真言霊気は、世界のどこにいらしても実践なさることができます。— けれども、お力に別の深みを帯びさせるお地がございます。— 伝統が書物からではなく、— 石から、樹から、空気から立ちのぼってまいるお地。— 千年余りにわたり、お僧たちが、ご自身の実践のなかで唱えていらっしゃるのと同じ真言を、お唱えになり続けてまいったお地。— そこに立たれた方は、お感じになるかもしれません。— 「ここが、ふるさとなのだ」と。
マーク・ホサックは、日本にて三年の年月を、研究と実践に捧げてまいりました。— 高野山の寺院で、京都の道場で、四国の巡礼の道で。— 八十八ヶ所の遍路(へんろ)を、おひとりで、何週間もかけて、徒歩にて結願いたしました。— 真言・天台・禅のお寺で瞑想を重ね、— 禅僧のもとで、日本と中国の書道(しょどう)を修め、— 度重なる滞在のなかで、お結びを深めてまいりました。— このご体験から、マークとアイリーンがお寄り添いいたします、霊性の日本巡礼が生まれてまいりました。

高野山 — 真言の心臓高野山
高野山 高野山(こうやさん) — 「高き野の山」。— 弘法大師空海が、816年に真言の伝統の根本道場としてお開きになったお地でございます。— 標高千メートルを越え、— 八つの峰に囲まれ、それらが蓮華のかたちを象っていらっしゃいます。— ここに金剛峯寺(真言宗の総本山)が立ち、— 弘法大師のお御廟は奥之院(おくのいん)に静かにいらっしゃいます。— 日本最大の霊園でございます。— 杉並木のなかを歩みますと、別の時のなかをお歩みになっているような気配でございます。
高野山に泊まられるご体験は、ほかには代わるもののないものでございます。— お寺の宿 — 宿坊 — は、観光ではなく、お寺のお営みへのお参加でございます。— 朝の五時に起き、お僧たちのおご勤めにご参列になり、精進料理をいただかれ、— 夕べには静かなる杉並木を歩いて奥之院に向かわれます。— そこでは、何万もの燈籠が、お道を照らしてまいります。
これが真言霊気と何の関わりがあるのか、と思われるかもしれません。— すべて、と申しあげたいのでございます。— 高野山では、三密の実践 — 真言、印、観想 — が、抽象的な考えではございません。— 日々のお営みでございます。— 真言を耳にされ、印を目にされ、千二百年にわたり絶えることなく営まれてまいる儀礼のお力をお感じになります。— ご自身の実践の悉曇(しったん)の梵字は、ここに源を持ちます。— そして、ここで生きていらっしゃるのでございます。
四国 — 八十八ヶ所の巡礼四国遍路
四国は、日本でもっとも知られた巡礼の道のお地でございます。— 四国遍路 四国遍路 — 八十八ヶ所、千二百キロメートル。— 島をぐるりと一周する道でございます。— 各お寺は、それぞれの仏や菩薩におご捧げされてございます。— 道の各区分は、霊性の歩みのお段階を表します。— 発心(ほっしん・目覚め)、修行(おご修養)、菩提(ぼだい・悟り)、涅槃(ねはん)。
マークは、この道を徒歩にて — 全行程を、おひとりで、何週間もかけて — お歩みになりました。— このご体験はお言葉にしがたいのでございますが、— その働きは見過ごされることがございません。— お身体が実践の場となり、— 道そのものが瞑想となり、— 道中の出逢い — お僧との、ほかの遍路との、ご自身のお疲れとの — が、どの儀礼にも代わるもののない伝授となってまいります。
この巡礼の道は、弘法大師のお守りの下にございます。— 巡礼の方々は、白いお衣をまとい、すげの菅笠をかぶられます。— その笠には、こうお書きされてございます。— 同行二人 同行二人(どうぎょうににん) — 「二人、ともに歩む」。— ご自身と、弘法大師でございます。— おひとりでお歩みになっても、おひとりではいらっしゃいません。— 弘法大師が、すべての巡礼の方をお寄り添いくださいます。— 千年以上の長きにわたるお伝えの後、— この道には、最初の一歩からお感じになるお力が、息づいてございます。

