お火が高く立ちのぼってまいります。— 御祈祷師のお祈りなさるお護摩木に、炎が舐めるごとくに走ってまいります。— 太鼓のお音。— 御真言は、しだいに速く、しだいに強く。— 白檀と御香草の重きにおいに、お煙が螺旋を描きながら天井へとのぼってまいります。— 熱が、お顔に届きます。— そして炎の御中(なか)に、— 目には見えずとも、確かにいらっしゃる御方が、— 不動明王さま、— もはや要らなくなったものを、静かにお焼きあげになっていらっしゃるのでございます。
これが護摩護摩でございます。— 真言密教における、最も古き、最もお力のある御修法のひとつ。— ろうそくのお灯りのもとの、静かなお祈りではございません。— お火、熱、お煙、響き — 五感を捉え、身よりはじまる変容を呼んでまいる、御修法でございます。

御漢字の意 — 護摩護摩
日本語の「護摩」は、純粋な日本語ではございません。— 日本仏教そのものよりはるかに古き、千年の古きにおよぶ伝統への橋でございます。— インドの火の御寺院よりはじまり、シルクロードを経て、中国へ、— そして日本へとお運びになった伝統でいらっしゃいます。
インドより、中国を経て、日本へ — 火の御道火
護摩の御源は、インドのヴェーダ時代 — 三千年以上前にまで遡ってまいります。— その御地ではホーマ、あるいはアグニホートラと申されました。— 聖なるお火にお供えを投じ、人と宇宙の御秩序とのつながりを、新たにしてまいる御供養でいらっしゃいました。— お火は破壊ではなく、— 変容でございました。— 地のお供えをお受け取りになり、天のお力にまで昇らせる、お働きを担ってまいられたのでございます。
密教 — ヴァジラヤーナ — がインドにて立ち上がりますとき、— この火の御修行をお取り入れになり、仏教の御教えとひとつにお結びになりました。— ヴェーダの御供養は、仏教の変容の御修法となってまいられました。— お火は、なお燃え続けてまいりました。— けれども、何が焼かれるか、— それが変わってまいりました。— 神々への供物ではなく、御自らのとらわれ、御自らの歪み、心を曇らせるものを、でございます。

シルクロードを通じて、— この御修法は中国に伝わってまいりました。— そして9世紀、空海さま空海が、唐における御修学を終えて日本にお戻りになったとき、お持ち帰りになったのでございます。— 御師の恵果さまは、密教の伝統のすべて — 護摩の御修法を含めて — を、お伝えくださいました。— 空海さまは、火の御修法を真言の根本の御修法として、高野山と日本各地の御寺院にお開きになりました。
護摩のお火は、三千年余り、何千キロにわたる御旅をしてまいりました。— インドのヴェーダの火の御寺院より、— 中国の密教の御祖師さまを経て、— 日本の真言の御寺院にまで。— そしてその御旅のひとつひとつのお歩みにて、— お火は、お焼きあげなさるものと同じく、変容してまいられたのでございます。
不動明王さま — 揺るぎなき御方不動明王
ひとつひとつの護摩の御中央には、不動明王さま不動明王がいらっしゃいます。— 文字どおりには「揺るぎなき御方の御王」。— 明王さま、— 御覚りのために大いなるお力をもってお仕えなさる御方でいらっしゃいます。— 西の意味の神でも、悪鬼でもございません。— 大日如来さま大日如来、宇宙の仏さまの智慧の御化身でいらっしゃり、— 障りをお断ち切りになる、特別なお役目を担ってまいられます。
不動明王さまは、右の御手に剣をお持ちでいらっしゃいます。— 智慧の剣 — 無明の縛りをお断ち切りになる剣でございます。— 左の御手には縄をお持ちで、— 執着をくくり、抑えてまいられます。— 岩の上にお座りになり、お炎に囲まれていらっしゃいます。— このお炎こそ、護摩のお火でございます。— 御修法のお火は、不動明王さまのお火でいらっしゃいます。— その変容のお力の、お現れでいらっしゃいます。

