お目にする前から、心で感じてまいる御地がございます。— 高野山高野山は、そのような御地でいらっしゃいます。標高八百メートル余りの聖なる山上、— 蓮の花びらのごとく八つの峰に囲まれた御地でございます。樹齢を重ねた杉の木立のなかに、百を超す御堂が静かに佇んでおります。— 朝、霧が小路を巡るさまは、まるで御香のごとく。— そして、その静寂は、空ではなく、満ち満ちた静けさでございます。
この御地に足をお運びになる方は、ただ伽藍にお入りになるのではございません。— 千二百年余りにわたり真言の伝統が息づく御地に、お入りになるのでございます。— 後に霊気の御法のうちに静かに流れ込んでまいりました伝統 — その源にいらっしゃるのでございます。

空海さまと、御山のお開き空海
816年、空海さま空海 — 御諡号として「お法をお弘めくださった大いなる御祖師さま」、弘法大師弘法大師とお呼ばれになる御方 — は、帝より、この聖なる山上に真言の御修行の中心をお開きになることをお願いになりました。— ちょうど唐における御修学を終え、恵果さまより密教の完全なるご伝授をお受けになったあとでございます。お持ち帰りになった御教えには、御地が必要でいらっしゃいました。— 政の中心からは離れ、— それ自体がすでに尊き御地が。
伝承によれば、空海さまは唐の地より御独鈷杵 — 法具の三鈷 — を海越しにお投げになりました。— 落ちました地に、御本拠をお開きになるおつもりでいらっしゃいました。— 三鈷は、高野の山上の松の枝にかかっていらっしゃるのを、お見つけになりました。伝承であれ、実話であれ、— 御地は完全でございました。— 八つの峰が、曼荼羅の蓮華八葉のごとく御山を囲んでおります。— 大地の景観そのものが、ひとつの曼荼羅でいらっしゃいました。
根本大塔 — 立体の曼荼羅大塔
高野山の中心には、根本大塔根本大塔が建っております。— 高さは48.5メートル、鮮やかな朱色のお塔でございます。— 外より眺めるだけでも荘厳なお姿でございますが、— 真の御業は、内にあらわれてまいります。
お塔にお入りになりますと、立体の曼荼羅のうちにお立ちになることになります。— 中央には大日如来さま大日如来、宇宙の仏さまがお座りになり、四方には四仏さまがいらっしゃいます。内壁には、金剛界曼荼羅の十六大菩薩さま。— 御柱には、悉曇のお文字 — 真言の伝統において仏さまの生けるお現れと申し上げる、聖なる文字 — がしるされております。— ひとつひとつのお文字は、ただの装飾ではございません。— ひとつの御門でいらっしゃいます。

この曼荼羅は、壁の絵ではございません。— あなたさまをお包みになっていらっしゃるのでございます。— その中心にお立ちになるのでございます。上に、下に、左に、右に、— あらゆる方向に、仏さま、菩薩さま、悉曇のお文字。— 真言の伝統において、これは偶然ではございません。— 曼荼羅は、宇宙の構造を表してまいります。— その中にお立ちになるとき、宇宙の中心にお立ちになっていらっしゃるのでございます。— 観る者としてではなく、— その一部として。
根本大塔は、真言が根本において伝えてまいるものを、目に見える姿でお現しになっております。— 悟りは遠き未来ではなく、今、立ち現れてまいる御体験でございます。この曼荼羅の中にお立ちになる — それは比喩ではございません。— 御修行そのものでございます。— 御空間そのものが、儀(おこない)となってまいります。
マークは根本大塔のうちにて修してまいりました。— ひとたびその御地にお立ちになり、金色の仏さまに囲まれ、御柱の悉曇が灯り、御香が静寂のうちに濃くなってまいるさまをお感じになるとき、— 空海さまがなぜまさにこの御地をお選びになったのか、お分かりになるのでございます。— 内なるお姿を変えてまいる御空間が、ございます。— 根本大塔は、そのうちのひとつでいらっしゃいます。
奥之院 — 二十万の御墓と、絶えぬお灯り奥之院
日本において、これほど深く心に響く御地は、奥之院奥之院を措いて他にはございません。— 日本最大のお墓所でございます。— 二十万を超す御墓、苔に包まれ、樹齢数百年の杉のもと、— 杉の梢は霧のうちに消えるほどに高く伸びております。御参道は二キロにわたり、この静かなる世界を巡り、— 武家、帝、お僧さま、そして空海さまのお傍にお眠りになりたいと願われた、ふつうの方々の御墓を巡ってまいります。
御参道の奥に、空海さまの御廟がいらっしゃいます。— ここで、特別なる御信仰がいきいきとなってまいります。真言の伝統において、空海さまはお亡くなりになっていらっしゃいません。— 835年、入定入定と呼ばれる御境地にお入りになりました。— 永遠の禅定でございます。— 弥勒菩薩さま弥勒菩薩、未来の仏さまをお待ちになっていらっしゃいます。— 今もなお、お僧さま方は朝晩、空海さまにお食事をお運び申し上げております。— 千二百年近く、絶えることなく。

