智積院の空海さまのお姿 · 弘法大師お遍路姿
弘法大師さま · 智積院の御遍路のお姿

日本では、誰もが知る御名でいらっしゃいます空海

空海 — 空海さま。文字どおりには、空(そら)と海。774年、四国にお生まれになり、835年、高野山こうやさんにて御入定なさいました。— あるいは申し上げるのなら、永遠の禅定にお入りになりました。日本では、どの子どもも空海さまを御諡号(おくりごう)で存じております。— 弘法大師弘法大師こうぼうだいしさま、知恵をお弘めくださった偉大なる御祖師さまでございます。

御入定より千二百年余りを経た今もなお、毎年百万を超す御遍路さまが、空海さまの御足跡をたどって四国八十八ヶ所をめぐっていらっしゃいます。高野山では、お遍路さまは奥之院の御廟にお参りなさいます。— 真言密教において、最も尊いとされる御地でございます。お参りになる方々は、空海さまはお亡くなりになっていらっしゃらない、と信じていらっしゃいます。— お待ちになっていらっしゃる、と。— 次なる宇宙の仏さまが御出ましになるそのときまで、禅定にお入りになっていらっしゃる、と。

これは、ふるい歴史書の中の伝承ではございません。— 今を生きる、いきいきとした信仰でございます。地上で最も技術の進んだ国のひとつにおいて、なお息づいているのでございます。さて、この御方はいかなる御方であられたのでしょうか。— そして、何をお遺しになり、なぜこれほど深く受け継がれていらっしゃるのでしょうか。

大学を、お去りになった若き御方

空海さまは、佐伯さえき家のご出身でいらっしゃいました。— ふるい大伴おおとも氏の流れを汲む、四国の下級貴族のお家柄でございます。御青年のころ、奈良の大学にお遣わしになりました。— 当時としては大いなる御縁、官人としての御出世が約束された道でございます。儒教の経典、唐の行政の学び、安んじての官の御道でございました。

けれども、空海さまは、その道をお去りになりました。十八歳ほどのころ、大学をお離れになり、すべてを変える一書をお著しになりました。— 『三教指帰』(さんごうしいき)でございます。儒教、道教、仏教を比べてご検討になり、ひとつの澄んだ結論にたどり着かれました。— 仏教こそが、最も深くにまで届くもの。— 理屈としてではなく、生きた道として。

空海さまをお駆り立てになっていたのは、知への興味だけではございません。— 切実なる問いでございました。どうすれば、人は悟りに至ることができるのでしょうか。— 遠い未来の生においてではなく、今、この身、この生のままに。

山林の修行、そして明けの明星

官人になるかわりに、空海さまは山にお入りになりました。山の修行者の方々と御一緒になり、— のちに修験道しゅげんどうと呼ばれてまいる御道の祖となる方々のもとで御修行なさいました。四国や紀伊半島の森や谷において、厳しい行を続けてまいられました。— 冷たい水、断食、ひとりの夜、お山そのものを御堂となさいました。

この御時、空海さまは求聞持法ぐもんじほうを御修行なさいました。— 限りなき知恵の菩薩さまでいらっしゃる虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつさまへの、深き行でございます。御真言を百万遍お唱えなさる行で、幾週間にもわたり、行ずる方を限界へとお運びくださいます。

空海さまは、その時にあらわれましたお姿をお書き留めになりました。— 御修行のうちに、明けの明星(あけのみょうじょう)が現れ、そのお口に飛び込んでまいったのでございます。— その瞬間、空と海はひとつ、内と外の隔ては仮のものであるとお気づきになりました。— このお体験が、御名となりました。— (くう)— 空、虚空、そして(かい)— 大いなる海。

明けの明星があらわれ、— そのお口に飛び込んでまいりました。— その瞬間、空海さまはお気づきになったのでございます。— 空と海はひとつ、と。— それが御名となりました。

唐における二年間 — 完全なるご伝授

804年、空海さまは遣唐使の御一行とともに、唐の国にお渡りになりました。— 当時、仏教世界の中心であった、唐の都へ。— 御年三十一でいらっしゃいました。本来であれば二十年の御滞在の予定でいらっしゃいましたが、二年でお帰りになりました。