京都 — お寺の都京都
京都は、千年余りにわたり日本のお都でいらっしゃいました。— 今もなお、この国の霊性の中心でいらっしゃいます。— 二千を越えるお寺と神社、そして禅庭、茶室、— 美術館のなかではなく、街の暮らしのなかで息づく伝統がございます。
マークは京都にて三年、研究と実践に身を捧げてまいりました。— ご旅行の本に載る大寺だけでなく、— ご案内がなくては見つからぬ静かなお地もご存じでいらっしゃいます。— 横道の小さな真言寺で、おひとりのお僧が実践を生かし続けていらっしゃるところ。— 街の縁の天台のお寺で、阿字観(あじかん)が長きにわたり営まれているところ。— 朝七時にひっそりとお入りになれる禅庭 — まだ観光のお賑わいの来る前に。
京都では、日本のお文化に手で触れることができてまいります。— 民俗としてではなく、生きた実践として。— マークが禅僧のもとで修めたお書道は、ここでは飾りではございません。— 儀礼でございます。— まなざしのある瞑想の書きを通じて、書とお守りにお力が伝わってまいります。— これが霊気の象徴(シンボル)の土台でございます。— 京都では、この伝統を、おご自身の目で見、お手で触れることができてまいります。
霊性の旅と、ご旅行の違い修行
日本へのご旅行は、まことに素晴らしいものでございます。— けれども、霊性の旅は、別のものでございます。— その違いは、おご道筋にあるのではなく、— お心のあり方にございます。— 霊性の旅は、修行 修行(しゅぎょう) — 広い意味でのお修養でございます。— すべてが実践のお場となってまいります。— お寺のお参り、お歩み、お食事、お静けさ、お疲れ、お出逢い、すべてが。
マークとアイリーンが、この旅をご自身でお寄り添いいたします。— つまり、お言葉を解し、お文化を内側からご存じで、ふつうの観光の方々には閉ざされたままのお扉を、そっとお開きすることのできる日本学者がともに歩むということでございます。— ご旅行のしおりに載らない儀礼へのお参加。— マークがご自身の実践のなかでお知り合いになったお僧やお神官との出逢い。— おご手配を遥かに越える、霊性のお寄り添いでございます。
日本巡礼は、三つのお地平を結びます。魅(み)せる国を巡る外のお旅、ご自身の実践を通じる内のお旅、— そして、千年余りにわたり生きていらっしゃる真言の伝統のお地で、おご自身のおご結びを深めるお旅。— それぞれの旅には、実践のお要素が含まれます。— お寺での瞑想、力あるお地での伝授、お一行の儀礼でございます。
どなたのための旅でしょうか参加
巡礼にお加わりになるのに、真言霊気のお知らせは必要ございません。— 日本をただご覧になるのではなく、— 内側から扉が開かれる深さでお感じになりたいすべての方に、開かれてございます。— すでに実践なさっていらっしゃる方も、はじめて日本の霊性に触れられる方も、— お地そのものが、お話してまいります。— ただ、そのお声を、心開いてお聞きになるご覚悟がおありになればよろしいのでございます。
長く実践されている方々にとって、この旅は別の次元をお差し上げいたします。— 伝統と結ばれたお地で、伝授をお受けになるご機会でございます。— 高野山での伝授は、ドイツの稽古場(けいこば)での伝授と、同じではございません。— お力が異なるからではなく、— お地そのものがお話してまいるからでございます。— 千年余りの実践が、石のなかに宿っていらっしゃるからでございます。— お身体が、お頭だけでは包みきれぬものを、お分かりになるからでございます。

マークが日本でご体験されたこと体験
日本巡礼は、抽象的なごご提案ではございません。— ひとつの個のお物語から立ちのぼってまいるものでございます。— マークは、若き日本学のお修養者として日本にいらっしゃいました。— 子どもの頃、映画でご覧になった文字や、儀礼や、印に魅せられて。— 心の奥では、ご存じでいらっしゃいました。「ここに、まことが宿っているのではないか」と。— そして、お探しの旅にお出かけになりました。
お見つけになったものは、ご想像をはるかに越えるものでございました。— 高野山のお寺で、密教の儀礼を実践なさいました。— 四国の遍路道で、お身体のお限界まで、— そして、その向こうへと、お歩みになりました。— 京都では、儀礼として用いられる書道をお修めになりました。— まなざしのある書きを通じて、書とお守りにお力が伝わってまいります。— 日本語のスピーチコンテストで特別賞をお受けになりました。— そしてご博士論文では、霊気・九字切り・悉曇のお源流を、日本の美術のなかにお探りになりました。
このご体験を、お伝えしてまいります。— 日本をお見せになる観光のお方としてではなく、— ふるさとのようにお感じになっているお方として。— そして、どのように扉をお叩けば、扉が開かれるかを、ご存じでいらっしゃるお方として。
マークとアイリーンとともに、霊性の日本巡礼へ。
日本を、内側からお感じくださいませ。— 長き実践を携えた日本学者がお寄り添いいたします。— 高野山、京都、聖なるお地。
日本巡礼をお知りになる すべてのお場