御忿怒(ごふんぬ)のお顔は、— 憎しみよりではございません。— 慈しみのお方の御忿怒でいらっしゃいます。— 危(あや)うきよりお子をお守りになる親の御心。— 壊すのではなく、解き放ってまいる御忿怒でいらっしゃいます。— 真言の伝統では、こう申されます。— 不動明王さまは、お微笑みの大日如来さまの裏のお姿でいらっしゃる、と。— 宇宙の仏さまが静けさと光のうちにお現れになるところに、不動さまはお火と確かさのうちにお現れになります。— 同じお力の、二つのお姿でいらっしゃいます。
御修法 — 護摩はいかにあらわれるか法
護摩は、無作為のお焚き火ではございません。— ひとつひとつの所作に意味を担ってまいる、丁寧に整えられた御修法でいらっしゃいます。— 御祈祷師 — ご伝授をお受けになった真言の僧侶 — が、御壇をお支度になります。— 木の四角の護摩壇、その周りに法具がならびます。— 金剛杵、お鈴、水器、御供養のお匙。— ひとつひとつの法具に、お場所がございます。— ひとつひとつの所作は、空海さまのご伝授に源を持つ御秩序に従ってまいります。
お火が灯されます。— マッチではございません。— お火そのものを聖なるものとなさる御作法によって、でございます。— お火は、不動明王さまの御口、変容の御門となってまいります。— 御真言が始まります。— ノーマクサンマンダバザラダンセンダマカロシャダソワタヤウンタラタカンマン。— 不動明王さまの御真言、— リズムよくお唱えになり、しだいに速くなり、お火がさらに高く立ちのぼってまいります。
お火のうちに、護摩木護摩木が投じられます。— ほそいお木に、お願いごと、お祈り、御真心が書かれております。— ひとつひとつのお木が、御真言と御手の所作(御印)とともに、お火に捧げられてまいります。— お木はお焼けになります。— お煙はのぼってまいります。— 伝統に従えば、— お祈りもまた、お火によって変容され、日々の塵を払われ、— のぼってまいるのでございます。
護摩は、ただお見守りになる御修法ではございません。— 全身でお受けとめになる御体験でございます。— お顔の熱、お目に染みるお煙、響きあう御真言の韻律 — それらすべてが合わさって、言葉に言い表しにくい御境地が立ち上がってまいります。— はじめて護摩にご一緒なさる方は、書物では伝わらぬものを、わずか数分で感じ取ってまいられます。
五種の護摩五種
護摩は、ひとつではございません。— 真言の伝統には五種ございまして、それぞれ異なるご願いに応じて修してまいられます。
息災法 息災法 — お安らぎと、お災いをお遠ざけになる御修法でございます。— お火は丸く、御壇は白でございます。
増益法 増益法 — お増し申し上げになる御修法でございます。— 御徳、お富、お力をお増しになることができます。— お火は四角く、御壇は黄色でございます。
調伏法 調伏法 — 内なる、外なる障りをお調えになる御修法でございます。— 人に向かうのではなく、苦しみを呼ぶお力に向かいます。— お火は三角、御壇は黒でございます。
敬愛法 敬愛法 — 引き寄せと和合の御修法でございます。— 結びと、調う関わりをお育てになります。— お火は蓮華のかたち、御壇は赤でございます。
鉤召法 鉤召法 — お呼びの御修法でございます。— 必要な御力 — 特定の御本尊さま、特定のエネルギー、欠けたる御徳 — を、そっとお招きになります。
それぞれに、御壇の向き、お火の形、お色、御真言の御順がございます。— 厳密さは細かさへのこだわりではございません。— 意味そのものを担ってまいる丁寧さでございます。— 曼荼羅と同様に、— 細部までもが宇宙の御秩序を映してまいります。
霊気とのご縁 — 変容という御原理靈氣
火の御修法と霊気と、どのようなご縁があるのでしょうか。— 一見、ささやかに見えるかもしれません。— 霊気は静か、優しく、お触れになるごとくでいらっしゃいます。— 護摩は大きく、熱く、強くにお現れになります。— けれども、両者は同じ御原理を分かちあっております。— 変容でございます。— 低きエネルギーを高きへとお変容になる、その御業。— 障り、執、歪みを解いてまいり、その下に在(いま)するものが、自由になってまいることでございます。
霊気の手当てのうちでは、変容は静かに立ち現れてまいります。— 御手が触れていらっしゃいます。— エネルギーが流れてまいります。— もう要らなくなったものが、ほどけてまいります。— お焼きあげではなく、御存在によって、でございます。— 霊気のお力が、— 静かな流れとなって、— こわばりをお解きになるのでございます。
護摩においても、同じことが立ち現れてまいります。— けれども、お火を介してでございます。— 護摩木は、お願いごとと重荷を担ってまいります。— お火がそれをお受けになり、変容なさいます。— 固かったものは、お煙となります。— 重かったものは、のぼってまいります。— 御原理は、ひとつでございます。— 何かを壊すためではなく、— 何かを解き放つために、でございます。
真言霊気のうちでは、この御理解は、静かに大切に育まれてまいります。— 霊気の御行は、その御源の御文脈と切り離すことなく見つめてまいります。— 象徴をご理解になる方、御真言を知ってまいる方、これらの御行のご出処をご存じの方は、— 霊気を保養の御法として体感なさるのではなく、— 火の御修法、曼荼羅の観想、御真言、御手の手当てを、同じ変容のお力の異なるお現れとして体感なさるのでございます。
マーク、日本にて — 火のお体験体験
マークは、日本の護摩の御修法にご一緒してまいりました。— 高野山にて、京都の御寺院にて、修験道の山の御行場にて。— お火が高くまでのぼり、お顔に熱が届き、本能が「お下がりになるよう」と申してまいる御時。— そして、その後にとどまってまいる御時。— 熱を、お受けとめになる御時。— お火が、おびやかしであることをやめ、変容となってまいる御時を、よく存じております。
「はじめての護摩では、御修法を見ているとお感じになります」とマークは申し上げます。— 「二度目で、— 御修法のほうが、こちらをご覧になっていらっしゃることに気づきます。— お炎は御真言にお応えになります。— お煙は、ただ流れてまいるのではございません。— ある時、お感じになります。— このお火の中に、生けるものがいらっしゃるのでございます。— お木でも、お煙でもなく、— なにか別のものが、でございます。」
この「なにか別のもの」 — 真言の伝統では、不動明王さまの御存在でございます。— 信条としてではなく、— 体感できる現実として。— 護摩の御修法のうちにお座りになる方は、これをお感じになることができます。— 強さ、密度、目覚めた現存 — ふつうの観想とは異なる御感じ。— とても大きく、とても静かで、とても確かななにかが、お傍にお座りになっていらっしゃるかのように。
護摩は、お読みいただくことはできません。— ただ、ご体感のみでございます。— 熱。— 響き。— お煙。— お部屋よりもさらに大いなる御方の御存在。— 文字では代えがたきものでございます。— けれども、文字は道しるべとなります。— 次のイベント、次の日本巡礼、次にお火の燃える御時、— 変容のはじまる御時へと。