長安にて、空海さまは恵果けいか(けいか)さまにお会いになりました。— 真言密教の第七祖でいらっしゃり、青龍寺にて法をお伝えになっていらっしゃった御方。恵果さまは、完全なるご伝授をお授けになるべきお弟子を、長きにわたりお待ちになっていらっしゃいました。— 空海さまがお現れになりましたとき、恵果さまはこう仰せになったと伝えられております。— 「我、汝を待つこと久し」。

数か月のうちに、恵果さまは空海さまに、密教の伝統のすべてをお伝えになりました。— 両界の曼荼羅、すなわち胎蔵界たいぞうかい曼荼羅と金剛界こんごうかい曼荼羅、御印、御真言、悉曇のお文字、観想の御法、そのすべてを。完全に。何ひとつ留めずに。

まもなくして、恵果さまはお亡くなりになりました。— ご伝授は、ぎりぎり間に合ったのでございます。— その後、唐においては、仏教へのご法難により、伝統の多くが失われてまいりました。空海さまが日本にお持ち帰りになったものは、まもなく、これほど完全な姿で他に存在いたしませんでした。

歴史の要

恵果さまから空海さまへのご伝授は、— ただの学問の継承ではございません。— 霊的な御委ねでございました。密教の伝統のすべてをお担いになり、お伝えになり、生きた姿のままお護りなさる御使命の託付でございます。空海さまは三十三歳にして、この御使命を背負って日本にお戻りになりました。

伝統のお開き

806年、空海さまは日本にお戻りになりました。— 数百巻の経典、御法具、両界の曼荼羅、悉曇のお文字をたずさえて。その後にお遺しになりましたものは、それまでに類のないものでいらっしゃいました。— ただ新しい仏教の宗派をお開きになったというだけではございません。— 日本そのものをお変えになりました。

高野山恵光院の空海さまのお像 · 金剛界曼荼羅の御前にて
恵光院の空海さまのお像 · 金剛界曼荼羅の御前にて

帝より、空海さまは京都の東寺をお譲り受けになりました。— 東寺は、都における真言の中心となりました。高野山には、紀伊半島の人里離れた山中に伽藍をお開きになりました。— 深き観想と御修法のための御地でございます。— 幾世紀にもわたり、ひとつの霊山の街として育まれてまいりました。

空海さまは、宗祖でいらっしゃるだけではございません。書のお人でもいらっしゃいました。— 日本史の中でも、最も卓越したお一人でございます。二百を超す御著作をお遺しになり、貴族のためだけではない、日本最初のひらかれた学び舎をお開きになりました。御秘号は遍照金剛(へんじょうこんごう)でいらっしゃいました。— あらゆるものを貫き、お導きになる御光のダイヤモンド。御受戒のお名前は、大日如来さまの御秘号そのものでいらっしゃいました。

即身成仏そくしんじょうぶつ — この身このままに、仏に即身

空海さまの中心の御教えは、革新的なものでいらっしゃいました。— 今もなお、そうでございます。御主著『即身成仏義そくしんじょうぶつぎ』のうちに、若きころより御心に問われ続けてこられた根本のお問いをおまとめになりました。— 悟りは、この生きた身においても可能なのか。— 死後ではなく、未来の生でもなく、今に。

空海さまのお答えは、然り、でいらっしゃいました。— そして抽象なるお答えではございません。空海さまは、明らかな実践の御法をお説きになりました。— 三密 三密(さんみつ)の御法でございます。身(印)、口(真言)、意(観想)を、同時に整えてまいりますとき、すべての方のうちにすでに存る仏さまの本性に至る御道が、静かに開けてまいるのでございます。

この御教えは、僧の方々のためだけのお智慧ではございません。— あらゆる方に向けられたものでいらっしゃいました。土台にあるお教えは、— 大日如来さまは、宇宙そのもののお身体でいらっしゃるという真理。— どこか遠くにいらっしゃる御方ではなく、すべての原子に、すべての息に、すべての所作にお現れになっていらっしゃるのでございます。— 何かに成り変わるのではなく、ただ、すでにそこに在(いま)していらっしゃることに気づいてまいる、ただそれのみでいらっしゃるのでございます。

