、しるしに、そのげんみつな姿のうちに、宿っておりますのでございます」と。

臼井先生ゆかりの地 · 日本のたしかな風景
臼井先生ゆかりの地 · 日本

これは、文化の歴史のなかでまれな瞬間でございます。— 外つ国にあって意味はかいされぬながらも、その霊的なお力が深くうやまわれた文字。— 中国のお坊さま方や学者の方々は、悉曇を学び、うつし、精緻せいちな曼荼羅へと組み入れられました。— 中国の筆と中国の墨で、けれどインドのお姿のままに。— 悉曇のしょの伝統が、そこに静かにひらかれてまいったのでございます。

「悉曇が東アジアにおいて生きながらえてまいったのは、それがたんなる文字としてではなく、— 響きであり、お姿であり、お力であった、その三つがひとつであったからこそでございます。— だからこそ、置きかえられぬものとなったのでございます。」 マーク・ホサック博士 ―『日本美術における悉曇』

空海と日本への到来とうらい — 806年空海

804年、空海と申される若きお坊さまが、唐への船に乗り込まれました。— まだ二十代なかばのお歳。聡明そうめいで、こころざし高く、内なる炎にき動かされておられました。日本は、空海さまにはせまかんじられたのでございます。奈良ならの仏教のしょは、知のかてをお与えにはなられましたが、空海さまのもとめておられた深さには、まだ届かぬものでございました。源そのものへ。— そう、空海さまの心はしずかに告げておられたのでございます。

長安にて空海さまは、恵果(けいか)阿闍梨あじゃりにお会いになりました。— 中国における密教の第七でいらっしゃいます。恵果阿闍梨さまは、ひと目でこの日本のお客人きゃくじんうつわらんになりました。— わずか数か月のうちに、伝統のすべてを — 両界の曼荼羅、儀軌、真言、印、— そして悉曇の文字を — お授けになったのでございます。

806年、空海さまは日本に戻られました。— その御荷みにもつのうちに、何百ものお経、曼荼羅、儀礼の — そして悉曇の文字とその修法しゅほうについての深いしきをおたずさえになっておられました。— こうして空海さまは真言宗 — 「真の言葉の道」 — をお開きになり、そのしゅうのなかで、悉曇は世界のどこにもない役割やくわりをおにないになっていったのでございます。

転回点

インドにおいて、悉曇は文字でございました。中国において、悉曇はたからとなりました。日本において、悉曇は聖なるしるしとなったのでございます。— 瞑想のお対象たいしょう、お守り、護りのしるし、目に見える真言。— 空海さまは、文字をさとりへのもんへと、そっと変えられたのでございます。

文字から聖なるしるしへ

空海さまが日本においてお生み出しになったお姿は、世にひとつしかないものでございました。— インドにおいて、悉曇は生けるサンスクリットの文化のなかで用いられておりました。— 話され、書かれてまいる言葉の一部でございました。— 日本においては、サンスクリットを話す者は、おりませんでした。言葉も文法ぶんぽうも、発音も、馴染なじみの薄いもの。— けれども、まさにそれが、しるしに新たなお力をお与えになったのでございます。

悉曇は、日本において、日々の言葉として機能きのうすることがなかったがゆえに、— ほかの何かへとわってまいりました。— 純粋な象徴しょうちょうへ、— 意味とお力の凝縮ぎょうしゅくへ、日々の言葉からはなされたお姿へ。— 一字一字は、もはや文のなかの一音ではなく、ひとりの仏さま、ひとつの宇宙の原理げんり、ひとつの瞑想の体験たいけんになうものとなったのでございます。— 音節「」は阿字観あじかん — 真言のかくの修法 — への門となり、音節「バン」は金剛界の曼荼羅における大日如来さまのしるしとなりました。— 一字一字が、ひとつの宇宙でいらっしゃるのでございます。

日本のいたるところで、墓石に悉曇のしるしが今もしずかに刻まれております。— 寺のもんの上にも、お守りや護の上にも、真言の寺院の最も奥のお堂にかかる曼荼羅のなかにも。— しるしは、どこにでもり、— けれど多くの方には目に映りません。何を見ているかを知らぬ方は、ただ通り過ぎてまいるのでございます。