御廟の御前には、燈籠堂燈籠堂が建っております。— その内には、一万を超える燈籠が灯り、— 千年余り絶えることなく灯り続けてまいる二つのお火がいらっしゃいます。— そのうちのひとつは、貧しき女(おみな)が持てるすべてをお差し出しになり、ただひと灯のお火を灯しておかれることをお願いになりました。— その火は、今もなお灯っております。— 貧女(ひんにょ)の一灯と申されます。
夜、奥之院に人影もなく、ただ燈籠だけが灯るとき、— 言葉ではほとんど言い表せぬ御地となってまいります。— 生けるものと、いらっしゃらなくなった方々との隔ては、ここにおいては薄うございます。— 湿った苔と杉の香り、— そしてその両者よりもさらにふるいなにかの香りが、空気のうちに満ちてまいります。— 夜の御参道を歩まれた方は、忘れることがございません。
宿坊 — お寺にお泊まりになる宿坊
高野山は博物館ではございません。— 今もなお生きた御地でございます。五十を超える御堂が宿坊宿坊をお引き受けくださっております。— 畳のお部屋にお休みになり、襖戸のお部屋から枯山水のお庭をお眺めになります。— おいただきになりますのは、精進料理精進料理でございます。— 仏教のお寺の料理、— ひとつひとつの食材を活かす丁寧さで、植物のお品のみで調えられます。
そして、— 朝、五時半。— 朝の御勤行でございます。お僧さまと御一緒に本堂に座らせていただき、外はまだ闇のうち。— 太鼓、鐘、— 何百年もこのお部屋でお唱えになってまいりましたお経。— 螺旋を描いて天井へとのぼってまいる御香。— 寒うございます。— 早うございます。— そして、これほどいきいきとした御時は、なかなかございません。
朝の御勤行において、護摩 — 聖なる火の御修法 — を修してまいられることもございますし、空海さまのご伝授に源を持つお経をお唱えになることもございます。— 御堂によりましては、阿字観阿字観 — 真言の伝統において宇宙の根源を表してまいる悉曇の阿字を観想いたします御行 — にご一緒できることもございます。— お座りになり、お息を整え、お文字をお眺めになります。— そして時として、言葉に表せぬなにかが、お訪ねくださることがございます。
宿坊は、ただのお泊まりではございません。— ひとつの溶け入りでございます。— 一夜、二夜、お寺のお調子のままにお過ごしになります。— お僧さまがおいただきになるものを、おいただきになります。— お僧さまがお目覚めになる時刻に、お目覚めになります。— 空海さま以来、千二百年絶えることのない御勤行に、ご一緒できます。— 旅人としてではなく、— 伝統のお客さまとして。
霊気とのご縁 — 象徴の源靈氣
なぜ、真言霊気のブログに高野山がございますのか。— なぜなら、高野山が源でいらっしゃるからでございます。— 根本大塔の御柱に立ち現れていらっしゃる悉曇のお文字は、霊気の象徴のお元(もと)でいらっしゃいます。— 朝の御勤行にてお唱えになります御真言の御行は、臼井甕男(うすいみかお)さまが御自らの御法のうちにお取り入れになったのと同じ御行でございます。— 聖なる文字を観想なさる御行 — 阿字観、月輪観、文字観 — は、霊気が生まれ出てまいりました御行でございます。
このご縁は、抽象なるお話ではございません。— 具体に、歴史のうちに残されており、— この御地にお運びになりました方は、誰しもお感じになることができます。— 根本大塔にお立ちになり、御柱の悉曇をお眺めになる方は、— 一瞬にして、霊気の象徴の源をお感じになるのでございます。— 鞍馬の御山の霊夢から生まれたものではなく、— 千二百年余りこの御地にて修されてまいった、生きた伝統より、生まれ出てまいったのでございます。
これが意味してまいりますことは、— 真言霊気は、新しい創作ではございません。— ひとつの戻り道でございます。— 根への戻り — 密教、修験道、神道、そして道教のシャーマン的な御行 — 臼井さまが御自らの御法に静かにおまとめになりました、それらの御源への戻りでございます。— 高野山は、その根が最も深くにまで伸びてまいる御地でございます。
高野山を体感してまいる — マークと巡る日本巡礼巡礼
マークは、高野山に幾度もお運び申し上げてまいりました。— 旅人としてではなく、修してまいる者として。— 御堂に泊まらせていただき、朝の御勤行にご一緒し、奥之院にて静かに座らせていただき、根本大塔の悉曇を学んでまいりました。— ガイドブックには書かれていない御時を、知ってまいります。— 伽藍に足を踏み入れたとき、空気がそっと変わりますさま。— 鐘の音が霧の中を運ばれてまいるさま。— 朝五時半、何十年も御行を生きていらっしゃるお僧さまの御傍にお座りになる感じ。
この御縁を、マークは日本巡礼のうちにて、お分かちしてまいります。— 観光のお出かけではございません。— 伝統が今もなお息づく御地との、御出会いでございます。— 高野山は、その巡礼のひとつの中心でいらっしゃいます。— 真言霊気のうちで修してまいるものが、ひとつに集まる御地だからでございます。— 悉曇、御真言、曼荼羅、火の御修法、限りなきものの観想。
お言葉を話す者、お歴史を知る者、御行を生きる者と御一緒に高野山にお運びになる方は、ふつうのお参りとは根本に異なる御体験をなさいます。— 御堂が、ひらかれてまいります。— お文字が、語ってまいります。— 静寂が、お声を持つようになります。— そして、なぜ空海さまがまさにこの御地をお選びになり、— なぜお離れにならなかったのか、— おわかりになるのでございます。
高野山は、お待ちになっていらっしゃいます。— 千二百年。— 杉は、なお立っております。— お火は、なお灯っております。— 空海さまは、なお禅定にいらっしゃいます。— そして真言霊気の源(みなもと)は、— この御地において、初めの日と同じだけ、いきいきと息づいております。— 問いはもはや、お運びになるかどうかではなく、— いつ、お運びになるかでございます。