真言霊気において、上半身の手の位置は「ただこなす型」をはるかに超えたものでございます。それぞれの位置がひとつの門 — ひとつの大、ひとつのはたらき、そして大日如来とのつながりへの門なのかもしれません。あらゆるあらわれをつらぬき照らす、宇宙の仏。上半身に六つの位置。六つのエネルギーの場。そして、ひとつひとつを、ふつうの手当てを超えた何かへと変えていく儀礼 — 加持の儀礼加持でございます。

霊気をリラクセーションの法としてのみご存じの方は、ここで思いがけない何かを見つけられるのかもしれません。上半身の手の位置は、五輪のなかの三つの大 — 地、火、風 — に対応する内なる道理どうりに従っております。そして、それぞれの位置が加持の儀礼を通して、意識をもったさずけへと姿を変えていきます。技ではなく、出会いなのかもしれません。

マーク・ホサック博士とアイリーン・ヴィースマンが霊気の実践のなかで・上半身での出会い
霊気の出会い · 上半身での実践

加持 — 真言の伝統からのさず加持

加持
— 加える。 — 持つ、保つ。文字通りには「加えて持つ」。加持の儀礼において、実践してくださる方は大日如来と結ばれ、その宇宙の力を手を通して受け手の方へ伝えます。力はただ送られるのではなく — 保たれます。満たされたまま宿やどる器のように。

加持は真言の伝統の心臓部でございます。西洋的な意味での観想かんそう — 「光を思い浮かべて」 — とは違います。大日如来 — その悉曇वं(ヴァン)がその力への門となる仏 — とのつながりに根ざした、ひとつの儀礼のいとなみでございます。真言の実践では、加持は千二百年以上にわたって伝えられてまいりました — 体から体へ、心から心への、まっすぐな伝授として。

真言霊気で上半身に手を添えるとき、そこにはひとつの確かなことが起こっています — ただ「宇宙のエネルギー」につながるのではございません。あらゆる大を貫き照らす光である大日如来へ、ひとつの通り道がひらかれるのです。手があたたまります。霊気が流れます。けれども、向きなく流れるのではなく — 加持という儀礼のかたちを通って流れる。だからこそ、ひとつひとつの手の位置が、ただの手当てとは異なる何かに変わっていくのかもしれません。

六つの手の位置 — 全体像 六位

上半身に六つの位置。それぞれに性格があり、大があり、はたらきがある。あわせて、上半身の地図ちずを描き出します。五つの五輪の大のうちの三つを覆うかたちで — 地(骨盤)、火(胸からへそ)、風(首から胸)。実践のなかでは、流れるような順序で行われていきます — 上から下へ、あるいはその逆も、直感と響きの感じ取りに従って。

1 · みぞおち — 変容へんようの座

大:火 · 五輪の場:胸からへそ

みぞおちは内なる火でございます。ここに、食べたものをエネルギーへと変え、古いものを焼き、新しいものを立ち上げる力が宿ります。真言の伝統において、この場は火の大に対応します — 護摩ごまの火の儀礼にあらわれるのと同じ力です。手は上腹部じょうふくぶに平らに置かれます。あたたかさが昇ります。深い内なる脈動として感じ取られることもございます。

2 · 肋骨のあたり — 守りと呼吸

大:風 · 五輪の場:首から胸

肋骨は臓器ぞうきを守り、呼吸を宿らせます。ここで肺が広がり、横隔膜がはたらきます。五輪の対応では、この場は風の大 — 動き、リズム、脈打ち — に属します。手は胸郭きょうかくの脇に添えられます。多くの方が、ご自身の呼吸の律動りつどうがセッションのなかで深まっていくのを感じます。

3 · 鎖骨 — 喉への門

大:風 · 五輪の場:風から空への移ろい

鎖骨は、上半身と頭のあいだの敷居をしるします — 感じることと、口にすることのあいだの境目でございます。インドの伝統では、ここに喉の輪が置かれます。真言の実践では、風の大から空の大への移ろいの場でございます。手はそっと鎖骨に添えられます。緊張がしばしば「狭まり」としてあらわれる、繊細な場でございます。

