世界のあらゆるエネルギーの実践には、ひとつの共通点がございます。姿勢ではございません。観想でもございません。意図ですらございません。それは、呼吸です。中国の伝統では 気 氣 — 生命の息吹、生命の力。日本の伝統では 気 氣 — 同じ字、同じ根。そして霊気には、すでにその「気」が名のなかに息づいております — 霊・気 靈氣、すなわち霊なる生命の力。呼吸を理解することは、その核心を理解することにほかなりません。
西洋では呼吸はしばしば弛緩の技法として語られます。深く吸って、ゆっくり吐いて、ストレスをやわらげる。間違いではございません — けれども表面に触れているにすぎません。東アジアの伝統において、呼吸は鎮めるための技法ではございません。気を動かし、集め、導く第一の道具なのでございます。気功と霊気の結びつきを解く鍵は、ここにございます。

腹式呼吸 — 土台 腹式呼吸
日本では自然な腹式呼吸を 腹式呼吸(ふくしきこきゅう)と呼びます。文字どおり「腹のかたちの呼吸」。誰もが生まれたときから備えている呼吸の姿でございます。眠っている赤子を見てごらんなさい。腹がふくらみ、しずまり、胸はおだやかに静まったまま。横隔膜は自由に働いております。息は肺の下のほうへと深く流れ込みます。これが腹式呼吸でございます。
多くの方は、生きているうちにこの自然な呼吸を忘れてしまいます。緊張、長すぎる坐位、ストレス — 息は胸へ上がり、浅く、せわしくなってまいります。腹式呼吸への帰還は、いかなる本格的なエネルギーの実践においても、最初の一歩でございます。気功でも、霊気でも、瞑想でも。秘伝でも何でもございません。すべての土台でございます。
具体的にはこういたします。鼻から吸い入れますと、下腹がやわらかく外へ広がります。横隔膜は降り、肺は下から満たされます。吐くときには腹がしずまり、横隔膜は上がり、息が抜けてまいります。胸はほとんど動きません。肩は静かなままでございます。意識は腹のなか — ハラ 腹に置かれます。
日本の霊気の伝統において、この腹式呼吸は浄心呼吸法の土台でございます — 心を整える呼吸の実践です。気功におきましても、立禅も動の型も、まさにこの呼吸の型から始まります。さらに進んだ呼吸 — 例えば吸うときに腹がしずみ、吐くときにふくらむ「逆腹式呼吸」 — もございます。これは経験を積んだ方の直接の同行のもとで初めて触れるものでございますので、ここでは存在を申し上げるにとどめます。
ハラと丹田 — 生命の力の宿るところ 丹田
「腹に呼吸する」と申しますとき、いったいどこへ吸い入れているのでしょうか。日本と中国の伝統には、これに対するきわめて精緻な答えがございます — 丹田(たんでん)丹田へ、と。文字どおり「霊薬の田」。臍のおおよそ三横指ほど下、体の奥にある領域でございます。中国の伝統で同じ箇所を Dantian と申します — 字は同じ、読みが異なるだけでございます。
丹田は解剖学的な臓器ではございません。エネルギーの中枢でございます — 気が集められ、密度を増す場所でございます。日本では、ハラが据わっている方は人生にしかと立っていると申します。腹が据わっている 腹が据わっている — 大地に根ざし、中心にあり、揺るがない、というほどの意味でございます。武道、茶道、書道、瞑想 — 日本の道はみな、ハラから始まります。これは偶然ではないのかもしれません。

真言霊気において、丹田はあらゆる呼吸の実践の錨でございます。霊気のセッションで手を置きますとき、気はまず丹田に集まり、それから手を通じて流れます。瞑想いたしますとき、意識はこの一点に向けられます。丹田は重心でございます — 体の均衡だけではなく、エネルギーの実践の全体の重心でございます。正しい瞑想姿勢では、丹田が自由に呼吸できるように坐ります。
呼吸はただの空気ではございません。日本と中国の伝統において、呼吸は気を運ぶものでございます。意識を丹田へ向けて呼吸いたしますとき、酸素を集めているのではございません — 生命の力を集めているのでございます。だからこそ、あらゆるエネルギーの実践は呼吸から始まります。準備としてではなく、本質そのものとして。
鼻呼吸と百八息観 數息觀
実践のなかでよく問われることがございます — 鼻で呼吸するべきか、口で呼吸するべきか。答えは伝統によって異なります。気功には、特定の癒しの音を放つときなど、口で吐く実践もございます。日本の禅と真言の伝統では、吸うも吐くも鼻が主でございます。鼻呼吸は空気をろ過し、温め、潤いを与えてくれます。自ずと呼吸の律動を緩やかにし、より静かで深い意識を育んでくれます。
數息觀(すそくかん) 數息觀 — 息を数える瞑想 — においては、まさにこの静かな鼻呼吸が深い実践の土台となります。坐し、息をし、数える。一から百八まで、糸を絶やさずに。簡単に響くかもしれません。けれども、心とともに行うもっとも難しいことのひとつでございます。百八息の瞑想は仏教の伝統のなかでもっとも古い呼吸法のひとつであり、真言霊気のなかで今も生きております。
百八という数は偶然ではございません。仏教の伝統のなかにくり返し現れます — 念珠(じゅず)数珠の百八粒、百八の煩悩、大晦日の鐘の百八声。息を数える実践では、呼吸への意識と象徴的な浄化が結ばれます — 数えられるひと息ごとに、ひとつの層がほどけてまいります。
立禅 — 立って息する 站樁功
気功には、外から見れば何もしていないように映る実践がございます — 立禅、中国語では 站樁功(たんとうこう) 站樁功。立つ。膝はわずかに緩める。重心はおおよそ七割を踵に。腕は脇にやわらかく垂らすか、見えない毬を抱くようにかまえます。そして — 息をいたします。何分も。ときに半時間。ときにそれ以上。
外からは見えず、内では巨いなる出来事が起こっております。ゆるんだ膝は腰のあたりをひらきます。踵にかかる重みは体を大地に錨ろします。腹式呼吸はいっそう深まります — まっすぐな姿勢が横隔膜にゆとりを与えてくれるためでございます。気が脚を通じて大地へ、頭頂を通じて天へと、終わりのない循環をなして流れ始めます。中国の伝統ではこれを小周天と申します。

日本の伝統にも別の名で同じ実践が息づいております。禅密気功 — 中国の密教仏教に由来する形 — では、立禅と背骨の動きが結ばれます。真言霊気においては、立つ実践の要素をエネルギーワークの準備として用いることがございます — 足は大地に根ざし、ハラは目覚め、呼吸は深く均一に。
立禅の妙は、姿勢と呼吸の結びつきにございます。坐したままでも呼吸は深くなり得ますが、大地とのつながりは欠けがちでございます。立つ姿勢のなかで — 正しい姿勢で — 息は腹だけでなく、体の全体を巡ります。足の裏は呼吸の点となり、膝は門となり、頭頂は天線(アンテナ)となります。体まるごとが息いたします。
気功の呼吸と霊気の結びつきは、机上の構築ではございません。実践のなかの実情でございます。両者は同じ力 — 気すなわち Qi — に取り組みます。両者ともに呼吸を第一の道具といたします。両者ともに丹田を中心として識ります。そして両者ともに知っております — 呼吸は準備ではない、実践そのものである、と。深く息をする方はすでにエネルギーの実践のなかにございます — 手が動き始めるよりも先に。この道をさらに深めたい方は、最初の一歩からすべてが始まります。