京都・真如堂の悉曇を刻まれた石
真如堂(京都)· 寺の石に刻まれた悉曇

マーク・ホサック博士の博士論文 — 悉曇のおけんきゅう

まさにこのこと — 悉曇がインドの文字から日本の聖なるしるしへとわってまいったその過程かてい — が、マーク・ホサック博士のハイデルベルク大学における博士論文の主題しゅだいでございます。— その正式せいしきのおだいは、『日本美術における悉曇 — 治癒の儀礼』

京都の寺院にてさんねん。— 寺のくら文書もんじょのなかで、— 何世代せだいにもわたって悉曇の伝統を守ってまいられたお坊さま方とのお会話かいわのうちに。— 博士論文は、悉曇が日本美術においてどのように用いられてまいったか — 曼荼羅、墓石、お守り、書のなかに — を静かにかしてまいります。— そして、西洋せいようの研究のなかではほとんどれられてこなかったあるもの — 儀礼の次元じげん — を、お示しいたします。— このしるしが、ただえがかれるだけではなく、修されてまいったのだ、という事実を。

この研究はマーク博士を、日本の寺院の最も奥なる領域りょういきそとからの方には、ふだんはざされた場所 — へとお導きいたしました。— 悉曇の修法が今も生きておりますおしょへ。— お坊さま方が朝の四時、闇のなかで曼荼羅の前におすわりになり、音節「」を観想なさり、宇宙の響きをご自身のうちにおたずさえになる、そのおへ。— 歴史のしゅうしゅうとしてではなく、— 今この瞬間しゅんかんの体験として。

「私は、研究者として日本にまいりました。— 帰ってまいったのは、行ずる者として、でございました。— 悉曇は、ただ学ぶことのできるものではなく、— 体験をびかけてまいるしるし、なのかもしれません。」 マーク・ホサック博士

霊気の象徴とのつながり靈氣

ここで、円が静かにむすばれてまいります。— 臼井甕男(うすい・みかお)先生がご自身の道に組み入れられた霊気の象徴は、から生まれたものではございません。— 密教、神道しんとう修験道しゅげんどう、そしてシャーマニズム的な道教どうきょうの伝統と、深いいとでつながっております。— その大切ないとのひとつが、真言宗の悉曇の修法でいらっしゃるのでございます。

その原理げんりは、同じでございます。— しるしは機械きかいてきに用いるものではございません。— 瞑想され、観想され、うちへと深められてまいるもの。— しるしそのものがお力なのではなく、— しるしが、お力へのもんでいらっしゃるのでございます。— 真言の伝統において、音節「」は大日如来さま、宇宙の仏さまへの道を、そっと開いてまいります。— 霊気においては、象徴が宇宙の生命いのちのお力への道を開いてまいります。— お姿は異なれども、その原理げんりは、ひとつでございます。

悉曇の歴史を知る方は、霊気の象徴をより深いそうにおいておけとめになります。— 象徴とは、ただ「使つかう」「てる」道具どうぐではなく、— せんねん余りの伝統の凝縮ぎょうしゅくでいらっしゃる、と。— インドの智慧ちえ、中国におけるまもり、日本における深まり — その三つが、ひとつのむすび目に出会うところに、霊気の象徴は息づいておりますのでございます。— 悉曇は、霊気の象徴のでいらっしゃいます。— そしてその物語は、まだ終わってはおりません。

この道筋

インドでは、文字が聖なるしるしとなり。中国では、聖なるしるしが宝となり。日本では、宝が瞑想の修法となり。— 霊気のうちでは、その修法が、すべての方にひらかれてまいります。— 霊気の象徴は、二千年余りの旅のてに、— そしてご自身の道のはじまりに、静かに立っていらっしゃるのでございます。

悉曇は、消えてしまった文字ではございません。— 生きておりますのでございます。— 高野山の寺院に、真言のお坊さま方の儀礼のうちに、真言霊気の修法のうちに。— そして、もしかすれば、— おゆるしになるとき、— ご自身のうちにも、息づきはじめてまいるのかもしれません。— 歴史の知識としてではなく、— 体験として。— どんなしょよりも古く、どんなせつめいよりも生きた何かとの、— 静かなおれあいとして。

悉曇を体感してまいる

真言霊気を、ご一緒に。

悉曇の伝統は、直接の伝授でんじゅのうちに生きてまいります。— その道に、どうそっとお足をおはこびになれるか、おたしかめくださいませ。

心の道 悉曇の音節