4 · 胸骨 / むねの真ん中 — 心の中心

大:風 · 五輪の場:首から胸

胸骨は慈悲じひの座でございます。ここに心の中心 — 概念ではなく、喜びと悲しみが等しく宿る、感じ取れる場 — がございます。真言の伝統では、この場は慈悲じひ菩薩ぼさつと結ばれます。両手が胸骨の真ん中に静かに置かれます。ここで起こることは、しばしば「静かにひらいていく感じ」と語られます。

5 · 下腹かふく — 腹、丹田、生命の中心

大:水 · 五輪の場:へそから膝

はらは、日本のあらゆる実践のじゅう心でございます。へその下、指三本ほどのところに丹田丹田霊薬れいやくの場 — があります。ここに生命力が集まります。武術においても、瞑想においても、ひとつひとつの霊気のセッションにおいても。手はおへその下に置かれます。この場は、しばしば「帰ってきた感じ」として語られます。

6 · 骨盤 — 根の力と安定あんてい

大:地 · 五輪の場:土台

骨盤は土台でございます。ここに根の力 — インドの体系で根輪こんりんとして知られるもの — が宿ります。五輪の対応では、地の大 — 堅さ、骨、構造 — に当たります。両手が骨盤の骨に添えられます。ここで起こることは、深いに根づく感覚 — ご自身の体への帰還として感じ取られることが多いのでございます。

アイリーン・ヴィースマンがマーク・ホサック博士に横位で霊気を行う・上半身
アイリーンがマークに霊気を · 横位にて

三つの大、ひとつの上半身 地火風

上半身の六つの手の位置を貫いているのは、五輪の大の内なる建築けんちくでございます。下から上へ — 骨盤は地に属します(堅さ、支え、根づき)。下腹からみぞおちまでは火がはたらきます(変容、消化、内なるあたたかさ)。そして肋骨から胸骨を経て鎖骨までは風の大がはたらきます(呼吸、動き、命のリズム)。

この三つの大が、体の曼荼羅まんだらの中心部分を支えております。下には水(脚)、上には空(頭)。霊気で上半身にはたらきかけるとき、孤立した点に触れているのではございません — 上半身を生きた全体としてひとつにする三つの力に触れているのです。地が支え、火が変え、風が動かす。

加持の儀礼では、それぞれの場が大日如来の力に意識をもって貫かれていきます。悉曇वं(ヴァン)は、あらゆる光の源 — 外から来るのではなく、すべてのものにすでに宿っている宇宙の仏 — のしるしでございます。加持とは、その光を加えて、保つこと。六つの位置のそれぞれに。受け取る方々のお一人おひとりへ。

本質

加持の儀礼において、実践してくださる方は、大日如来と受け手の方とのあいだの通り道となります。加 — 加える。持 — 保つ。宇宙の力は送られて忘れられるのではございません。体のなかへ収められ、そこに保たれていく。それが、ほかのあらゆる手当てと加持を分かつものでございます — 残り続ける、ひとつのさずけなのかもしれません。

この六つの位置を加持とともに行うと、言葉にしにくい何かを感じ取ることになります。手はあたたかさだけでなく — 響きを感じます。それぞれの位置に、それぞれのあじわいがございます。みぞおちの静かなえるような感覚、胸骨でのやわらかなひろがり、丹田での深い帰還の感覚。そして、すべての上には大日如来とのつながりが、六つの位置を金色の糸のように貫いて通っているのでございます。

真言の伝統において、このつながりは想像ではございません。伝授のなかで、心から心へ、九世紀の真言宗の祖・空海くうかい空海へとつながる系譜けいふのなかで、伝えられていきます。真言霊気はこの伝統に立ちます。そして、上半身の六つの手の位置は、それぞれが、もっとも深い意味において本来あるところのもの — 技ではなく儀礼、型ではなく、いつもそこにあった何かとの出会い — になっていくのかもしれません。

マーク・ホサック博士が両手を上半身に置く・胸の<ruby>領域<rt>りょういき</rt></ruby>での霊気
上半身の霊気 · 両手を添えて
深みのある手の位置

加持の道を見つけてみてください

六つの位置。ひとつの儀礼。千二百年にわたって伝えられてきたつながり。真言霊気のどの入り口が、ご自身に合うかを見つけてみてください。

真言霊気のあなたの道 チャクラと霊気