あらゆるものは語ります。— あらゆる形は、しるしでございます。— 宇宙は、宇宙の仏さまのお身体でいらっしゃいます。— 悉曇の阿字(あ)を口にする方は、すべての存在の根源にそっと触れていらっしゃるのでございます。 — 空海さまの『声字実相義』に拠る

空海さまの御教えにおいて、悉曇のお文字は中心の御役割を担ってまいりました。— ひとつひとつのお文字は、ただの字ではございません。— ひとつの御門でいらっしゃいます。悉曇の阿字(अ)は、— いまだ生まれざるもの、生(しょう)じたることなきもの、根源を表してまいります。阿字観 — このお文字を観想なさる御行は、真言密教の根本の観法となり、今もなお、伝統の最も深き実践として息づいております。— 真言霊気の土台のひとつでもいらっしゃいます。

真言霊気のうちにいきいきと残る空海さまの御余韻余韻

空海さまがいらっしゃらなければ、真言霊気は存在いたしません。— これは比喩ではございません。— 歴史の事実でございます。御伝授、悉曇のお文字、三密、御本尊さまとの観想 — そのすべてが、空海さまのご伝授より流れ出でてまいるのでございます。

真言霊気のうちで、悉曇のフリーフを観想なさり、千手観音さまをお呼びになるとき、— 千二百年余り前に空海さまが日本にお伝えになりました法脈の中で、その方は実践していらっしゃるのでございます。剣の御印を結び、不動明王さまの御真言をお唱えになるとき、— 空海さまが恵果さまよりお受けになった御法を、その方はお用いになっているのでございます。— 伝統は、ふるく、そして敬うべきものでございます。— けれども、ふるく、そして今もなお息づいているのでございます。

法脈

大日如来さま → 金剛薩埵こんごうさった龍樹りゅうじゅ龍智りゅうち金剛智こんごうち不空ふくう → 恵果 → 空海。— これが密教の御法脈でございます。空海さまは八祖でいらっしゃいました。— ここから先、御法脈は流れ続けてまいります。— 千二百年余りの日本のお寺の御修行を経て、現代に至るまで。— 真言霊気にも、つながっているのでございます。

禅定をやめることのなかった御方入定

835年3月21日、高野山にて空海さまは永遠の禅定にお入りになりました。— 入定にゅうじょう、すなわち止むことなき三昧の御境地でございます。お側の御弟子に、お待ちになる、と仰せになりました。— 弥勒菩薩さまを、— 五十六億七千万年の後にお現れになる、未来の仏さまをでいらっしゃいます。

日本の朝廷より、空海さまは御諡号として弘法大師の御号を賜りました。高野山では、今もなお、空海さまにお食事を毎日お運び申し上げております。— 朝とお昼に、お僧さま方が静かなる行列をなして、御廟である奥之院へとお運びになります。

これは、伝統行事の名残ではございません。— 生きた信仰でございます。何百万もの日本の方々にとって、空海さまは歴史上のお僧さまではいらっしゃいません。— 今も生きていらっしゃる御存在でございます。— お遍路の御伴侶。— その尊き御地にひらかれた御心で出会うとき、確かに感じられる御力でございます。

四国の御遍路 — 空海さまの御足跡をたどる八十八ヶ所 — をお歩きになる方は、伝統に従えば、お一人ではございません。御杖には、こうしるされております。— 同行二人どうぎょうににん、— 二人で歩む、と。もうひとりの旅人は、空海さまでいらっしゃいます。

稲荷の御遍路姿の空海さま石像 · 笠と数珠と御杖
弘法大師さま 御遍路のお姿 · 数珠と御杖の石像
空海さまの伝統に触れる

真言霊気を、ご一緒に。

真言霊気は、千二百年余り前に空海さまが日本にお伝えになった法脈のうちに息づいております。— 御伝授、悉曇、三密、— そのすべてが、初伝より静かに始まってまいります。

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